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少女は白本を抱いて世界を渡る  作者: 柚森 信
三章:準備をはじめよう
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短いですが、キリの良いところで

 


 やみくもにメリアから逃げようとした男が通りへ飛び出した時、ちょうど乗合馬車が巡回の時間だったのはなんというタイミングの悪さか。


 いくつもの悲鳴が同時にあがり、愕然として目を見開いた男を躱そうと御者が必死で手綱を操る。

 イレギュラーに興奮したか、馬車を曳いていた二頭の馬はガッと地を蹴り、一見、御者の望みを叶えるように進路を変えた。しかし、それは更なる混乱の引き金でしかなかった。


「お、おい! 広場に突っ込むぞ?!」


「皆よけろ!!」


 野次馬と通りすがりの住人の叫びが錯綜する。

 広場へ乱入した馬車は、街の人々が逃げ惑う中を目標もなく突っ切る。

 進路の定まらない馬の蹄に引っかけられぬよう、あるいは暴走する車輪に巻き込まれぬよう人々は懸命に逃げていた。


「誰か、誰か馬を止めろ!」


「子供も乗ってるぞ!」


「早く守護隊を呼んでこい!」


 ほんの一瞬で、穏やかな広場が怒号と金切声で染め変えられた。

 瞬きを繰り返す程度の時間しか経っていないのに。


 引き金を引いたのは自分だったのか。

 理性は冷静に「これはただの事故だ」と呟く。しかし、動揺する感情は「あの時自分一人が我慢していたらこんなことには……」と悲観主義へ三次元飛躍する。


 壊れんばかりに無軌道に走る馬車の軋み。

 馬車から零れる泣き声。

 逃げ惑う人々の叫び。


 違う、こんなものが聞きたいんじゃない!

 こんな悲しい連鎖なんか認めない!

 悲観するのは早い。

 まだ連鎖の鎖は繋がれ初めてもいない、まだ間に合うはずなのではないか?


 だが、自分の手にはまだその力はなくて――


「母様っ!!」


 血を吐く思いでメリアを呼ぶ。


「あの男は捕まえて封じたから、こっちはこれで良し」


 メリアが広場ではなく街の方を見つめたまま冷静な呟きを漏らしたことに、ミアは一瞬カッとなって口を開きかける。

 が、ずしりと重い視線を受け、飛び出そうとしていた叫びをすんでのところで飲み込んだ。


「事態に呑まれてどうするの」


「…………っ、は、い」


 ギリギリで耐えたミアに小さく頷き、メリアは広場へと目をやる。

 そのまま無言で水平に手を振った。


 ――……ィィイン!!

 ヒヒーン――!!


 ギチギチ空間の軋むような音と、馬のいななきがシンクロする。

 屋台のひとつへ突っ込みかけていた馬車が、不可視の壁に阻まれて進行を留められる。勢い余った馬は前脚を高く上げ棹立ちになるが、速度の緩んだ隙を狙い御者が強引に馬車そのものを止めた。


「どうどう……っ!!」


 まだ鼻息の荒い馬たちだが、勢いを殺されたことで走る意思も削がれたようだ。また落ち着かない様子で蹄が地を蹴りはするものの、暴走そのものは完全に停止した。


「なんとか止まったわね」


「よか、った……」


 納得したように頷くメリアの後ろで、崩れそうになる膝を懸命にこらえる。

 人の命が関わる場面というのは、いつ何時でも冷静でいられない。だが、自分が直接被害にあったわけではないのだ。幸いにして大怪我を負ったものも居ない。傍観しているだけだった自分が、ここで崩れ落ちたところで何になるというのか。

 気遣うようにつかの間視線を向けてきたメリアへ頷き、ミアは奥歯を噛みしめた。

 ゆっくり瞬きながらミアを見つめたメリアはほんのわずかに唇を緩め、しかしすぐに視線を街へと向けた。

 小さく魔力が動いているところを見ると、視線の先で何か事をなしているようだ。


「本当に色々あり得ない男ね。ルーマーには悪いけど、徹底的に片付けてしまいましょう」


 遠くから、かちゃかちゃと金属のぶつかる音が聞こえてくる。

 そういえば、誰かが守護隊を呼べと叫んでいたから、詰所から守護隊の騎士たちが駆けつけてきたのだろう。

 騒がれるのを好まないメリアは、どうするのだろう。このまま残るのか、それとも適当なところで姿をくらますのか……。


 いずれにしても、ミアはただメリアの求めに従うしかない。


(……私、何してるんだろう)


 ミアはひっそりとため息を押し殺す。

 何もかもが半端なままだ。

 今の自分に何かができるとは思っていない。ただ、何もできないなら自分にできもしないことを望むことは、まさに『身の程知らず』というのだろう。

 日本で過ごしていた時のようなキレイごとだけで、サイアニアスで生きていくのは難しい。冷徹なほどに優先順位を徹底したメリアだが、目の前の状況を無視していたわけではない。素早く元凶を押さえ、流れるような速さで広場に介入した。彼女がいたおかげで、怪我人は出たものの結局重傷者は出なかったのだ。


 望みを口にするなら、相応の覚悟が必要だ。

 自分には本当にその意志があるだろうか。


 目を伏せ鬱々と考え込み始めたことを自覚したミアは、これではダメだと大きく息を吸い――ふと動きを止めた。


(…………これ、なに?)


 気のせいかと思った。

 焦げ臭いにおいは、ただ放置して屋台で焼きすぎてしまった何かだと。

 きっと逃げ出していた店主が戻って、処理をしているだろう……いや、待ってくれ。


 ミアは視線の先の光景に、ゆっくりと息を呑んだ。

 年若い少年が、火の入った油鍋に慌てて水を注ごうとして――いけない!それは駄目!!


 たまたま背を向けているメリアは気付いていなかった。

 声を上げる時間もない。


 時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥りながら、ミアはそうという意識もなく駆け出していた。


 ダメ!と反射的に制止の声を上げる。

 隠しに入れていた魔法紙へ指を伸ばす。

 メリアに教わった幾つかの結界法陣が、無意識のうちに脳裏をよぎった。


 特定する、時間はない。


 カチリ――


 すべてが同時に進行する中で。

 意識のどこかで、スイッチが切り替わるような、音がした。





「――『書字召還リコール』!!」





 ミア自身も何が起きているのか自覚しないままに、細い指先は魔法紙を掲げ魔力を注ぎ込む。

 少年を弾き飛ばすように結界が展開するのと、結界の中で《・・》轟音とともに炎が爆発するのとが同時だった。


「ミア……ッ?!」


 メリアが悲鳴のような声で自分を呼ぶのを聴きながら、ミアは呆然とへたり込む少年の姿を確認し――微笑みながら意識を手放した。


 

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