032
「トールがミアに、魔法紙で冊子を作ったんですって?」
興味津々に瞳を輝かせて迫るメリアに、ミアは脳内で言葉を反芻しながら促されるように頷く。
「あれ? 母様見てないの?」
「そうなの。ちょっと見せてもらっても良い?」
「それは構わないけど……」
戸惑いつつも、魔道書と一緒に持ち歩いていた冊子を机の上へ引き出す。
朽葉色の皮表紙に、ふぅん、と感心したようなつぶやきを漏らすと、メリアはパラパラ中身を確認し始める。
「てっきり母様は知ってるものだと思ってたんだけど……」
「あなたに作って渡したという話は聞いたけど、実物はまだ見てなかったの。どうして?」
「父様と母様のことだから、何でも話したり見せ合ったりしてるのかと」
おずおずと告げれば、ひとつ瞬いて「うふふ」嬉しげに笑う。
「そんなに仲良しに見えた? ええ、実際仲良しですけどね!」
少しばかり自慢げに胸を張る母に、義娘は「そうだよね」と頷くことしかできない。
「でも、お互い研究対象が違うんだから、そうなんでもかんでも見せ合いっこはしないわよ」
「そんなものなんだ……」
感心したような響きへ、メリアはにこりと笑む。
確かに、互いの研究に影響を与えるだの、何か大きな発見をしただの。そういうことがなければ、細かい出来事を逐一垂れ流すこともないか。些末な情報まで共有していては、お互い研究に打ち込むことも難しいだろう。
実際、ミアのことや家のことも同時進行なのだから、時間を効率良く使用するには必要のない情報はカットするのが良い。
納得したような面持ちのミアへ、はい、と冊子が返される。
「使ってみた?」
「昨日夜に少しだけ」
「あら、受け取ったのは一昨日でしょう?」
「……気付いたら寝てたの」
わずかに視線を逸らすと、あらまぁ、と軽く目を見開いてクスクス笑い始めた。
「あれから晩御飯前まで、ずっとトールの研究室から出てこなかったものね。本当、好奇心のスイッチが入るとダメね。様子を見に行ったアイルが呆れてたもの」
「あはは……」
「そういえば、そこまでミアが付き合うのは久しぶりじゃないかしら」
「喋ってる間は気付かなかったの」
「ふぅん、うまく乗せられたってところかしら?」
「……年の功って言うべき?」
考えた末にそれを口にする。
千歳越えと簡単に言うが、見た目と中身の落差が大きすぎて実はあまりピンとこない。
しかし、その言動はあまりにも的確でミアはいつも心を透かし見られているような気になる。人によってはそれに苛立ちを覚えるかもしれないが、彼の穏やかさからかミアがそのことを不快に感じることはない。
いつも柔らかく先回りをしては、宥め抱き留め、見守られているような気になってしまう。
経験の違いというのはこういうものなのだろう。もしくは人徳か。
素直な尊敬が滲む発言は、メリアに苦笑をもたらした。
「それ、わたしが他の子から言われたら気を悪くするところね。今はトールが対象だし、もしミアがわたしに言ったとしてもそんなに嫌な気は……うーん、やっぱりするかしら?」
「女性に言うわけないじゃないっ!」
「あ、やはりそう?」
「ですよ!」
メリアであろうとなかろうと、女性への年齢が絡む発言は禁句ではないか。
自分でも言われたくないぞ、それ。今は見た目的に言われる機会も少ないだろうが。
拳を振り上げる勢いで断固否定すれば、「そうよね!」メリアが勢い込む。
「でも、そこで言っちゃうのがアイルなのよねーーー」
「すごく言いそう……!」
言う。
あの空気読まない兄は絶対に言う。いや、きっと空気読んでても言う。
自分への多少の被害と自分の楽しみを天秤にかけたら、瞬時に楽しみを取るダメな兄だ!
そうだそうだと大いに盛り上がり、いつの間にか会話の軸が兄へのダメ出し大会になっていたことに気付いたのは、チリンと涼やかな音で二人同時に時計へ視線を向けた時だった。
「……ということで、結界法術についてはこんな感じね」
メリアの解説を聞きながら、壁に張り出された図解と魔道書を見比べる。
ミアが受ける法術についての講義は、主に理論と法陣についてだ。
法陣は丸ごと精密に筆写してしまうとその場で発動しかねないので、壁の図解もある程度抜き書きであったり、バラバラに記述されていたり色々だ。
魔道書や法陣記録紙のように特殊な仕組みで作られたものについては、法陣の完全版を載せても大丈夫らしいが、なまじメリアのように魔力が高い者は筆写するだけで発動しかねないのだという。
完全版が載せられている魔道書と壁の図解は、パーツを突合すればピタリと一致する。あの欠けた部位にメリアが少し書き足すだけで、目の前の法陣が発動するかもしれないと考えるのは結構なスリルだ。
「また今度、法陣記録紙でも取り寄せてみようかしら」
「一般法術が使えなくても、魔力を注ぐだけで発動するもの……だっけ」
「そうよ。それならミアでも使えるでしょ。一度は自分の手で動かしてみるのも勉強になるわ」
「でも、ものがものだから、なかなか手に入らないって言ってなかった?」
「そんなの、ナルスになんとかさせるわよ」
「…………」
笑顔のメリアへは、曖昧な笑顔を返してごまかしておく。
ナルスにこれ以上負担をかけるのはどうかと思う。
(でも、一度こうして口にしちゃったってことは……ナルスさんごめん)
母の行動パターンからすると、高確率で実行するだろう。
心の奥で、ナルスに向かって頭を下げておく。本当に申し訳ない。今度来る日には軽食でも用意するとしよう。
「なんだったら、記録紙だけ取り寄せてミアが書いてみるのも良いかしらね」
「最初から書いてあるものじゃないの?」
「両方あるの。当然といえば当然だけど、本人の魔力が少なくても理論のしっかりしてる人というのは居るものだから、研究のために無地の記録紙へ自分で法陣を書き込んで、魔石を使って発動させるとかね。だから、ミアが書くのは大いにありなのよ」
まだ理論が不十分だから今すぐ、というわけにはいかないが、それはそれでとても興味がある。
なるべく破壊活動につながりそうなものは控えているつもりだが、科学知識として承知している自然現象のアレコレについてメリアへ話をすることがある。それをメリアは法術へフィードバックしていくのが上手い。
メリアの制御能力が高いからだろう、耳や書籍で見聞きしていた現象が目の前で再現されていくのはちょっとした興奮を誘う。
自分の手でもささやかながら、霧虹やフロストフラワーを作ったりできればそれも楽しいのではないか。
「もっと勉強して、自分でも色々書いてみたいなぁ」
「ミアならきっとできるわ! うふふ、話だけではわからなかった『電磁場射出』だったかしら。ミアなら再現できるかもしれないわねぇ」
いや、そんな危ないことはしませんよ!多分!!
内心びっしりと冷や汗をかきつつ、ミアは小さくぷるぷると首を振る。
初めの頃、本当に、本当についうっかり、リニアレールガンについてポロッと漏らしてしまったのは完全にミアの失敗だった。
元の世界でも実現できていないのだから、と思ったが、現象を理解してしまったら下手をすると部分的に何かに置き換えて似たようなものを作ってしまうかもしれない。そう気付いたのは、漏らした直後メリアの炯炯と輝く瞳を目の当たりにした瞬間だ。
(ダメっ、これ以上ヒントは与えない……!!)
「まあ、それは別としても近いうちになんとかしましょ。実習は大事ですものね」
「……そういえば、母様」
「なぁに?」
「父様が模擬戦の時、魔法紙で法陣を呼び出していたでしょ。あれはどうなってたの?」
魔法紙がこれだけあるのに、わざわざ法陣記録紙を取り寄せるという。
トールがしていたように魔法紙で呼び出した法陣が発動するなら、それはそれでも良いのではないだろうか。
「トールは、一般法術が使えないわけではないのよ。彼はちゃんと、一度自分の手で発動させた法陣を覚えているから」
「……なんだか、たくさん術が発動していたような気がするんだけど」
「そうよ。久しぶりだったけど、あれは本当に酷かったわね……」
しみじみと語るメリアなどなんと珍しい。
「彼の場合は今までの経験が違うから。わたしと会った時には、もうかなりの種類を使いこなしていたのよ。その後もわたしの法陣にまで興味を示したりするし。法陣のストックが今どれだけあるのか私にもわからないのよ」
「だから、余計に見せたくないの?」
「何のこと?」
「さっき、全部の研究を見せ合いっこしたりはしないって」
「……ふふっ」
図星だったらしい。それはもう可愛らしく笑って小首を傾げて見せる。
娘に過剰な愛嬌をふりまくのはやめてください……
「ええと、『召喚』での法陣だったわね。基本的には『召喚』で法陣を呼び出しても、法陣として機能を果たせないことの方が多いのよ。
トールはさっきも言った通り、完全理解したうえで一度別口で発動させているということと、通す魔力の量が違うから発動するんじゃないかと思うのよね。前に別の司書が『召喚』で法陣を呼び出した時は上手くいかなかったらしいから」
「うーん、『召喚』では制限がかかってるとかそういうことかなぁ」
「さあ、そこはわたしでは研究できないから、なんとも言えないわね……。でも、上位法術になるほど効果範囲が広がるということはあるらしいから、ミアが言うのも一理あるかもしれないわよ。制限と考えてみれば、トールの魔力がその枷を外しているという理屈もあり得るわね」
「上位法術……」
トールの話によると、書字法術の各系統それぞれに上位と下位それぞれの法術が存在しているという。
過去にも、下位のみの法術を発展させることで上位法術が出現・発見されたこともあったらしい。『修繕』と『原状回復』がそのひとつだと言う。
ならば、『召喚』にも似たようなことがあるのかもしれない。
考え込み始めたミアの様子を、メリアは微笑みながら見守っている。
研究者夫婦としては、そうやって理論的な思考に沈む娘の姿が微笑ましいのかもしれない。
ふと時計へ目をやったメリアの表情が動く。
「あら、もうこんな時間。ミア、ねぇミア」
「……あっ、はい?」
「今日の晩御飯はトールが作ってくれるらしいから、わたしこれから時間があるのね」
「……うん」
やたら瞳が生き生きしていやしないか。
なんだろう、嫌な予感がするぞ……。
「一緒に衣裳部屋に行きましょう! 冬服が届いたのよ!」
「あっ、母様、私復習したいな……」
「そんなのはどうでもいいから!!」
「どうでもって……!」
法術の勉強をどうでもいいとか言っちゃったよ!
楽しみを優先するとか、やはりアイルの母ということか!!
「さあ、早く早く! 時間がもったいないわ……!」
素早く立ち上がりミアの手を取る。
痛くはない。だが、関節をやんわりと捕まえられて振りほどきようもない。
(もしかして、毎年これ……?!)
季節の変わり目が憂鬱になりそうだ、と遠い目をしながらミアはそのまま衣装室へと連行されていった。




