030
新式の法術に関しての状況は膠着したまま、それ以外は順調にしばらくが過ぎて、夜になると肌寒くなってきたかなという頃。
「そろそろ冬の支度を始めなきゃ。ミアの冬服も、もうじき届くかしらね」
法術理論の指導が終わり、教本代わりの魔道書を片付けていたミアは母のつぶやきにぎょっとする。
「えっ、いつ注文してたの?!」
「いつって……こういうものはひとつ前の季節が始まる頃には注文しておくのよ? ミアの服も細かい手直しはトールが出来るから、大まかな採寸だけでお願いできるもの。少しだけ大き目で手配を済ませてあるのよ。
うふふ、届くのが楽しみね」
歌うように告げるメリアの足取りは軽い。その明るさのまま、思い付く限りの冬支度を指折り挙げはじめる。
「ベッドカバーも冬の色を注文しましょうね。部屋のカーテンも厚手のものに替えなくちゃいけないし、あら、敷物も替えなくちゃ。ついでに色々掃除もしちゃいましょう」
衣類は衣裳部屋があるので、キャビネットの引き出しを入れ替えるだのという衣替えの重労働はないだろう。
代わりに、部屋が多い分交換するものが多そうだ。
「私も手伝うね」
「ふふ、ありがとう。でもいいのよ、今うちには力が有り余ってる男手があるから」
兄か、兄のことか。
そこは全力で肯定しておく。
ちょっと考えてみれば、子供の力で手伝えることなどあまりなかった。でも、これから先必要になるかもしれないからと、見学だけはさせてもらえるような話で納まる。
「ミアが来たのは、夏に入った頃だったわねぇ」
「そうして考えると、あと少しで半年かぁ……」
日々が目まぐるしく過ぎて、もうそんなに経ったのかという気もしてくる。
忙しいながらも穏やかな日々は、やることも山積みだが純粋に楽しいと感じられる時間だった。
世界転移者の『鞘野雅』は、生まれも育ちも手放した。手放さなかったものは、幼くなった器と積み重ねた記憶だけ。持っていたあらゆる物を失うということは、しかし裏を返せばそれまでの負の遺産もなくなるということだ。
もう届かない想いと解けたしがらみ。新たに得た家族とその縁。
それがこれからの自分にどう影響するのかはわからないけれど、今はしなければならないことをひとつひとつやっていくしかない。
ここに来た理由もわからない自分に今できることは、というと、
(とりあえず、教学院へ行くための準備、だよね)
惑わされている余裕はそれほどないのだ。
半年があっという間なら、きっと二年半もあっという間だ。
取り換え予定という淡い緑のカーテンを眺め、次に訪れる季節の色を心待ちにする。
「衣裳が届いたら合わせてみましょうね。トールが微調整するにしても、実際に着てみなくちゃわからないもの」
「……それ、ちなみに何着くらい?」
「さあ、よくわからないわ」
「数えきれないくらいあるの?!」
「それほどじゃないけど、思い付くだけのものは注文したから覚えてなくて」
うふふ、とそれはもう大層上機嫌でメリアは笑い、ミアは近い未来に確実に起こる精神的疲労を思ってクラリとめまいを覚えるのだった。
さて。
サイアニアスにも当然、暦があり季節がある。
一年が十二か月というのは元の世界と同じだが、一か月がきっかり30日となっているため一年は360日と微妙に差異がある。
週の概念も多少違っていた。
一か月が五属性で区切られており、第一週が「火」から始まって「水、風、地、木」、そして一週はそれぞれ6日ある。
なので、日付を表すとしたら「1月、水の6日|(第二週6日目)」「8月、木の2日|(第五週2日目)」となるわけだ。まだ慣れ切っていないミアは、一度頭の中で週を数えなければならない。
また季節についてだが。
ミアはアイルから各地の話を聞きながら、サイアニアスでも多少は「気候区分」が適用できるかもしれないと考えていた。
これは元の世界で気候学者が植生分布、気温と降水量等の要素を基準に気候風土を分類したもので、広域の地域特性や環境を論じて農業や産業について考慮する一助とするものだ。
もっとも元の世界でも、地域による例外も多く完全には適応分類できないとされていた。こちらでもせいぜい、地域特性を覚える参考にするくらいのものだろう。まあ、これを元に何かを論じるわけではない。ミアがこの基準を参考にサイアニアスの地理を覚える助けとした、その程度のものだ。
例えば、ヘイアース家が住んでいる屋敷最寄りのカレントの街周辺は、元の世界でいうところの「西岸海洋性気候」にあたるようだ。
四季はあるが、夏も冬もそれなりに過ごしやすく雨の量も過ぎるほどに多いわけではない。街の外辺部も質の良い牧草地が広がっており、おかげで乳製品が手に入りやすくて助かっている。もちろん大まかな分類であり、挙げていけばいくらでも条件違いはあるが。
ちなみに、この話はトールには聞かせていない。おそらくミアが涙目になるくらいには詳細を聞きたがること確実だから、というのがその理由。
閑話休題。
そうして穏やかながら四季のあるこの街でも、冬支度というのはそれなりに忙しいらしい。
ヘイアース家でも少しずつ進めているとはいえ、メリアとアイルが出かけては大荷物を抱えて戻ってきたり、注文済みの品物を受け取るために街と屋敷をアイルが往復したりとなかなか慌ただしい。
ミアもカーテンの金具を付け替えたりトールと食事の支度を受け持ったりと、できる範囲で支度を手伝っていた。
「というよりだ。この家の支度が慌ただしいのは、うちにメイドどころか使用人が一人としていないからなんだけどねえ」
なぜかミアの部屋で。
寛いだ面持ちで自分で用意したお茶を飲みつつアイルが指摘した。街との往復が多かったせいかさすがに多少疲れていたようで、ややホッとしたような雰囲気を漂わせている。いつものティータイムからは時間がずれているが、自力で用意する分にはお茶くらいで何かを言われるようなことはない。この場合茶菓子は要求しない、という条件はつく。
ミアもそのおこぼれに預かりつつ、ゆっくりカップに口をつける。
「そういえばここ、かなり大きなお屋敷、だよね?」
他の邸宅を見る機会もそうあるわけでもなく、比較対象となるものがないので自信なさそうに尋ねたが、アイルはミアにあっさり頷いた。
「少なくとも、普通は家族四人だけで暮らすような広さじゃあないよなあ。この規模の屋敷で四人家族なら、せめて使用人が二、三人はいても良い。ここの一階には使用人用の小部屋もあるにはあるんだけど、まあ使うこともないんだろうねえ」
言われてみると、そこそこの期間この屋敷で過ごしているのに未開拓なエリアがまだあったっけ、とミアはわかる範囲で建物の見取り図を思い出してみる。
一階には相応の広さを持つ玄関と、その横に応接室。厨房、続き間の食堂があり、書斎とサロンも一階部分だ。
二階に上がれば、四人の寝室と衣裳部屋があり、家族用の風呂、洗面所と、他にいくつか客間がある。
本館には他にも細々と転移用の小部屋だのトイレだのがあり、研究室のある離れ、それなりの広さを持つ庭園と転移法陣が敷地内にあり……と、思い出してみるだけで結構な広さだ。
庶民感覚が根付いているので家族だけで過ごすことに今まで違和感を感じたことがなかったのだが、そうして考えるとむしろこの面積で使用人がいないことの方がおかしいのだろう。
「雇うとしたら、執事とかメイドとかだよね。でも、他の人を入れるわけにもいかないんでしょ?」
「そういうことだよなあ」
元々両親のことだけでも機密だらけだというのに、この上ミアの秘密まで追加された状況では、外部の人間を雇うのもそう簡単にできることではない。
そういえば、両親とも研究やミアの指導で時間を確保しているのに、どうやってこの屋敷を維持しているのだろうか。
「そこは、父さんの魔道具やら母さんの法術やらの出番だ」
「あ、そうか」
ポンと手を打つ。
メリアが食器の片づけで法術を使っているのは知っている。おそらくあの要領で他の家事も片付けているとみた。
ミアから掃除機や洗濯機についての話を熱心に聞いていたので、その後トール作の魔道具が増えていても不思議ではない。
「あとは、ここを作る時に二人でせっせと状態保存の法陣も仕掛けてたって聞いたから」
「状態保存の法陣?」
「そうそう。汚れや劣化を防ぐらしいねえ。あとは軽い埃程度なら風のひと吹きで片付くし」
「あっ、それ便利そう」
「散らかしたら片付けは要るけどなあ」
「……ですよねー」
ニヤッと付け加えられた情報で浮きかけた腰が落ち着く。ごまかすように、素知らぬ顔でカップを両手で包み込んだ。
訓練の口実に、分けてもらった魔法紙へ昔読んだアレコレを呼び出して読みふけり、枕元へ積み上げたまま寝落ちた翌朝。
眠っている間に腕が当たったのか、それらが全部床に散乱して起こしに来たメリアに目撃される、という小さな事件があった。それが予想していたより枚数が多くてメリアにも少し呆れられたので、状態保存と聞いてつい反応してしまった。
……昔の自室の光景よりマシとはさすがに言えない。
「ひとまず、時間のかかる準備は終わったかなあ。庭の方は父さんたちがやるからいいとして、後は天気が荒れた時にちょっと確認するくらいか……」
「天気が荒れる?」
気になる単語に、ミアは軽く眉を寄せた。
「そう。この辺りは概ね過ごしやすい気候だけど、冬の一時期だけ天気が変わりやすいんだよなあ。この敷地が少し標高もあるせいかたまに嵐にも似た天候になるらしいから、直撃されたらさすがに建物や庭の確認くらいはしないと……ミア?」
「……ん? 何?」
「いや、少しおかしな顔してたから。何か気になる?」
「別にそういうことはないよ、大丈夫」
「……ふうん?」
きゅっと唇を閉じたミアの姿にわずかに目を眇めたアイルだが、何を思ったかそれ以上の追及はしなかった。
「まあ、この屋敷は父さんたちの結界もあるから、そう酷いことにはならないと思うけどねえ」
「そっか、環境調節はしてるって言ってたっけ。そういえば、夏が過ごしやすかったのって」
「そういうこと。このあたりの夏冬は過ごしやすい方だから、調節なんてちょっぴりだろうけど」
真夏の太陽は確かに容赦ない日差しでガンガン照りつけてはいた。だが道理で。夏の盛りでも倒れるような暑さを感じなかったはずだ。
地域の気候が原因かと思っていたら、もうひとつ違うところにも原因があったとは。
「あんまり季節を感じられないようなことはしない、とは言ってたかなあ。結界張っておいて季節感のために微調整もするって、本末転倒な気もしなくはないけど」
「うーん、それは確かに……」
快適さと四季の体感。どちらも手に入れたいというのは、この世界では少しばかり欲張りなのではないか。もっとも、本気でそれを望めば叶えられないことはない人たちが揃っていることは知っているが。
「嵐が怖かったら、添い寝くらいする――」
「そんな話ないから!」
「おや、残念だなあ」
即答したミアに笑いながらアイルは肩を竦めると、それを合図のように立ち上がった。
飲み終わったティーセットを持って兄が出ていくのを見送り、ミアは黙って窓へ向かう。カーテンの隙間から今は穏やかな水色の空を見上げ――かすかに苦く笑った。
「――冬の嵐、かぁ」
思わぬ成り行きで飛び込んだ慌ただしい毎日と穏やかな気候に忘れかけていたものが、ほんの少しだけ影を兆して、ミアはそれを押しのけるようにため息をひとつそっと漏らした。
つなぎの回、というところで。
気候区分云々は、本当におよその目安です。




