026 ナルス・グレイ(大人の事情)
外部視点が必要なので、裏事情をナルス視点で。
すごく厨二回です……
「――では、もう少し詰めた話をしようか。君もあまり時間がないのだろう?」
「まあな……」
ヘイアースの家長から穏やかな笑みとともに水を向けられ、ナルスは色々な意味で渋面を作り頷く。突っ込んだ話が必要なのも確かだし、時間がないことも間違いない。
それを機に、とばかり幼い少女も物分り良く頷いて一人掛けのソファーから立ち上がった。
なまじの教養では届かない、よく磨かれた滑らかな動作だ。
「それじゃあ、私はこれで。ナルスさん、これからもよろしくお願いします」
「おお、試験まで長いけど頑張れよ。様子見にまた来るから」
必要ないかと思いつつ激励してやると、少女は可愛らしくはにかむように微笑んで裾を引く。略式とはいえきっちり礼をして、ミアはあの青年にエスコートされながら部屋を出て行った。
扉が閉まり気配が遠ざかるのを確認すると、ナルスは浮かべていた笑みを消し、ソファーの中へと崩れ落ちた。
「……なあおい、室長。じゃねぇ、この師匠!」
「可愛い娘でしょ」
「そこは否定しねぇ。でも、俺が言いたいのはそこじゃねぇよ」
ふふん、と自慢げなメリアを恨めしそうに睨んで、ナルスは疲れたように息を吐く。
六歳の少女だとは聞いていた。
確かに言うとおり、姿は歳相応、いや下手をするとそれより幼く見えるくらいの少女だ。
背はナルスの半分あるかどうかという小ささ。もっともナルス自身がかなり長身ではあるが、それでもヘイアースの家長と並んでも腹部に届くかどうか程度の身長しかない。六歳ならもう少し大きくても良いのではないかと心配したくなる。
黒髪に黒目がちの瞳、象牙の肌に滑らかな頬。
顔立ちは愛らしいものの、整っていると表現しても良いという程度で、美形揃いのヘイアース家の中であの少女が変なコンプレックスを抱かないかと気がかり……、いやそんなことはどうでもいい。
「本気であんなの、どこから拾ってきたんだよ……」
ナルスはソファーへ沈み込んだまま、呻くように呟きながら頭を抱える。問題は、あの少女の中身だ。
今朝方送りつけられた魔道具は同封されていた短い説明書きの通り指定の時刻に作動し、作動前になんとか一人の環境を整えたナルスをヘイアースの本宅へと運んだ。
ローシェンナの中央院で勤務中に滞在している別宅――と言っても立派な邸宅だが――には日常的に顔を出している。
だが、その存在すら知らない者も多い本宅へ、しかも白昼堂々招き入れられるのはかなり異例と言って良い。現在メリアに立場が一番近い弟子の自分ですら数回、しかも夜に呼ばれた程度で、他に本宅敷地へ立ち入ることが許されている存在などごく僅かだろう。
それだけでもこの先を考えて胃が痛いというのに、ヘイアースの一家総出でお出迎えときた。
人類史に既に名を刻む法術師『暁天』メリアーシュは、現在『共立中央技術院 付属法術研究室室長』の肩書きを持つ直属の上司だ。室長という肩書きは知らないものが見れば地味に見えるだろうが、中央技術院での法術研究が全てそこに集約されているため実質世界屈指の研究機関と言っても過言ではなく、その頂点にいるのがメリアとなる。
どうして自分がそんなご立派な第一級法術師を師匠にしているのか未だによくわからないが、ひとまずメリアは上司かつ師匠であるからこれは仕方がない。
問題は、彼女の夫で『静謐なる深淵』中央図書院の院長アリストル・レスト・ヘイアースもその場に同席するということだ。何かしくじりを犯して図書院の総意とも呼ばれるあの御仁に睨まれたら、全書架閲覧禁止などという研究者にとっての致命傷を負わされる。なぜこんな恐ろしいことになっているのだ。
余談だが、法術研究者の中で暗黙の了解となっているのが、書字法術の総括者である中央図書院院長――アリストルの守護する領域へは手を出すな、ということだ。
種族の特性たる長い寿命と絶対的な魔力量を糧とした、並の人間には及びも付かないほどの法術理論を集積した膨大かつ的確な知識と巧みな魔力操作、そして彼が独自に用いる即時同期発動法術『自動筆記』の組み合わせで、彼に仇なす法術はその全てが量・質ともに真っ向から叩き潰されることとなる。攻撃も結界も、封印や呪いすらもだ。
『静謐なる深淵』の異名をとる彼が感情を激することはあまりないが、彼の領域を荒らして無事に戻ったものはいない。深淵の名の通り飲み込まれて何もかもが終わるだけだ。過去にはそのような愚か者もいたようだが、代々の研究者たちへ申し送りがされ続けた今となっては、色々な意味で中央図書院はほぼ聖域と化してしまっている。
そんな不安を山ほど抱え戦々恐々やってきたナルスは、養女の話題で心から微笑むアリストルの姿に腰が抜けるかと思った。師匠との付き合いも人間にしては長いほうだという自負はあるが、メリアに向ける以外であんなアリストルの笑顔など見たことがない。驚いたのか恐ろしかったのか自分でもよくわからない。
更には当の本人に会う前に、余計なことは口にしないように余計な情報も伝えないようにとそれはもう太い釘を何本も刺され、これ以上ないほど胃を絞り上げられもした。師匠からは、ご丁寧に魔力的な誓約もさせられた。
この二人にそれだけのことをさせる六歳の養女というのは一体何者か、そんなに揃って頭がいかれるほどの異形的美少女か何かかと疑わしく思いながら当人の登場を待った。
その思惑は見事に裏切られる。
噂の本人が部屋に入ってきた時は発育不全なただの子供かと思った。細い手足と平均に足りない身長。その脆弱さが夫婦の庇護欲をそそったのかと。
それがどうだ。
『ようこそおいでくださいました』
略式とはいえ堂々と挨拶をしてのけ、六歳とは思えないしっかりとした芯のある口調で歓迎を口にする。
礼儀通り視線は控えめを保ってはいたが、ほんの一瞬、垣間見えた瞳は驚嘆に値するものだった。
「初めて見た瞬間、驚いたのなんのって……あれが六歳の子供が見せる目か?」
あれは――理性で感情を律し知性で理性を制御し得る、平衡の取れた思考者の瞳だったように思う。
驚きの理由を誤魔化しながら挨拶を交わすと、言葉のあるいは表情の端々から確かな思考力が汲み取れた。教えられたままを唱えているのではなく明らかに自分の意思でそれを口にしているのだと悟り、あの瞳に感じたものは間違いではなかったかとまた呻いた。
自分の素を晒しながら相手からも本性を引き出してやろうとしたが、見えたのは年齢にそぐわぬ成熟した感情を持ち、気質が素直でやや控えめということくらい。地位への野心もなく、教学院への推薦もそれが学習に必要であろうからという気配だ。
ミアが兄と呼んだ青年と茶菓子をめぐっての攻防戦の折に、やっと歳相応に近い姿を見ることができて安心したくらい、その精神のありようは六歳の少女にしては規格外過ぎる。
もっともそれと同時に、時期が来るまで気配を消していたその青年がSS級冒険者の『嵐剣のアーレル』だと気付いた時、そして、師匠の息子がSS級冒険者だと聞いた過去の記憶が結びついたあの瞬間、別の理由で肝胆寒からしめられたのは言うまでもない。
メリアとアリストル、アーレルを素直に慕い、書字法術の希少さとなにより『召喚』の恐るべき有用性の自覚も薄く、繊細な操作はまだとしてもあの年齢で魔力に指向性を与えることを無意識にやってのける。必然ではあるがあの少女がアリストルの弟子になると聞いて、納得もしたが空恐ろしくもある。
この夫婦が余計な情報を伝えないようにと、このうえなく念入りに釘を刺すはずだ。情報がこじれてアレ《・・》が失われるのは非常にもったいない。
台風の目になること必至なこの子供はどれだけ常識の枠を壊すのかと思ったが、驚かされたのはそれだけではなかった。
初めて食べる茶菓子の味に不意打ちを食らった気分で、ナルスは新式の法術研究に関してメリアについぽろりと愚痴をこぼした。多重結界の強度と対効果について、発想不足から少し行き詰っているのだと。愚痴をこぼしてしまった直後には、何を甘えているのかと自嘲したくなったが問題はこの後だ。
何を考えたか、席を離れたメリアがまだ可愛らしい攻防を続けていたアーレルとミアへその話題を振ってしまう。
いくら中身が成熟していても、理論の新発想はさすがに無理なのではとナルスが苦笑した時、
『――立体の強度……、蜂の巣を参考にする、とか?』
『蜂の巣?』
『うん。蜜蜂の巣の形、正六角形だったかな……』
漏れ聞こえた小声でのやりとりに、飲み込みかけていた菓子を吹き出すかと思った。というか、危うく窒息しかけた。
ミアは聞こえていないと思っていたようだが、残念ながらナルスは冒険者時代から身体強化系の法術、特に視覚・聴覚強化に慣れている。発動しようと思わなくても使ってしまうくらい馴染んだそれを、喜ぶべきか悲しむべきか本気で悩んだのは久しぶりだ。
ただ、直接声を拾ったのはそこまで。耳を疑いたくなる情報が飛び込んできたそれ以降は、アリストルからの静か過ぎる視線に無言で釘を刺され聴力強化を中断している。
「ふぅん、やっぱり聞いてたの」
「頭んとこだけな。……あれ、俺の研究関連だって話はしてねぇんだよな?」
「そんなこと言ったら何も聞けなかったわよ? ふふっ、ヒントは拾えたかしら?」
「…………」
さらりと口にしてのけるメリアにナルスは頭を抱えた。やっぱり、わかっててやってたのかこの師匠は! わかっていて、俺が聞くように仕向けやがった!
菓子や料理の独自アイディアに留まらず、高等理論の新発想すら隠し持つ知性など、世界中の目の色が変わる宝の山ではないか。そんなものをナルスの目の前に晒してどうしろというのか……!
「あの六歳児、中身は六歳なんかじゃねぇ。まるで別物だろ。一体……」
ぼやきに紛らわせながらも、未知の存在に触れたうすら寒いような心持ちでそれを口にした瞬間、メリアの気配が冷ややかに変化した。
一体、あれは何者だ、と。その問いは喉の奥で凍りつく。
若葉の瞳が冷徹に色を変えてナルスを見据えていた。こんな本気の師匠など見たのは何十年ぶりだろう……
「それは今のナルスが知って良いことではないわ。それに――時が来るまで《・・・・・・》口にするべきでもない《・・・・・・・・・・》」
「……っ?!」
朱色の唇がつむいだ音は、強力な言霊だった。
圧倒的な魔力に支配されたナルスは、許し《・・》があるまで二度とそれを口にすることは出来ないだろう。
そうか、それほどまでにあの存在はこの家族にとっての庇護対象か……!
あの小さい生き物に彼らが何を求め、何を待ち設けているのかは知らない。だが、どんな理由があろうとあの子供が害されることは、彼らにとって許されざることなのだ。それがどんな形であろうとも。
自身をねじ伏せる力に青ざめながらも、ナルスは声を押し出すために乾いた唇をなめる。
言葉とは確認と意思表示のためにもあるものなのだ。
「あの子は図書院の領域内ってことか。師匠は俺に共犯になれって……?」
「あなたにとって、損ではない、でしょう?」
師匠が向ける瞳の色に、まるで試験を受けているようだと少々懐かしい寒気を思い出しながら、ナルスは唇の端をゆっくりと持ち上げてみせる。
「……少なくとも、美味いものは食べさせてもらえるんだよな?」
にやりと男くさい笑みを浮かべる弟子へ、もちろんと頷いて師匠は満足げに微笑んだ。
和らいだ圧力に内心ドッと冷や汗をかきつつ、ナルスはそれとなく情報開示の譲歩を求める。
「まずは、入学を急ぐ理由ってのから聞かせてもらいたいところだが」
「なかなか面白い一覧があるのだよ」
この師弟を前に動じた様子もなく穏やかに微笑むアリストルが、手元の魔法紙にある一覧を呼び出した。
それを覗き込んだナルスは表題と内容を眺めやり、苦笑と共に頷いた。
「……なるほどなあ。こりゃ確かに三年後がいいや」
この後も、いくつかのやりとりを交わしささやかな企みへの全面協力に同意してようやく館を退出する。
たとえ無事に入学したとしてもそれで話は終わらないな、と考えながら、ふとこの場にいない当の本人について思いを馳せた。
自分の腰にも届かない華奢な身体。
撫でた時の小さな頭。
魔法紙を摘む折れそうに細い指。
甘い菓子を食べて屈託なく笑う幼い横顔。
ささやかな褒め言葉にはにかむ無欲なまなざし。
――そして、時に深淵を見つめるかのような底知れない黒瞳。
守られるために存在しているような、あの頼りなくも安らぐ造詣。しかしそれに収まらない知性と精神。
あれを育てるために自分が必要というなら、どんな企みの共犯にも甘んじよう。自分が抱えている大きすぎる借りを少しは返せるかもしれない。
(……いや違うな)
恩を返すためなどとはただの言い訳だ。
おそらくは自分が見てみたいのだ。あの幼い子供が育った時に人々が受ける衝撃というものを。自分一人だけがこんなに引っ掻き回されるなど損ではないか。どうせなら皆が腰を抜かすがいいさ。
世界中が驚くその瞬間はさぞ痛快だろう、とナルスはまだ見ぬ光景に期待を寄せながら、先の読めない舞台に己が人生の一部をチップとして乗せる覚悟を決めていた。
メリアとアリストル、つまりトールの表記違いは、ナルスの精神的距離の差です。
アーレルの名前は、アイルがギルドに登録した偽名です。
本名は登録したくなかったらしい。
他の細々については、活動報告にて。




