024 ナルス・グレイ
短めですが。
「……なんだこの、俺死亡のお知らせ」
仕事から帰宅したナルス・グレイは、休暇中の上司から届いていた『私的な手紙』を手に棒立ちで青ざめた。
無意識のうちに気配を殺し周囲の様子を窺うが、四十過ぎて独身貴族を気取るナルスの自室に本人以外いるはずがない。盗聴盗撮の魔道具は仕事に差し障るので、周辺へ設置されていないかを日常的にチェックしている。私的領域となればなおさら、他人の耳目を気にしてくつろげないなど願い下げだ。
例外的に、常識外れな上司が悪戯で仕掛ける魔道具をたまに感知できないこともあるが、そもそもそんなものを仕掛けられなくともなぜか個人情報ダダ漏れなのであまり関係ない。若い頃付き合っていた女性に二股かけられた末に駆け落ちされた時、当事者のはずの自分より情報が早かったくらいだ。あれは影で泣いた、泣いても許されるだろう。だが、泣いた理由が振られ方よりも、あの上司に先に知られたうえに本気で慰められたからだと後で自覚して落ち込んだが。
それはともかく、とてつもなく強引に長期休暇を宣言して姿を消した上司と公的な手段以外で連絡を取ることが出来ると他の人間に知られたら、それだけで仕事が激増する。警戒するのも当然だとわかってほしい。むしろ、こんなものを送ってきた本人にそれを言いたい。
「ああ、一応差出人名は誤魔化してんのか」
誤魔化すというより宛先以外はワームがのたくったような記号が記されているだけであるし、ナルスが手にとって初めてわかるような仕掛けをしてくれているので、よほどの人間でなければこれが彼女からの手紙だということは把握できないだろう。
大体、わざわざ手紙なんかを送りつけて来る時点で……、いや待て、郵便扱いの印がないということは普通には送られてきてないだろう、これ。
つまり、直接この部屋へ転送してきたということか。仕事の機密は一切持ち帰っていないが、それでも侵入者対策の為ある程度結界を張りっぱなしなのだ。それを破りもしないで軽くすり抜けて送りつけたと。その念の入れようにますます嫌な予感しかしない。
「どんな厄介ごとを持ち込む気なんだ、あの人……」
とりあえず、手紙を開く前に酒の準備をする。素面で読める気がしないし、読んだ後精神的余裕が残っているかの自信もない。
窓の外を確認してから鎧戸を閉める。蒸留酒を瓶ごと手元に引き寄せ、念のために遮音結界を張り手紙の封を開けた。
「……は? 養女ぉ?!」
読み進めるなり思わず叫び、慌てて口を閉ざす。
同種族と接触するのも億劫がり弟子を取るのも気まぐれなあの人が、わざわざ養子縁組の手続きまでするとは一体どんな心境の変化なのだろう。
「あるいは――その子供に、それだけの価値があると見たか、だな」
上司からの連絡に驚かされるのは今に始まったことではない、と思い切りつつ続きに目をやる。
読み進めていくに従って、自分の顔が奇妙に歪んでいく自覚は大いにあったがどうしようもない。絶叫して手紙を投げ捨てないだけ我ながら忍耐力が上がったものだ。泣きたい。
まず一通り読み終わり、複雑な面持ちのまま酒瓶に直接口をつけた。
「……あの人の養女の、推薦人ねぇ」
覚悟していたほど酷い頼まれごとではなかったことに、心から安堵する。
優れた素養を持つ子供を表舞台に送り出すことは、先達として当然のことだ。送り出すというより、引っ張り出すの方が心情的には近い。少しでも育って自分たちの同僚として、あるいは研究の仲間として力になって欲しいと思う。そのための先行投資はいくらでも惜しくない。
そのうえ、上司の人材観察眼についてはナルスは欠片も疑わない。あの人が教学院へ推薦しろというなら、どんな素性でも間違いなど有り得ない。
しかし、ともう一度送られてきた手紙を凝視した。あの上司のことだから、すべてを額面通りに受け取ることはできない。それで安心して酷い目にあったことがどれだけあっただろう。本人にそれを言えば、可愛くないだのなんだのと不機嫌になるので苦情すら言えないのだが。そもそも冒険者上がりの四十男が可愛くてどうすると言ったら、昔の黒歴史を引き合いに出されるので余計に何も言えない。
対策はひたすらに何か裏がないか何か言葉尻に仕掛けられていないか注意するしかなく、しかしそのおかげで外部の権力怪物たちとも遣り合えるようにはなった。……考えるだけむなしくなる、止めよう。
一息ついた後、何かこの文章に隠されていないかともう一度隅々まで舐めるように確認していく。
ひとまず「養女可愛い」はよくわかった。あの《・・》旦那までが可愛がっていることもわかった。養女の料理自慢もわかった。延々続いたその最後に用件が三行だった。休暇の穴を埋めている健気な部下へ労りの言葉はほとんどない、いつも通りだった。
……なんだろう、部下たちの惚気話聞いてるより疲れる。
「詳しい話は行かなきゃわからんってことか。俺にどうやって仕事抜け出せっつーんだ、あの人はよ」
唸りながら頭をかきむしる。
これでも自分は、『共立中央技術院、付属法術研究室主任』という似合わないにもほどがあるご立派な肩書きを持っているのだ。研究室の責任者たる室長がいない今、自分まで行方をくらませば可哀想な部下たちの死屍累々間違いなしである。
だが、ここまで明確に来いと言われている以上、行かないという選択肢は選べない。選ばせてもらえない。
「だぁーーーーーーーもう! しょうがねぇ、小一時間くらい行方くらますか。あの人らなら、何か良い転移の魔道具持ってるだろ」
半日も姿消すわけじゃあるまいし、と言いながらやっていることのベクトルは「あの人」と大差ないという自覚もなく、ナルスは私的な呼び出しに応える旨、ご丁寧に同封された魔道具経由で上司へ連絡を入れるとそのまま酒瓶を掴み寝室へ直行する。
寝よう。どうするかなど考えず、今はただひたすら無心になって寝よう。
眠っている間は、……いや、上司の魔道具の仕掛けなく眠っている間は、きっと平和に過ごせる。
それがつかの間の平和だということは、誰に言われずともナルスはよく知っていた。目覚めた瞬間には鼻先に上司からの返信が届いていることなど、予想の範疇で――
「……今日の茶菓子は、ってつまり今日の昼には来いってことかよ!!」
いつも通りの無茶振りに、自分が頭を抱えることになるのもナルスはよくわかっていたのだから。
それがどれだけ無理難題でも、絶対の上司かつ、泥水をすするようにして生きていた自分を弟子として拾ってくれた師匠の信頼に応えようとしてしまうことを、ナルス・グレイは十二分に自覚していた。




