021
切れないので、二章の中ではちょっとだけ長め。
説明回でもあります。
「まず、その用紙から見せてもらおうかな」
「これのこと?」
「私が持つと余計な魔力で影響を受けそうだ。お前が持っていなさい」
トールはレシピの記された紙を差し出そうとしたアイルの動きを留め、持たせたままの用紙へじっと視線を注ぐ。指先が紙面をなぞるような動きを見せるものの、実際は用紙に触れるほどの距離ではなくかなり離れた位置でのことだ。
書字法術に精通しているのは当然トールしかおらず、ミアだけではなく他の二人もトールが何か調査中なのだろうということくらいしかわからない。
とはいえ用紙一枚のこと、トールもさほど時間もかけずに調査を終える。
「……なるほど。少し試してみようか」
ひとまず納得、と言いたげな面持ちに首を傾げたミアは、目の前へ差し出された魔法紙に目を瞬かせる。
「まずは一枚使って実験。ミア、君の手元にある本のうち、どれでも良いから特定の箇所を思い浮かべてごらん」
「……はい」
「この紙を持って、……そうだな、その頁をめくって該当の箇所が出てきたように意識をしてみなさい」
ええと、頁をめくったら手元にその箇所、と――
動作を交えたほうが良いかと思って、目を閉じながら手元の紙をひっくり返す。
かすかに指先から熱が逃げるような感覚と共に、手元へ色鮮やかな渓谷の風景が展開される。壮大な瀑布の上空に架かる二重の虹。もちろんこんなに鮮明な画は、持ち込んだ写真集の一頁からだ。
「これは、あのシャシンシュウね」
軽やかな足取りでメリアが該当の書籍を持ってくる。メリアはどの写真集も大層気に入っており、ミアの部屋で茶菓子を摘みながらよく一緒に眺めている。全てとは言わないだろうがどの写真集にどんなものが収録されているか覚えたのだろう。丁寧に頁をめくり、ミアが持っているものと寸分違わぬそれ《・・》を特定して差し出して並べた。
「ああ、間違いなく同じものだね」
「へぇえ、一度で成功ってのも悪くない」
「ホントね」
嬉しそうな三人の様子に些かくすぐったい思いを味わいつつ、トールに促され手元の紙をメリアへ手渡す。メリアは写真集と一緒にそれを預かってくれ……あれ、紙のサイズ変わってない? 元はせいぜいA4サイズくらいの大きさだったのに、頁見開き分まできっちり拡張されてるような……
思わず二度見したミアへ、「質問は後で」とトールが微笑んでミアも首を傾げながら頷いた。
「次は、『せんぺんいちりつ』という単語に関する頁を呼んでごらん」
「えええええ……」
なんだか急に難易度が上がった?! それまだ綴りを見たこともないですよ!
ていうか自分が知ってるのと同じような響きの言葉がこっちにもあったんですね、日本語ならちょっと考えれば単語も思い浮かぶでしょうけど……って、あれ?
手渡された新しい魔法紙を摘んだまま顔を引きつらせると、先ほど写真を映した時よりもう少しだけ大きな熱が既に動いていた。
ふと目を落とすと――なぜか国語辞典の頁が。これ日本語!!
「ほう……、瞬時の記憶に影響されたようだね」
トールのみが好奇心を垣間見せつつ、同時に納得の様相で頷く。他の二人も手元を覗き込むが内容が日本語なので当然読むことは出来ない。
「ミア、これはどんな頁なの?」
「ええと、日本語……故郷の母語の辞典からです。父様が言った単語はここ」
指で『千篇一律』との記載箇所を示すと、メリアから控えめながら興味深げな声が上がった。そうか、こんな表記と内容だっけ。
「たしかニホン語って表意文字だったわね。なんだかやり方次第では文字だけで法陣が描けそう」
おおう、さすが法術の研究者……発想がそれっぽい。
しかしこれ以上の追求はない。研究よりも娘への比重が高いのは当然のようだ。トールの苦笑にメリアはあっさり引き下がる。
「それについては、また時間を改めて話をしてもらうとして」
「そうね。ミア、また今度教えてね」
「あ、はいっ」
慌てて頷くミアから手元の紙が引き抜かれ、また新しいものと入れ替えられる。
「では最後に……ふむ」
つかの間なにやら思案したトールが立ち上がり、ライティングデスクの上で短文を書き付けて戻ってきた。
魔法紙を持ったままのミアへその上半分を見せてくる。
「読めるかな?」
「読めません」
「では、この文字を脳裏に描きながらそれに関係した頁を呼びつけるつもりで」
「それはちょっと……」
無茶が酷くないですか、といいかけた声がトールの笑みに封じられる。このようなトールの無茶振りは初めてだが……多分必要なことなのだろう。
トールの指示にミアは少々泣きたい心持ちで文章を睨みつけるようにして集中するが、当然何も起こらない。
涙目で見上げる視線にわずかばかり苦笑して、トールは次いで用紙を裏返し下半分の文章を見せてきた。
「今度はこちら」
「あ、これなら大丈夫です」
ぱっとミアの表情が明るくなった。
この文章は、数日前書斎で辞書を調べながら書き取りした――あれ?
特別意識もせず、すうっと指先から熱が抜ける。驚いて手元を眺めると、そこには数日前調べたばかりの一文が抜書きされた状態で記されている。
「これで確定、だろう」
「えっ?」
まじまじと手元を見つめていたミアは、納得の響きに顔を上げた。やはり、先の無茶振りも意味があったらしくトールは今現れたばかりの文章をすっきりした面持ちで眺めていた。
「ミアが間違いなく書字法術を使えるようになったこと。それから、ミアが今使っている法術の傾向もね」
「トール、それは本当に?」
「ああ、おおよそのところも把握できたと思う」
「ミアすごいわ!」
大喜びでミアをぎゅうぎゅう抱きしめるメリアだが、ミアからすると地味なこの法術がどうすごいのかがいまひとつピンとこない。
とりあえず、窒息しそうになる寸前でメリアの腕をタップして必死で危機を訴えるだけだ。
ちなみにこの間、兄は国語辞典が呼び出された用紙を面白そうに眺めていた。つくづくマイペースである。
「ここからは書斎の方が話しやすいのだけれど、移動しても構わないかな?」
ミアにそれを否定する理由はない。
メリアの腕から開放されて頷くミアへ「ああそうだ」思い出したようにトールが新しい魔法紙を一枚抜き出した。
「先ほどのミアの疑問だが」
先ほどの疑問というものが特定できずにきょとんとしているミアの前で、トールは小さい詠唱とともに手首を返す。A4ほどの用紙だったものがB3ほどの世界地図になりミアは目を丸くした。
ああ、なるほど。これは写真集の時のサイズ拡張についてだ!
「このように対象を明確に意識すれば、少しくらいの面積拡張は可能だよ。さすがに壁一面の大きさとはいかないけれどね」
「……ただの紙じゃないから?」
「そう、ただの紙に見えても魔道具ということだ」
笑いながら地図を小さく指先で弾くと途端に元の白紙へ戻る。トールの意識一つ、動作一つで姿を変えていった用紙をまじまじと見つめた。一見地味に見えるが、これは……もしかして予想以上に汎用性の高い法術なのではないだろうか。
見上げた視線の先で微笑むトールにその高揚感が伝わったのか、偉大な先達は悪戯っぽく唇の端を吊り上げてみせる。
「すべて使い方ひとつだよ」
「……私、色々覚えたいです!」
「よろしい、では私の弟子ということだね」
「はいっ」
やはり、初めての『魔法』というものに期待をしてしまう。引き金がマヨネーズのレシピということにはいまだに解せないものはあるが、トールの師事を仰げばこれは色々先が楽しみな法術かもしれない。
そんな期待を胸に瞳を輝かせソファーを滑り降りるミアは、希少法術の使い手という事実がこの世界でどれだけの重みを持つかまでには考えが至っていなかった。
その現実を身をもって知るのは、随分先になるのだが。
「さて。ミアがやる気になったところで、これから書字法術の詳細について解説するとしよう」
真剣な面持ちで頷いたミアは、メリアやアイルまでがこの場へ腰を据えたことに気付いて二人をまじまじと見つめた。
特に、ミルクアイスを持ち込んだアイルを。
「兄様、完全に見学者っぽい……」
「そのまんまだよ。だって、俺には一切適性がないからねえ」
「あなた、それをこぼして部屋を汚したら怒るわよ」
のほほんと笑ったアイルがメリアに睨まれ首を竦める。
「見学者というのはわたしも同じよ。書字法術については、適性がなかったから今まで詳しく話を聞いていないの」
「おおよそのところは話をしたことがあったよね」
「ええ。でも娘が関わる法術なら、私も詳しく聞いておきたいじゃない」
真剣な眼差しに、トールもそれ以上何も言わず頷くに留まった。
「――私がここでミアへ見せた書字法術は、四種類だったね」
『検索』
『一覧参照』
『再読』
『書架移動』
ゆっくりとそれらを挙げていきながら、トールはひとつひとつ解説を始める。
「そもそも書字法術というのは、一般法術や単純な属性では説明の出来ない『書』と『文字』に関する法術全般を指して呼ばれている名称だ。現存する法術から傾向はある程度判明してはいるけれど、研究の余地が大いに残された法術だとも言えるね。実際、新しいタイプの法術が組み上げられることもある。
今のところ系統として確認されているのは、検索・精査、筆記、一覧、封印、修復、そして召喚。大別するとこれだけかな」
「父様、『書架移動』は?」
「一応召喚の一部として認識されているよ。こんな風に」
トールが呟くように呪文を唱えると、背後の書架から一冊が飛び出して差し出された掌へストンと収まる。手首を返すと、再びひとりでに書架へ戻っていった。
すごい。これはすごい。
これが覚えられるなら、読書や調べものがどれだけ楽になるだろう。
瞳を輝かせるミアは、
「ただ、魔力の操作は確実に覚えなくてはならないよ?」
読まれているかのようなトールの釘刺しに小さく唸る。魔力を感じられる程度の現状からすると道のりは遠そうだ。
「『検索』は言うまでもなく、検索・精査だね。『一覧参照』と『再読』は、一覧。これは図書院では「目次」とも呼ばれることがある」
それ以外にも、紙や書籍から情報を読み取る精査系法術もあるとのこと。
他の系統についても話が及ぶ。
修復系は名前そのまま、紙面を水濡れなどから原状回復させるものであるとか、筆記系は人手に拠らず文章や図画を紙面へ綴る法術で、修復系と並んで書字法術の特徴を成しているものであるとか。封印系は禁書や禁書庫などに使われるが、一般法術でも近い働きをするものがあるとか。
共通するのは、基本的に術者が読んだことや触れたことのない書籍、文面はその効力外であるということ。
「はいっ!」
「なんだい?」
しゅぱっと勢い良く手を挙げるミアに、笑いながらトールが発言を促す。
「私が使っていたのは、召喚系?」
「大筋のところはそうなるね」
「……?」
召喚以外に何か要素があっただろうか。
輝くばかりの笑顔から一転、訝しげな面持ちへとコロコロ変わっていく表情の動きにトールは目を細める。
「自覚はないと思うけれど、君が使っていたのは『召喚』と『検索』の両方だと思うよ」
「えーと、……全然わかりません」
「だろうね。新しい形式の法術だという自覚もないね?」
「……ええっ?」
当たり前だが、ミアにそんな自覚はまったくない。そもそも、使おうと思って使った法術ではないのだ。
うろたえる娘を楽しそうに見つめ、トールは明るい声でこう続ける。
「いくつか君に実験してもらっただろう? その中で確かに『召喚』と特定できるものもあったけれど、それを越えるものもあった。
私が君に地図を見せたように、特定のものを明確に呼びだすものが『召喚』。これは最初のシャシンシュウと、最後の辞書からの抜き出しが当てはまると思う。けれど、二度目のあれは少し違う」
「……同じように思えるんだけどそうなの?」
身を乗り出すメリアへ小さく頷く。
「従来の『召喚』は、過去に目を通したことのある文面や書籍から、最初から明確に対象を絞り込んで魔法紙へ反映させる法術だ。ところがミア、君は二度目の実験で対象を特定せず自分の曖昧な記憶だけで、以前に読んだ頁を呼び出したね?」
「……よく覚えてないけど、多分……そんな感じだった、かも」
ミアが間違いなく頷けるのはあの国語辞典は意識してのものではないという点だけなのだが、どうやらそれが大きな違いらしい。
「それはおそらく、『検索』が並行処理されているはずだ」
「並行処理?」
「見ていてごらん」
トールは一枚魔法紙を取り上げる。
「通常は、『検索』で情報を吸出し『召喚』でそれを紙面へ反映させる」
滑らかで淀みない一連の流れから、トールが持っている紙面へ何れかの文面が呼び出された。
一度目の詠唱で周囲の書籍が淡く光り、二度目の詠唱で魔法紙が淡く光ったのを感じた。おそらくは魔力の作動が視認できたゆえだろう。
「このように、既存の法術では二段階に法術を展開する必要があるのだけれど、ミアからは二種類を別々に使った様子はなかった。記憶にある曖昧な領域から情報を特定し魔法紙へ反映させる、これを一度きりの発動で行う法術というのは少なくとも私は初めて見るね」
「……そんなに、ですか?」
なんだか、今までにありそうな気はするのだけど。笑顔のトールを疑うわけではないがそんなに大したことのようには思えない。
いまひとつピンとこない面持ちで眉を寄せたミアへ、メリアも苦笑気味で声をかけてきた。
「ミア、無意識に並行処理ができるというのはすごいことなのよ」
「そうなの?」
「そうよ。前にも話したでしょ、一般法術の複合型は難易度が上がるって。別種の働きを同時に処理するのだからそれと同じことなのよ」
「二度術を行使するより一度で済む方が、何かのときの優位性は上がるからねえ」
いまいち一般法術の複合型と同格には考えられなかったが、アイルの言いたいことはなんとなくわかったような気がした。冒険者視点の、動作が少ない方が有利なのだという主張はミアにとって脳裏に描き易いシチュエーションだ。そんな状況に陥る自分という想像はできなかったが。
……なるほど。インターネットでも、特定の単語検索より曖昧検索で情報を抽出できる方が高性能だったような気がする。
ようやくスッキリしたような顔色を見せた娘へトールが微笑んだ。
「地味に見えるかもしれないけれど、新しい法術というものはそれだけで価値のあるものだということだよ」
「……はい」
ミアは神妙な面持ちで頷く。
地味かなぁと少々ガッカリしていたことを見抜かれてはいなかっただろうか、と再び父の洞察力に内心冷や汗をかく思いだったことは口にしない。
「一般法術も属性の影響を受けるとはいえ、書字法術の修得はそれすらも無視した完全な個人の適性依存だ。だから、一口に書字法術と言っても人によってどれを修得できるかはそれぞれ違う。私も使えないものがあるくらいだよ。
そうするとミアは既に系統二種が使えるということで、これは他にも覚えられる系統があるかもしれない。楽しみだね」
「じゃあ、もしかしたらもっと色々……筆記とかも覚えられるかも?」
「やってみなければわからないとはいえ、少しは期待して良いかもしれないね。それより今覚えている法術を磨く方が先だろうけれど」
ミアは熱心に頷く。書籍に親しみまくっていた身として考えると、これ以上楽しみな法術もないだろう。なんだか使用箇所と目的が制限されそうな法術ではありそうだが……
「ああそうだ。ミア、もしかしてこの法術ではあまり派手なことはできない、とか考えてたりしないよな?」
「……ちょっと思いました」
だからどうしてこの家族は人の心を見透かすような発言が多いの……!
しかも、アイルからそんなことを言われると妙に腹立たしく感じる。悪気があるとは思わないが、多分イタズラを思いつきましたというその笑顔のせいだ!
少々むくれるミアに笑顔を向けたアイルは、続いて思いもよらない提案をしてのけた。
「よし、じゃあ父さん」
「うん?」
「久しぶりに模擬戦はどうだろうなあ?」
は、模擬戦?
……書字法術でどうやって?
ようやく「ビブリオテイカー」への道がスタートです。長かった…
千篇一律は、詩歌の文化があれば似たような単語も生まれるかと。
法術が地味なのは、ミアが覚え始めということもありますね。
エフェクト(笑)が地味というのもありますが。
派手な司書業務というのも居な…、ああ戦闘は派手か…




