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少女は白本を抱いて世界を渡る  作者: 柚森 信
二章:覚醒
20/44

020

 


(なんだろう、この、ものすごいションボリ感……!!)


 あまりに悄然として見えるのだろう、若干メリアがおろおろしている様も申し訳なくて居たたまれなさも加速中なのだが、それでもミアはまだ立ち直れない。


 もしかすると、ミアは自分でも気付かぬうちに法術というものに対して過度な憧れを抱いていたのかもしれない。

 メリアが見せてくれた様々な法術はとても華やか、かつ鮮やかだった。実験として見せてくれたのでおそらくかなり威力を殺していたのだろうが、それでもそれらの法術が見せた力の片鱗は圧倒的であり、それらを行使するメリアは大変悠々として艶美でさえありその姿に目を奪われた。

 トールが見せてくれた書字法術は、視覚的衝撃もさることながら大量の書籍を制御する緻密さも素晴らしく、後で思い返せば美しいとさえ言えるその軌跡の正確さに溜め息が出るようだった。もちろんそれを操るトールも凛然として格好良かった。

 しかし、それらはあくまでも法術の限られた一面に過ぎない。


 法術とはある意味サイアニアスの生活に密着した技能だ。厨房でメリアが使っていた法術を見ていてもわかるように、日々の生活のなかで些細な作業を補助するための法術も沢山ある。法術の理論を応用してトールが、あるいは職人たちが作っている魔道具も当たり前のように日常生活の一部に溶け込んでいる。派手なだけではなく堅実に人々を助けることも法術の一面だ。

 頭ではわかるのだ。理性でもそれは当然だと納得はできる。目立たない積み重ねが学術を支えているのだと。

 だからといって、初めて発動させたと思われる『書字法術』のその内容がこれ《・・》というのは。


「マヨネーズのレシピ召喚って、あんまりにも残念過ぎない……?」


 本当に泣いてもいいですか……

 深々とやるせない溜め息をついたところで、横からそっとマグカップが差し出された。


「ミア。とりあえず、これを飲んで落ち着きなさい」


「……はぁい」


 湯気の立つホットミルクを受け取ると、隣へ腰掛けたトールがかすかに苦笑めいた笑みを浮かべていた。

 飲む邪魔にはならない程度にそっと黒髪を撫でられる。何度か繰り返される優しい仕草と身体のうちから伝わる暖かさに、ようやくミアの精神も落ち着きを取り戻し始めた。


「さて、もう話をしても大丈夫だろうか」


「と……取り乱しまして、すみません」


「それはもう気にしなくて良いから」


 初めての事態に取り乱すのは当たり前だ、とトールは微笑んでくれるが、その言葉にもミアは内心ごめんなさいの嵐だ。


(違うんです、微妙に違うんです、いや完全には違わないけど初めての事態っていうより内容の残念さにパニクったんですぅぅぅ……っ)


 相手が善意の塊であるだけに改めて否定を口にするのも気が引ける。なんとも言えない呻きを漏らしながらもミアは無言で頷くに留めた。


「さて、先ほどの二人の説明で発動時の状況は、多少把握できた……と思う」


 トールが確信を持って断言できないのは、ミアの事情が微妙に不透明だからだろう。それでも事態そのものはしっかり確認できているようだ。


「とにかく、ミアの魔力が動いたことは私たちも認知している」


「あー、やはりそこは感じた?」


「この屋敷いえの中で、あれだけはっきり魔力が働いたことをわたしたちが見逃すはずないでしょう?」


「やはりそうか。初めての発動だったせいか、書字法術なのに結構大きく魔力が動いたからねえ。父さんの時は使ってるのに気付かないこともあるくらいだけど」


「使い慣れている私と比べるのが間違いだよ」


「まあ、そうだね」


 二人が駆けつけることについては予測済みだったのだろう、アイルはあっさり頷いただけだ。


「ねぇ、ミア。どこか身体の具合が悪いとか、気分が悪いとかそういうことはない?」


「ええと、今は特にそういうのもない、かな?」


「……『今は』って?」


「後からどうなるかわからないかなっていうのと、昨日夜までの変な感じも今はしないし……」


「昨日夜? その話は初めて聞くね」


 トールの声がわずかに硬くなり、ミアは「あっ」と口を覆った。恐る恐る隣を見上げると、いつもの穏やかさが幾分鳴りを潜めてほんの少し厳しい視線がこちらに向けられている。

 顔色を変えたメリアも慌てて駆け寄り、肘掛けの外からミアの額や首筋に触れ始めた。向かいに座るアイルもやや険しい面持ちだ。


「ええと……」


「心配をかけるから黙っていた、ということかな?」


「……はぃ」


「何か少しでも異常があったら素直に言うという約束だったはずだが」


「自分で大したことないって、思って、しまって……。あの、ごめんなさい……」


 それが全てではないものの半分以上は真実も含んだ言い訳を口にする。ここまで心配をかけておいて、このうえ「世界に異物扱いされているかも」と悩んでいたことなど言えるわけがない。空になったマグカップを抱えたまま小さくなるようにして謝罪の言葉を搾り出すと、重い溜め息が三重唱で聞こえた。

 心配してのこととわかっているから怖くはないが、本当に色々と申し訳なさ過ぎて反省しきりだ。


「わかっているようだから重ねて言う必要もなさそうだが、素人判断は危ないのだよ? ……いいね?」


「はい、ゴメンナサイ」


「もういいから、今度はちゃんとわたしたちに言うのよ?」


「はい」


 眉を下げて頷くと、泣きそうな顔をしたメリアにぎゅうと抱きしめられる。柔く甘い香りと極々かすかにその中に混じる薬品の匂い。

 メリアに抱きしめられて感じるいつもの香りが記憶に刷り込まれつつある。これがファミアーシュの母なのだという記憶がゆっくり根付いてくるのを感じ、ミアは少しだけ伸び上がり柔らかい頬にそっと唇を触れさせた。

 少し驚いて身を引いたメリアへニコと微笑めば、メリアが破顔すると同時にブーイングが飛ぶ。

 えっ、なんでブーイング?


「本当に、父さんと母さんはずるいよあ」


「ふふーん、いいでしょ。羨ましい?」


「すごく恨めしいね!」


「………」


(……これが、数百歳と二百歳の会話……)


 煽る母様も母様だけど、これだからカッコいいという発言から遠ざかるのですよ、兄様。

 どこかの大喜利のようなやり取りに少しだけ眩暈を覚えていると、隣から押し殺した溜め息が聞こえた。ちらりと視線を向けると、トールがほんの少しだけこめかみに指を添えていた。ああ、ですよね……。


「あの、ええと、とにかく今回は寝て起きたら治ってたので、余計に言いそびれてました。ごめんなさい」


 これは自分の責任だろうということで軌道修正と報告を兼ねた発言を試みたところ、メリアが真顔に戻った。良かっ……、なんか戻りすぎてませんか。


「寝て起きたら……ということは、寝るまで続いていたということね?」


「そう、だけど」


「…………」


「……母様?」


「ミア、とにかく今はもう問題ないのだね?」


「今はもう大丈夫」


「そうか。だが後で一応詳しく調べてみよう、いいね」


「はい」


 少々難しい気配を見せるメリアは、「ということだから」と宥めるようなトールの呼びかけに諦めたように肩の力を抜いた。


「そうね、過ぎたことを今考えても仕方がないわ」


「そうだな。今注目すべきは、ミアが発動したという書字法術の種類だと私も思う」


「これのことだよねえ」


 ミアの膝から落ちていた紙をいつの間にか拾い上げていたアイルが、興味深げにそれを眺めている。


「ミアの持ってる本と似たような印刷かなあ? ところで、さっきコレが何だって言ったっけ」


「……マヨネーズの、レシピ、ですね」


「レシピってことは料理関係? ていうか、なんでそんな言いにくそうな、ものすごーく不本意な顔してんの?」


「私も、なんで兄様がそんな面白そうな顔してるのか訊きたいんですが!」


「おかしいなあ、そんな顔してる?」


「してますよ! ……ああもう」


 わかっている、突っ込む隙を与えた自分が負けなのだ。こういうことはきっと、異世界の文字だから内容などわからないはずだとサラリと流せばよかったのだ。


「派手に動揺した私が負けということですよね、わかります」


「いや、勝ち負けの話じゃなく」


「マヨネーズというのは――!」


 兄様が何か言いかけているが聞く余裕はない。私の精神的平穏のために全力でスルーさせていただこう!

 そして、こうなったらいっそマヨネーズの魅力を語りつくしてやる! 私の初めての書字法術発動が大したものじゃなかったなんて思わせないぞ!!


「万能調味料です!!」


 別に自分はそこまでマヨネーズを希求していたわけではないはずだ。そもそもマヨラーだった記憶もない。

 だというのに、何のスイッチが入ってしまったのかあるいはリミッターが外れてしまったのか、誰が止める間もなく怒涛の勢いでマヨネーズという調味料とその魅力について不必要なほどに滔々と語る羽目になってしまっていた。

 こうして、思いつく限りのマヨネーズを利用した料理までを語り尽くして我に返ったミアの目の前には――


「是非レシピの翻訳をお願いね! 色々作ってみましょう!」


「ミアって、何がスイッチになるかわからないよねえ。ホント面白くて可愛い」


 未知の料理に目を輝かせるメリアと、ミア本人へ更なる興味の視線を向けるアイル、そして、


「……とりあえず、私は書字法術についての話を始めても大丈夫かな?」


 相変わらず穏やかに成り行きを見守っていたらしいトールが、微笑みとともに次の話題を用意して待機しており、自らの行動に多大なダメージを負っていたミアは父の優しい問いかけに精神的追撃を受けつつ無言で頷くしかなかった。

 優しさは時として残酷となる、という事実をミアは涙目になりつつその身に強く刻んだのである。


 

マヨ嫌いな方には申し訳ない流れに。

手作り可能だけどうろ覚えじゃ作るにはちょい厳しい調味料、というのが基準です。


覚醒引き金のガッカリさに打ちひしがれるミアですが、

これから先もマヨネーズが付きまとうのかどうかは不明。


父様の次回フォローに期待します…

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