019
短いですが、少しはキリの良いところで。
「………」
「…………ミア?」
「いやいやいや、ちょっと待って」
「うん、俺はいくらでも待てるけど」
茫然自失から抜け出せないままのミアに対して、一足先に平常心を取り戻したアイルはソファーに寛いで興味深げにミアの手元を眺めている。ついでに隣へ移動しようとしたが、それについては立ち上がろうとした瞬間に半無意識のミアが同調して腰を上げる気配を見せたため、ああこれは確実に逃げられるな、と判断して対面――元の位置へ座りなおしたのだが。
その当の本人は、まだ信じがたいといわんばかりの視線で自分の手元を凝視している。眉間のしわといい胡乱なものを見る目といい、六歳児とは思えないなかなか厳つい様相を呈しているのでそろそろ制止してやるべきだろうか。
「え、ていうか、どういうことなのこれ」
完全に素の状態で呆然と呟いた妹へ、アイルからは明確な答えを出してやることはできない。
「それについては、俺も断言できるだけのものは持ってないかなあ。……まあ多分、『書字法術』が発動したんだろうなあとは思うけど」
「だからなんで?!」
「さあねぇ……」
小さな手に握り締められたその紙には、アイルにとっては未知の文字――ミアが言うところの「ニホン語」が記されており、ミアの持っている「シャシンシュウ」と同じく写実的で驚くほど細密な挿絵が付されていた。残念ながら文字が読めないので内容までは把握できない。
「え、ええと……待って、さっき何があったっけ……」
ブツブツ呟きながら頭を抱え、たった今起きたことを遡って反芻しようとする妹をアイルは実に楽しそうに眺め、ミア本人はありえない状況のパニックから立ち直ろうと必死であった。
必死すぎて、
「なぜとかそのあたりは、もうすぐ来る人たちが多少は詳しいとは思うけどねえ」
などと呟くアイルの声も、まもなく部屋に飛び込んできたメリアの呼びかけにも気付かず、ようやく顔を上げたら三人揃っていたという状況にぎょっとすることになるのだが。
「……ええと、まだ状況を把握できないっていうか、ビックリし過ぎて何が起きたのか自分でもよく思い出せないんだけど」
日本人気質的ななんとなくの勢いでソファーの上へ正座したミアは、手に握りこんでいた紙を開いて簡単にだが皺を伸ばす。この世界のソファーセットには机というものがないため、置き場所に困ってそのまま膝の上へ乗せる。
とりあえず成り行きの説明をとのことだったので、今しがた自分で反芻していた「どうしてこうなった」の流れを追い始める。つい先ほどのことなのに、本当に記憶が少し曖昧だ。後になって冷静に考えれば、交通事故の瞬間が思い出せなくなるのと同じ現象なのだろうと理解はできたが、この時点では今しがた起きたばかりのことが思い出せない状態に酷くもどかしさを感じていた。
「兄様と食事の話をしていた、よね?」
「そうだねえ」
正座するミアを興味深げに眺めていた兄が、鷹揚に頷いて同意する。うん、そこは間違っていない。
「俺が出かけた後からだから、昨日の昼から今日昼までの献立だね」
「あなた何してるの……」
メリアの呆れたような視線を受けるアイルは平然としたものだ。
「仕事で食べられなかった分を近いうちに取り返してやろうかなと思って。こっちの仕事中に、二人とも美味いもの食べただろ?」
抜け駆けは良くないよなあ。
そんな呟きにかなりの本気を感じ、メリアは多少唇を尖らせトールは苦笑を漏らす。食べ物の恨みは恐ろしい、というのは知性ある種族全般でよく見られる概念だ。
「残っているミルクアイスは、後で持ってくる」
「いつもながら、父さんは話が早い」
息子の納得した様子に、トールは「さて、話を戻そうか」と続きをミアへ促す。
「それで、献立の話をしていたのだね?」
「うん……」
どこかたどたどしい口調と幼げな仕草で頷く。衝撃がまだ強く影響しているのだろう。
「今朝の話が終わって、今日のお昼がトルティーヤもど……平焼きパンと母様の作った鶏肉の煮込みっていうところまで話をして」
「ああ、それまだ残ってる?」
「軽食程度なら残ってるわよ」
「じゃあ、後でもらおうかなあ」
「それは構わないけど……」
今このタイミングで言うことか、と幾分非難がましい視線を浴びたアイルが肩を竦める。
「そういえばミア。今日の献立を話題にする前に別の話をしていたよねえ」
「えっ」
本気で失念していたらしいミアが、アイルの指摘にあっと声を上げた。
「そうそう、父様に書斎で書字法術を見せてもらったっていう話!」
「だよねえ」
「その時に『魔法紙』を一枚もらった話もして……」
それで手元に持ってきていたんだっけ。
つい先ほどのことなのにすっかり忘れきっていた事実を指摘され、ミアは膝に乗せたままの皺だらけの紙を見下ろす。よほど混乱していたらしい。
「父さんの法術が凄かったって力説してたんだよねえ。父さんと母さんはすごいって話でさあ。……そういえば、俺はそんなこと言ってもらった覚えがないかも?」
「……兄様はもう少し威厳というか、カッコいいところを見せて欲しいというか……」
「え、俺カッコよくない?」
「……残念な美形だと思う」
「ええー、またそれ?」
脱線しがちなやりとりだが、何気なくアイルがミアの補足をしていることに気付いたかトールもメリアも苦笑のみで口を挟まない。
「仕方がない。また別の時にカッコいいところをお見せするとして、だ……。なんだっけ、父さんの書字法術見て、今朝と、昼の話を聞いて……鶏肉の煮込みだっけ」
「そう、スパイス煮込みとデザートの話で……」
「あれぇ、デザートなんだっけ?」
「……話してない?」
「聞いてないねえ。……その前に、ミアが何か思い出して呟いてたような?」
アイルの指摘を鍵にしながら少しずつ曖昧な記憶を手繰り、眉を寄せたミアが首を傾げた。
「たしか、あれもすごく美味しいけど、他の調味料ちょい足ししたら味が変わ……、あああああ!!」
目を見開き声を上げる。
ソファーに沈みかかっていた身体が勢いで跳ね、膝の上の紙がひらり床へ落ちた。
「マヨネーズ!! だからか!!」
「……まよねえず?」
唖然として見守る両親の前で、ミアは意味不明の叫びを上げ脇の肘掛けに突っ伏す。よくわからないが、震える背中からはなにやら慟哭にも似た強い感情を感じる。……感じるのだが。
「なんで光った『魔法紙』に、マヨネーズのレシピが出てくるのって思ったのよ! 確かにレシピ欲しいとは思ってたけど……よりによって、初めてが!マヨのレシピ?! あたしのバカー!!」
「…………」
「……いや、そんな俺にだってわかるわけないでしょ」
疑問を含んだ両親からの視線を受け、アイルは珍しく心底困ったような風情で顔を撫で。
「多分、なにかが凄く不本意だったんじゃない?」
「……なるほど」
「……とりあえず、お茶でも用意してくるわ」
多大な嘆きを滲ませる娘、そして妹の姿を見つめ、ヘイアース家の三人は多少の戸惑いを抱えたまま粛々と本日二度目のティータイムの準備を始めるのであった。
ミアがパニクッてる間は、ミア視点にはならず…
冷静な話し合いは次回分にて。
マヨラーじゃないから!とは本人の主張。
※
単語を思い出せなくて、そのまま投下した箇所を修正しました。
肘掛けですよ、肘掛け! ……(頭抱え)




