018 アリストル & メリアーシュ
母様寄りの両親視点です。
この二人が出張ると、説明が増えてしまいます
「あの子ったら、ミアのところへ直行したみたいね」
夫の研究室で、道具の調整をする夫に寄り添うようにして魔道書を読んでいたメリアは呆れた視線を屋敷の二階へ――正確には、二階にある娘の私室へと向けた。
「どうせ仕事の後でしょう? 女の子の部屋へ着替えもせずに入るなんて」
「特におかしな気配はなかったから、大丈夫だと思うけれど」
怪我をしている様子もないことだし。
敷地に居る者の動向は、各所に仕掛けてある魔道具を通じてトールがすべて把握可能だ。戻ってきた息子には多少の苛立ちはあったものの尖った気配はなく、特に問題はなかろうと口にすれば、マナーに問題があると妻に反論された。
「いくら妹でも、年頃の娘にすることじゃないでしょう?」
眉を吊り上げるメリアに「なるほど」と苦笑してトールはあっさり自分の見解を改める。
「おそらくミアに叱られるだろうから、君は見逃しておやり」
「仕方がないわね……。これだから男の子って」
唇を尖らせたメリアは魔道書を膝に置いて、溜め息をついた。
「ねぇ、トール」
「うん?」
「あの子の……、ミアの魔力認知は無事に目覚めたと思う?」
「おそらくね」
確信をもって頷く気配に、メリアはわずかな憂いを示す。
「わたしが昨日までに実演してみせた法術に対しては、ミアに魔力認知が目覚めたような気配はなかったわ。一般法術は属性全てを網羅したのに。だから、あの子にはもっと別の方法が必要かと思っていたんだけど……」
「最初は私もそう思っていたよ……。君の研究室で色々解析用意をしていたのに、出番がなくなってしまったな」
「あれはあれで使うからいいの。むしろ、これから役に立つかもしれないわ」
メリアの研究室には、魔力認知を補助するためのありとあらゆる仕掛けを施してあった。これだけあれば、少しでも素養のある人間なら糸口を見つけて魔力認知の能力に目覚めるだろう、というほどのものをいくつも。
魔力認知の能力は、個人の意識体が何らかの形で「魔力」を認知すればあとは自然と目覚め成長するものだ。年齢が上がると意識の柔軟性が失われるため覚醒率は下がるが、糸口さえ得ることができればあとは容易い。
通常その発露となるものは、法術の発動を体感することである。魔力の動きを初めて知覚するのに必要なものなので、動く魔力の大きさで覚醒率も影響を受けるとされている。それもあって、安全と覚醒のための環境を整えた上でメリアは幾つもの上級法術を実演してみせていた。その理由についても実演している法術の階位についてもミアに話をしたことはないのだが。
また、初めて一般法術の魔力に反応した身体はある特有の反応を示す。反動で多少体調を崩すこともあるがそれらには一般人でも対応できるほどのノウハウが既に確立しており、メリアであればミアの特異体質でも十分対応できるはずだった。
しかし、ここでもミアは予想外の反応をみせてくれる。
用意万端で挑んだメリアの法術実演には、ただひたすら感嘆と賞賛の視線を向けていた。あまりにも純粋なそれにメリアもまんざらではなかった。可愛い娘からの尊敬は、息子を一時隔離してそれを独占したくなるほど嬉しいものだ。しかし本来目指すものはそれではない。最大の目的が達成できない状況に、メリアもトールも従来のやり方では彼女の魔力認知を目覚めさせることは出来ないのだと考え始めたのだが。
なんのことはない。彼女の意識が反応したのはメリアが実演した一般法術のどの属性でもなく、ちょっとした思いつきでトールが実演してみせた『書字法術』だったのだ。
「書字法術の方が使う魔力量は少ないはずなんだけど。わたし、結構気合を入れてやってたのよ。だから、法術じゃダメなんだと思って発動媒体が必要かと色々予定してたのに……」
「私を睨んでも困るよ、奥さん」
クツと小さく喉を鳴らしたトールが調整していた器具から手を離した。少々機嫌を損ねたメリアをひょいと抱き上げると、さっさと膝の上へ移し終える。メリアも慣れたもので、当たり前のように横抱きされる形で膝の上へ落ち着くとトールの肩へ頭を押し付けた。夫からの短いキスの後、青褐の瞳が至近距離で若葉色を覗き込む。陽だまりの猫の風情で目を細めたメリアには、もう先ほどの拗ねた空気など毛ほども残ってはいなかった。
「本当に、あの子は予想外の塊ね」
「予想外ばかり起こす子供は困る?」
「そんなことあるわけないじゃない。毎日が楽しくて仕方ないもの! ……だからこそ、あの子にはなるべく平穏な道を探してあげたかったのに」
夫に頬をすりよせながらクスクス笑ったメリアは、溜め息の後「可愛いけど、困ったわね」と苦笑を浮かべるしかなかった。
――法術は、構築、発動、維持を主軸とする。
これは基本中の基本だが、これを「正確に」実行へ移すのはかなり高度な知識と技術が要求される。発動させる法術の理論と成り立ち、術式を完全に把握し発動させたものを、その術式が正しい処理をして終息するまでこれを維持し、必要なら終息後にその場の素因子に乱れを残さないように調整する。ここまでやり遂げて初めて、一流と呼ばれる法術師となるのだ。
しかし、世の中そこまでを完遂する法術師などそうそう居ない。
であるなら、世間一般で法術師と呼ばれている者たちはなんなのかというと、既に確定され安定発動が保障された術式、定型の法術を行使している者たちということになる。もっとも、それにも発動させるに足る魔力と素因子の量、あとは初級を越える法術を扱うための理論を曲がりなりにも理解する必要があるので、彼らに努力もなく才能もないというわけではない。彼らなりの努力がありそれが認められているからこそ、少なくとも中級以上の理論理解――つまりお約束を理解する頭――と発動させる魔力があればとりあえず食うには困らないくらい世間での法術師の地位は高い。
それだけ、一般の法術師と一流――『グラムレイター』と呼ばれる法術師との間には越えられない壁があるということなのだが。
閑話休題。
では実際に法術を行使するのに最低限必要なことはというと、発動させるだけなら「呪文」もしくは「法陣」、そして発動する者が魔力をそこに込められるかどうか……つまり、魔力認知が可能かどうかという点に絞られる。発動の鍵たる呪文や法陣に力を注ぐ行為が、どうしても求められるのだ。本人が魔力を持たない場合は魔石という代用品もあるが、それでもその魔石にどれだけ魔力が残っているかを確認することは必要となる。
高度な法陣も魔石も入手の難しさが条件にはなるが、大変ぶっちゃければ、魔力認知さえできればなんとかなるのだ。
それゆえに、この世界では産まれた子供に魔力認知の能力を覚醒させるための技術が発達している。それさえ可能になれば、道を踏み外さない限り我が子が路頭に迷うことはないのだから。しかしそれは同時に、魔力認知可能な人材が様々な分野で求められているということでもあり、最低限の能力であるはずの魔力認知を持つ存在も多くはないということだ。各国政府の主導で国民全て――王族からスラムの最下層民に至るまでの全てが、一定年齢に達したなら必ず魔力認知のテストをある程度定期的に受ける仕組みが出来上がっているのも、そういう事情がある。
だからこそ。
ファミアーシュには、魔力認知がどうしても必要になっていた。それは、常時発動の魔道具を身に付けていなければならないという理由もある。彼女自身の魔力が日々増加しているためという面もある。その二つが揃うだけで、世間の耳目を集めることになるのは避けられない。彼女の魔力は、暴走予防のため制御の学習を必要とするまでに成長するだろう。
だがそれに加えて、彼女にはこの世界においては異常なほどの知識があった。
彼女の故郷ではありふれた概念でありちょっと小耳に挟んだ程度の話なのだろう。しかし、その小さな知識があるものは大金を生み出しあるものは世界の常識を覆す、それだけの影響と破壊力を持っていると既に予測できるのだ。
それらを「ただの市民」が持っていることを示すわけにはいかない。明らかに騒動の種であり、人の欲望を簡単に刺激して争奪戦が始まることは必至。最悪の事態では世界大戦が勃発するまでになるだろう。
世界にも稀な魔道具、増加の一途を辿る魔力、常識水準から隔絶した知識。
これらを有する理由への説得力と、各国政府すらうかつには手を出せないだけの身分を得るには、ただひとつ。
――共立中央院に属する、できれば法術関連の立場を得ること。これが最終にして絶対の条件。
それがヘイアース家全員の共通した認識だ。
この点に関しては、あの息子ですら即座に同意したほどには優先度が高く、解決必須の懸案であった。
「だから、どうしてもどうしても、ミアには魔力認知が必要だったのよね……」
あの子のことだ。それさえあれば、特に自分たちが口出ししなくても自力で共立中央院で職を得ることが出来るだろう。
それまでは少し色々なものを隠す必要はあるかもしれないが、入ってしまえばこっちのものだと思っている。一般職員から自分たちの助手として引き抜いてしまえば良いのだ。そうすれば、またミアの思うように自由に行動させることもできるだろう。
「今でも、少しくらいは知られてもわたしたちの子供ということでどこからも迂闊な手出しはないと思うけど。……思いたいけど」
思いたいという希望的観測は、身の程知らずにいくつか心当たりがあるからだ。今でも自己防衛のために多少の監視と対策はしているが、娘のためにいま少し対策を上積みしておこうかと何度も話し合いを重ねて。
「――無駄になるものじゃないけど、でも色々と前提も変えなくちゃ」
「あの子の体調不良については?」
「それはある程度想定内。そこのところだけは、しっかり対策が効いたみたいで良かったけど。……もしかして、ミアの顔色が悪かったのはそのあたりの齟齬も原因なのかしら」
「…………」
「トール、ちょっと目が怖いわ。ああもう、また伝え忘れてたわたしが悪かったから!」
「……君のそういうところだけは、気を付けた方が良いとは思うよ?」
「……ごめんなさい」
溜め息と共にわずかに眉間のしわを増やしたトールの膝の上で、メリアはしゅんと目を伏せ――次の瞬間、二人が同時に鋭く視線を跳ね上げる。
「これって、ミアの魔力よね。反応はあの子の部屋から?」
「ああ。そばにアイルがいるから問題はないと思うけれど」
「でも行くわ。わたしもこの目で確認したいもの」
膝の上を滑り降りたメリアが複雑な感情を瞳に宿して素早く部屋を出て行く。混乱しているだろう娘のため、脳裏では既にいくつかの対策を練り始めている。
その背を見送り、
「……もしやと考えて置いておいたものが、役に立ったようだね。良かった」
淡い微笑みを浮かべたトールは引き出しから数枚の用紙を新たに拾い上げると、それを小脇に抱えてちょっとした騒乱状態であろうその部屋へと足を向けた。
母様が「気合を入れて」実演した上級法術の内容を知ったら、
弟子たちが卒倒します。
その後、自分たちも見学したいとせがんで、多分なぎ倒されます。
体験学習と嘯いて娘から突っ込まれるオチ。
そこまで育った弟子は、母様視点であまり可愛くないらしい。




