016 アセアルド・レイル
出かけて間もなくの兄様視点。
雅を保護した時の回想についても多少含みます。
その日、青年の機嫌は底辺をぶっちぎりに越えて最悪だった。
今一番の希望を叶えるためのちょっとした思いつきは、確かにそれが一番妥当だと思えるものでそれについての弊害は思いつかなかったのだが。
「……依頼受諾は本人限定、っていうのはホントうっかりしてたなあ」
眉間に皺を寄せたまま、憂鬱な溜め息をつく。
仕組み的にはそれが妥当であるからそこに文句はない。うっかりと忘れていた自分も原因だ、その点も仕方がない。
問題は、アイルが個人指名の仕事を請けようと思ったら冒険者ギルド本部か、あるいは一定以上規模の支部で手続きしなければならない、という酷く不本意な条件があるという点だ。
あの屋敷から一番近いカレントの街はその条件に該当しない。他の街での手続きというのが、結構厄介なのだ。
転移の手段があるから距離に関して言えばどこでも大差ない。問題は、支部の職員とそこに出入りする冒険者たちであった。
自分を遠巻きにしたままそれでもそれ以上は離れずついて回る冒険者を、アイルは嫌悪の感情を隠しもせずに一度きり眺め、あとは完全にいないものとして扱う。いつものことだが、彼らの一部はそのことに少々不満があるらしい。実に、心の底から大変面倒くさい。
声をかけることもできずそのくせ視界には入りたい。アイルに声をかける機会を探し、あるいは粗探しの風情で視線を外さない。
不機嫌を隠しきれなくなってきたアイルは、ギルド支部の受付で手続きのために取り出したままのギルドタグを手の中で弄ぶ。
本当はこれ《・・》も不機嫌の遠因となっている。
なにしろ、本人にとっては酷く不本意な理由が原因で押し付けられた高ランクの証明になってしまっているのだから。
あの老害たちは、自分が何のためにランク昇級試験を受けずに居たと思っているのか。高ランクになれば面倒な仕事が増えるだけではないか。
それを、裏技使って上位まで叩き上げやがって。
一瞬本気の殺意を覚える。囲んでいた人の輪がその半径を一気に広げた。失神寸前の輩がいることにも気付いているが、自重する気はさらさらなかった。
その殺意の対象がギルド本部の最高幹部たちだと知れば、更にその輪が広がるかあるいは散り散りになるか。試してみようかなと考えはしたが、既に青ざめている職員たちの手が止まり処理がこれ以上遅れるのもつまらないのでそこは思いとどまる。
「なんで、ここまで面倒な思いしなきゃならないんだろうねえ。このイライラどこで発散しよう」
手続きの完了を待つ間にできた人だかりが、アイルの愚痴一つで息を呑んだ。本当に面倒くさい。
こんなに面倒なら、あの老人たちが半狂乱で自分を探す羽目になるくらいの嫌がらせはしても良かったかもしれない。
誰かと視線が合うのも面倒で、アイルは視線を木の天井に固定してシミとささくれの数を数え始めた。
カレントのように、いくつかは過ごしやすい街もある。だが、しばらく足が遠のいた街では結構このように面倒な状況に出くわし易くなっている。
何らかの欲求を込めた視線と、なりゆきを知ろうとする好奇の視線。
自分で言うのもどうかとは思うが名だたる高ランクの冒険者、しかも見目が良い…とくれば、動機は様々ながら一度は接触してみたい相手なのだろう。
物欲、名誉欲、色欲、知識欲。
己自身もヒトである以上欲望を否定する気はないが、それらは自力で達成してもらいたいと思う。自分はそれらを叶えてやる便利な手段や道具ではないのだ。
両親ほどではないが、それでも人一人の生涯分くらいは人間社会で過ごしてきた。その長さだけ不快な出来事は数知れない。
それでも人間に見切りをつけないのは、背中を預けても良いと思える友人たちや両親の同僚たちを知っているからだ。
カレントの住人も、ヘイアース家と接点のある人間は好ましい人物が多い。
彼らは両親と付き合いがあるからか割とさばけた人柄で、ギルドの支部長も職員もなかなか面白い人物だ。たまに他の街からきた冒険者もいるが、アイルが不快に感じるような行動をとる前にギルド職員や他の冒険者がそれを制止する。そのほかにも色々な積み重ねで、あの支部なら何かと任せても良いかとは思える程度には信頼している。
あの街で手続きできれば楽だし早く帰れるのに、と考えて――ふと義妹の姿が脳裏に浮かんだ。
思わず笑み綻びそうになるのを堪える。こんな些細なことでも隙を与えてたまるか。
下らないことで磨きに磨いた無表情を発動させながら、アイルは今一番興味深い少女のことへ思考を向けた。
所用で足を踏み入れた森の奥深く、間違っても人間が単身では入り込めない場所に突然現れた彼女は、完全無属性というアイルにとっても驚くべき特徴の持ち主だった。
初めて姿を目にした時は、確かに持ち物や衣服の特異さに驚いた。なぜこんなところに、という疑問もあった。だが、直後に悟った完全無属性はその驚きなど消し飛ばすほどの衝撃をアイルに与えたものだ。一見酷い外傷はないのに生命反応は確実に低下し続けていたので、治癒術も薬も全く受け付けない事実を知ったあの時は、アイルが冒険者になって以降最も慌てた瞬間だろう。
自分に必要がないために完全万能薬の持ち合わせもなく、慌てて作った血清を与えてその場を何とか凌いだが、あれが多少でも効果を表さなかったら全くのお手上げ状態だった。
(父さんたちのところへ転移しようとしたら、周辺の素因子も異常に薄く《・・・・・》なってたし……)
もしやという予感はあったが、持ち歩いていた転移の魔道具はあの場で安定作動しなかった。血清が効果を示したからこそ、多少は安心して転移可能な場所まで移動できたのだ。もし血清が効かなかったら、あるいは、もしあの異常が範囲を広げていたならと考えると些か背筋が寒くなる。
……というよりも、だ。
未だに不思議なのは、そもそも自分はなぜ彼女を助けようとしたのか、ということだったりする。
基本的に「謎」という存在が自分の好奇心を刺激するものという自覚はある。その好奇心を満たすために冒険者を職に選んだようなものだ。
そういう基準で言えば、彼女は出現時から様々な不思議を抱えてはいた。そのいくつかの原因が世界転移者であるためということも知った。それだけでは片付けられない謎も幾つも残っている。
だが、好奇心を満たすためという程度の理由で、自分が明らかに厄介ごとの原因になるような異性を助ける気になるというのも、酷く珍しいと思う。しかし、あの時はなぜかそうしなければならないという強い衝動があったのだ。
(……それも、解けない謎といえばそうなるねえ)
まあ、それも彼女と過ごしているうちに何かわかるかもしれない。
それよりも、だ。
彼女自身が非常に興味深い。
法術のない世界からきた転移者が、自身を構成する要素の大半を消し飛ばしかねない法術をあっさり受け入れたと聞いて驚いた。
酷く手間のかかる養子縁組を彼女とするつもりだと、恐ろしいほどの速さで両親を決断させたことに目を丸くした。
意識を取り戻して後、初めてきちんと顔を合わせた時も予想を上回る、いや斜め上の反応を示すのを見て更に強い興味を抱いた。
成人女性と聞いたからちょっと試そうと思って至近距離で微笑んだら、得体の知れないものを見る目を向けてきたのが可笑しかった。
女を甘やかすやり方には全力で逃げるくせに、いつもの反射で何気なく怪我をしないように庇えば恥じらいながら素直に好意を返してくることに戸惑った。
あの両親でも驚くほど知識を取り入れることに死に物狂いで、適度な休息を取らせなければと妙に不安を覚えた。
行動や思考がいちいち興味を惹き続ける。
ふと気付いたら、彼女への庇護欲は自分でも呆れるほど手のつけようがなくなっている。もしかするとこれが「妹が可愛い」ということなのか、とストンと納得した。
自分にとっては彼女が術式で『幼体化』したからこそ余計に受け入れ易かったのかもしれない、と理性的に考えながら同時に、あの小さい妹が成長する姿を見られることは何より楽しみだという情動も湧いた。
そして――理性の働き所以ではなく、庇護すべき対象が自分の手の届くところで笑顔でいて欲しいと強く願った。
単純な想いだがそれが妙に心に平穏と温もりをもたらす。それは、アイルの中には今までなかった感情だった。
――ああ、なるほど。
もしかしたら、これが友人の言っていた「幸せ」という感情なのかもしれない。
それならば、その源たるファミアーシュの傍で彼女を守るのは自分にとって必要なことなのだ。彼女の存在が必要だから、自分は彼女を助けたのだ。
――ならば、自分はあるべき場所へ早く戻らなければ。
(そのためなら、この程度の不快感は無視するか)
余計な刺激を与えて面倒を起こせば、それだけ手間がかかって戻る時間も遅くなる。それは回避しなければならない。
無関心な態度を継続しながら、僅かに周囲を威圧して余計な人間が近寄れないようにしておく。
さて、これであとは支部長が手続きを終えて戻ってくれば……
「……そういえば随分時間が経つけど、あの男は何してるんだろうなあ」
なかなか姿を見せない男に眉を寄せて支部長室に意識を向けると、魔道具が稼動している気配がしている。
「……ねえ、窓口の君」
「は、はいっ」
「素直に答えて欲しいんだけど、俺が姿見せたら連絡しろだとか本部の老が……老人たちに指示されてる、とかないよねえ?」
目を細めて尋ねれば窓口担当の若者が一気に青ざめる。図星か。
「ふうん、そう。……まあ、君に言っても仕方ないけど、あまり面白くない事態だよなあ」
どうにも隠せない苛立ちが滲むのは見逃して欲しい。
もうすぐ顔を合わせたくない相手が姿を見せるだろうと考えれば、誰しもそうなるだろう。
自分が本部と本部直轄のギルド支部へ姿を見せないのはこれが一番の理由なのだが、そのあたりをあの死に損ないたちはわかっているのだろうか。
「捕まったら、また無視しきれない仕事を押し付けてくるんだろうなぁ……。たかだかソロのSS級に何を求めてるんだか」
どうせ避けられない仕事なら、とっとと終わらせて帰ろう。
もはや殺意にも似た苛立ちを隠しもせずぼやきと共に決意を口にしたアイルは、単身でSS級――災害級と称される冒険者の手綱を取ろうとするギルドの必死さを、鼻で笑い飛ばす。
今のアイルにとって、優先度など判りきっているのだ。
これで、恋愛感情ではないらしいです。
シスコンを自覚したとでもいえば良いのか…




