015
…ミアは多分マヨラーではないと思いますよ、多分。
今日の朝食は、黒パンとコーンポタージュ、チーズオムレツ、サラダにフルーツという鉄板メニュー。
このうち、ポタージュとチーズオムレツはミアのレシピからきている。
サイアニアスでは、スープといえばポトフやブイヤベースのように具材が形を残している澄んだタイプの煮込みが多く、ポタージュのように裏ごしするクリーミーなものはあまりなかったとのことだ。しかも結構スパイスが効いている。
オムレツも完全に火を通した固焼きで、ミアの監修で豆のポタージュとふんわり半熟オムレツが出来上がった時はメリアがカルチャーショックを受けていた。それ以降、メリアが担当する日の朝食は必ずふんわりとろとろのオムレツが並ぶ。
パンが酵母待ちで製作未達成という若干残念な現状を除けばヘイアース家厨房の進歩は著しく、今朝のご飯も文句の付け所がない。
これだけ美味しい朝食の後だったというのに、ミアの表情は優れない。
直接的には、寝不足が原因だ。
あの後、曖昧な悩みを一人で抱える無駄さに辟易して考えを放り出そうとはした。だが、意識の切り替えというのはなかなか難しい。そういう時ほど思考のループから逃げられずに、結局気付いたら朝という寝オチパターン。
なんとも言えず溜め息ばかりだ。
「ねぇ、ミア」
息を吐ききったところタイミングで呼びかけられ、びくっと肩が揺れた。
「あら、ビックリさせてしまったかしら」
「そんなこと、ないです。なに、母様?」
「お昼までの時間なんだけど、昨日おさらいをしたから今日は違うことしたいなって思ってるのね」
だからね。
「今日は、一緒にお料理しましょ?」
「……はい?」
それはもう嬉しそうな笑みで告げられた内容に、ミアは唖然と困惑のブレンドを味わうことになった。
身長が足りないっていう話は……作業台用意したんですか。でも、危ないものがあるっていう……ああ、小さいナイフも用意したから、経験のない魔道具を使う以外は大丈夫と。
そうですか……。
手伝うために不足していた今までの要素は、既に準備万端。
唐突な母の言動に未だ困惑を残しつつも、ミアは抱きかかえられるようにして台所へ連れ込まれることとなった。
「――色々試してるんだけど、なかなか上手くいかないのよね。何が悪いのかしら」
「んー、……私も、曖昧な記憶だけでお願いしたから、どこがというのはちょっとわからなくて。ごめんなさい」
「そんな、謝らなくていいのよ。まだ色々試してみたい条件はあるから頑張ってみるわ。
研究だって試行錯誤の積み重ねですもの。十年、二十年くらい大したことないわ!」
「じ、十年……。う、うん、私ももっと考えてみるから」
「何か思い出したら、情報よろしくね」
うふふと微笑むメリアは、発酵せずに悪くなってしまったガラス瓶の中身だけを瞬間焼却し蓋を開ける。灰を捨てて中を洗うと用意済みの熱湯に潜らせた。
それにしても、天然酵母というのは曖昧な記憶では上手くいかないものだ。
まあ、発酵と腐敗のコントロールをするのだから当然か。ふんわり柔らかパンへの道のりは、まだ続きそうだ。
ベーキングパウダーがあればまた多少話は違うのだが、さすがにそれは無理だった。重曹は作れるかもしれないので、また折を見て挑戦してもらおうと思っている。
その代わりではないが、無発酵パンのひとつとしてトルティーヤもどきを作り始める。
強力粉、水、油、塩。
これだけで作れるもっちり平焼きパンは幸い自炊していた頃たまに作っていたので、あたりまえのように問題なく完成する。経験って素晴らしい。
……ううっ、もっとレパートリー増やしておけば良かったなぁぁ!!
焼く作業にはあまり時間がかからないので、一緒に食べる煮込み料理を先に作っておく。こちらはメリアにお任せしたところ、少し考えて鶏肉のスパイス煮込みを作り始めた。
うん、良い勘してる。その組み合わせはとても合うと思います、母様!
ふと、その煮込みにマヨネーズを少し足したらどうなるだろう――と考え、すぐさまある《・・》事実にミアはがっくり肩を落とした。
実は詳しいレシピを知らないのだ。
マヨネーズにはミアなりに多少のこだわりがあった。しかし、こだわっていたのはメーカーだ。
国内外問わず入手できるものは一通り試し、三種類ほど自分の好みにあうものを見つけていた。煮込み料理につかう時や、タルタルソースにつかう時、ディップしてそのまま食べる時など、用途によって使い分ける程度だが。
だからこそ、自作マヨネーズの意味をあまり感じられずレシピを覚えるつもりも全くなかった。
まさか、自作する以外に入手手段のない環境になるなど思わないではないか!!
マヨラーほどの執着はない。ないはずだ。
だが、ないと思うと食べたくなるのが世の道理。
(なんという痛恨の極み……!)
味噌、醤油は、発酵と醸造が必要なので半ば諦めもある。なのに、自作できるはずの調味料を入手できないとはなんたることだ。読んだことはあるのに覚えていないレシピへの悔しさというのは、想定以上のものだった。
(……買った中に、レシピ本があれば良かったのになぁ)
デザート用の柑橘類とシロップを用意しながら完全にトホホ状態のミアは、自力で抜け出せなかった思考のループから逃れている現状にまだ気付いていなかった。
*****
「ねぇ、ミア」
「……はい?」
「何が取っ掛かりになるかは、わからないものよ?」
食べ終わった皿を片付けている最中に、悪戯っぽくメリアが笑う。
存外瞳は真面目で、なのにあまりの唐突さに幾度か瞬いて……、ふと母の意図に気付いた。
「もしかして、お昼ご飯作ろうっていうあれは……」
「うふふ。具体的なところはわからないけど、寝不足っていうのはハッキリしてたもの。だったら、何か一緒に楽しいことして気分転換になったらいいなと思って」
汚れた小皿を渡そうとしたまま動きの止まったミアに、いきなり頬へキスが降った。
ハグ以外の直接スキンシップにまだ不慣れなミアが硬直して、視線だけが軋むようにメリアへ向く。
やっぱり娘ってかわいいわー、なんて笑う美人に何を言えるというのか。
メリアは眉を下げるしか訴える手段のない娘に頬摺りしてから、浚っていった小皿ごと身を引く。
ミアは小さく肩を落とす。
緩急をつけた揺さぶりは、さすがにあの兄様を育てただけはある。なんというか…トールとは違う意味でまるで敵わない。
「それで話を戻すけど。
物事なんて、何が取っ掛かりになるか本当にわからないの。良い例がわたしとトールのことだったりね」
「父様と母様?」
「ええ、そうよ。だって、初めて出会ってからしばらくの間、わたしったら彼を本気で殺すつもりだったし」
「………」
とても可愛らしく恥じらいながら「青かったわねぇ」なんて言っているが、そこからどうやって今の状態に持ち込んだ。むしろ、父様はどうやって逆上する母を篭絡したんだ。
「それは、組織とか派閥の対立的な何かで?」
「そういうのは全然なくて、ただわたしの個人的な感情ね。でも、それで百五十年くらい回り道したのはもったいないなぁって思うけど」
「……ちょっと、単位が大きいかなぁ…?」
「そうよねぇ」
母はありきたりな口調で返してきながら、自前の法術であっという間に汚れた食器を丸洗いしていく。食器を飲んで渦を描く水球をぼんやり眺めながら、ミアは無意識に魔力の動きを視ようとしていた。
水球の周囲にもう一層ごくごく薄い膜が張られている。球は内部でくるくると食器を転がし、汚れが落ちた頃たらいの中へ軟着陸して水に戻る。きれいになった皿が拾われ籠の中へ重ねられると、また新しく洗浄済みの水球が降りる、その繰り返しだ。
籠へ重ねられた皿は軽く水気をきった後、法術で温風を浴びせ乾燥させて終了だ。仕上がったうち軽いものや小さいものを棚に片付けるのが次のミアの役割になる。
繰り返しの術式を含んで組まれているのか、水球は汚れた皿がなくなるまで同じ動きを見せる。
水球を包む膜と同じものが籠の周囲にも張られていて、やはりそれらの源はメリアにある。というより、メリア自身が今、同じく淡い何かに包まれていた。
(父様の時の、あの『刺激』されるようなザワザワはないけど、これやっぱり魔力見えてるってこと、なのかな……)
トールの時とは感覚が違う理由は、ベクトルの異なる法術だからだろうか。目覚めた時には産毛を逆撫でされるようなあの感覚はほぼ薄れており、寝不足の頭では何を悩んでいたのか記憶すらも曖昧になりかかっていた。
残っていたのは気鬱と疲労感、形のない不安ばかりだ。
あのザワリとした曖昧な違和感の正体は一体なんだというのか……
無駄に考えたくはないのに、一度思い出せば切り替えはまだ上手くいかずにまぶたの裏で迷いが水球と一緒にくるりと回った。
ぼんやりと宙へ向けられたミアの視線を辿り、メリアは柔らかく目を細める。
「何を悩んでるのかはわからないけど、とりあえず動いてみるというのもありだと思うわ。あなたがこっちにきた時もそんな風に見えたわよ?」
「……私が?」
「ええ、だって法術のない世界からきたのにためらいもなく初めて作る術式の、しかも時間に関わる法術をあっさり受け入れちゃうんですもの。ホントにびっくりしたんだから」
「それは、父様と母様を信じたから」
「それなら、今もあと少しわたしたちを信じてみない? ……ミアは何も《・・》不安定になってないわよ?」
開きかけた口を閉ざし、隣を見上げる。
見つめる若葉色はただ穏やかに微笑みを浮かべ、クセなく流れる淡い朱金の髪はその身にまとう柔らかな光を受け止めながら、こちらまで包むようにふんわり揺れる。
いつもと変わらないその佇まいで。
転移直後の不安定な自分とこの世界の均衡を調整し続けてくれた術者が、「不安定になっていない」と当たり前の面持ちで口にしてくれた。
揺るぎもせず術式は順調だと、ここに馴染んでも良いのだと……そう言われたような気がして、ミアは空いた両手を伸ばして大好きな母の胴をぎゅっと抱きしめていた。
腕の中の体温と、抱きしめ返してくれる強さは、ともにミアの心のありかを教えるかのようだった。




