014
「………」
夕食後の自由時間、ミアはベッドの上に座り込んだまま文庫本のページをめくる。
あの時買った新刊の中で唯一の小説本だったそれを読む気になったのは、サイアニアスで多少状況が落ち着いた後のことだ。それでもあれから三ヶ月が経つ。もう何度読み返したかもわからない。
サイアニアスへ持ち込んだ書籍は、現在書斎ではなく全てミアの手元に置いている。
ミアは最初、書斎があるならそこに収めさせてもらおうかと思っていたのだが、急にすべてを手元から放すのは良くない、と家族に勧められそのまま自室へ持ち込んだ。
今となってはその家族の気遣いが嬉しい。やはり、慣れ親しんだものが傍にあるというのは精神的に大きな違いがある。
動揺したり不安になったりした時、気ばかりが急いて勝手に落胆したりした時、どうしようもなくもてあます気持ちを落ち着かせるため手に取ることが多かった…のだが。
「……今日はダメだぁ~」
呻いて、開いた本を手にしたまま横向きに倒れ込む。
気持ちがふわふわと浮ついて、何もまともに考えられそうにない。
その体勢のまま小説をサイドテーブルに置き、枕を抱え込んだ。ベッドに横倒しのまま腕からはみ出るものをぎゅうと抱きしめ溜め息をつく。
今日トールに見せられたものは、色々な意味で衝撃だった。
様々な魔道具もそうだが、それ以上に書字法術から与えられたインパクトは凄まじい。
一般法術と異なる系統としての書字法術については、メリアとの講義で触れられたこともある程度には知識として存在認識はしていた。
だが、実際に目にするにつけ想像以上に特異なものであるようだ。
あの後。
幾つもの驚きが影響したか、呼びかけに対して言葉を失ったように頷くことしか出来なくなり、ミアは少々驚いたトールに抱き上げられサロンへ連れて行かれた。
既にお茶の用意をしていたメリアから甘いホットミルクを差し出され飲み終わる頃には落ち着きを取り戻したが、我ながら少し混乱したくらいでああなるとは情けない。自分がそこまで繊細だとは思っていなかったのだが……
ホットミルクを飲む間に聞かせてもらった情報も、色々と驚くことが多かった。
まず、用意された白紙は予想通りただの紙ではなかったとのこと。
あれも魔道具の一種で、魔力をある特殊な方法で織り込み書字法術を発動できるようにしたものだそうだ。
ヘイアース家の中で書字法術が使えるのはトールだけだが、一応魔道具であるため盗難と事故防止のためにただの紙とは扱いを分けている。そのために封をした文箱だったのか。一応、ごく普通の白紙にまぎれても魔力の有無で見分けが付くらしいが。
この家にある書字法術のための媒体はあれだけで、すべてトールが作ったという話は予想通りだった。
「そもそも、書字法術を使える人間がとても少ないのよ。
構築と魔力のベクトルが一般法術とぜんぜん違うせいで法術構築の感性を本能で理解するのが難しいから…とはされてるんだけど、実際のところそれが本当かどうかはまだ実証されていないわ」
「その鍵が見つかれば、人手不足も少しは解消されるのだが…」
また珍しくトールが憂鬱げなので人手不足はかなり深刻なようだ。しかし、書字法術が使えなければ図書館業務は出来ないのだろうか。
さも不思議そうにしていたのだろう、表情を読んでくれたか話題がそちらへと転がっていく。
「ああ…もちろん一般の職員がいないわけではないよ。彼らはよくやってくれているし、とても助けになってくれる。
しかし、私が勤めている中央図書院というのは少し特殊でね。一部の業務に書字法術が必須なのだよ。だから、程度を問わず何らかの書字法術が扱える者は中央図書院で働いていることになるね」
「中央の院だけは仕方がないわよね……。
わたしのところだってもう少し手が増えればとも思わなくもないわ。けど、絶対に質は落としたくないし難しいところよねぇ」
中央の院? 図書院ではなくて?
「中央の院という呼び方になると、それは『共立中央院』全てを指すのだよ」
トールの言葉に首を傾げていたが、前に教わった歴史の一部をすぐ思い出し頷いた。
確か、世界の中心にあるローシェンナ大陸にある施設で、大昔に世界災害が多発していたなかで各大陸の主要国が共同で設立したという研究院が母体だ。
その後順調に発展し、なまじの政治的圧力をものともしない研究者による研究者のための組織になったという、いうなればサイアニアスにおける学問や文化の総本山。下手な小国など到底太刀打ちできない政治力もあるという。常に最先端技術を掌握していればそうなるのも必然か。それだけの規模になれば、専門の図書館があっても不思議ではない。
なるほど、両親はそこの職員なのか。二人の技能を見ていればそれはすんなりと納得できる。
「……、こほっ、そう、いえば、他の図書館は…?」
ある程度驚きが通り過ぎたのだろう、軽い咳払いで調子を取り戻す。トールは「無理はしなくていい」やんわり労わりつつ問いかけにはきっちり返答をくれる。
「他の図書館では、普通に『書架官』が業務をしているよ」
「しょかかん?」
「そう、書架官だ。…もしかして、ミアの故郷とは法術のことを除いても違いがあるのかな」
「図書館はあったし司書もいたけど、書架官というのはなかったから」
「ふむ、なるほど。
絶対の違いは、書字法術を使えるか否かだね。と言っても、極々僅かな過去の例を除き、書字法術を修得した術者が中央以外の図書館で勤めることはないから、司書と呼ばれる存在は中央以外にはまずいない。
とはいえ、中央でも一般業務を数少ない司書だけでこなせるわけがないし、図書館は中央だけにあるわけでもない。逆を言えば、中央が専門的に担っている業務さえなければ他の図書館では書字法術がなくとも構わない。
そういった一般の図書業務に携わる職員を、書架官と呼んで区別しているのだよ――」
世界中を探しても、行使できる術者が片手を少し越える程度しかいないという書字法術。
『検索』
『一覧参照』
『再読』
『書架移動』
見せてもらったのはこの四つ。呪文の名前と起きた出来事で法術の発動内容はなんとなく把握できた。
業務の一端、ということだったので、今日のことはデモンストレーション程度の内容だろう。ミアが今感じている見せ掛けよりもっと深い《・・》はず。
そのほんの取っ掛かりで、これだけ動揺してしまうとは。未だに、あのザワザワ《・・・・》した感覚が抜けない。
浮ついていただけの心が、唐突に熱を下げる。
いつまでも感覚の戻らない身体。
あれ《・・》が魔力なら、未だに尾を引くのはそれを自分の身体が受け入れられないからなのだろうか? 違う世界で産まれた身体だから?
『逆行』の法術で少しずつ馴染めばよいと楽観視していた。時を重ねれば落ち着けると単純に考えていた。
でも、それだけでは不十分なのか。それとも前提が間違っているのか。
(落ち着かないのは、そのせいもある……?)
枕を抱えたままじっと手のひらを見て、ふと身を起こした。文庫本を置いたその横、サイドテーブルの隅へ何も記されていない紙が一枚載せられている。
直接手にとって見てみたいとねだって一枚わけてもらった例の発動媒体『魔法紙』。
今のミアにとって害はないだろうから興味があるなら構わない。
そう快く許してもらえたが、本当にもらってしまって良かったのだろうかと、今になって不安を感じている。魔法紙は置かれたままの場所でまだ触れてもいない。
自分が触れて《・・・》よいもの、なのだろうか。
世界でもわずかな人間しか扱えない希少な存在に。
――自分のような異分子が。
鳥の子色のさらさらした紙面と見慣れた文庫本の表紙を見比べ、……そこに象徴的意味合いを見出してしまったミアは、肺が空になるくらい長く重い息を吐いていた。
画面的な意味で、改行具合を試行錯誤中であります
とりあえず、セリフ部に改行追加…




