領主様の招待状と重いドレス
「マリー様、大変です……! ル、ルミエール伯爵家……この地方の領主様からの使者が、馬車でハーブ園の門のところまでいらっしゃいました!」
ある日の昼下がり、ハーブ園『プチ・ルテティア』のテラスで優雅にラベンダーティーを傾けていた私のところへ、クロエが真っ青な顔をして走り込んできた。
彼女の手には、金色の蝋印が押された重厚な羊皮紙の封筒が握られている。
「領主様からの……招待状、ですか?」
「はい……! 何でも、我が村のハーブ園と『ローズウォーター』の噂を聞きつけ、今週末に城で開催される『夏の夜会』に、特別ゲストとしてご招待したいとのことです……!」
クロエは嬉しさと緊張で震えていたが、私はカップをソーサーに置き、ふっと冷ややかに鼻で笑ってみせた。
領主からの招待。それは一見すると名誉なことに思えるかもしれないけれど、前世の記憶を持つ私には、その裏側にある下心がありありと透けて見えていた。
地方の荒廃した財政を立て直したい領主が、今や飛ぶ鳥を落す勢いの我がハーブ園の利益や製法を根こそぎ奪い取ろうという、いわば「お高くとまったお呼び出し」にすぎないのだ。
「ふん、お友達の少ない退屈な貴族様が、珍しい見世物を探していらっしゃるというわけですわね」
「ま、マリー様、そんなご冗談を言っている場合じゃ……相手はこの地方の絶対権力者ですよ! 機嫌を損ねたら、このハーブ園なんて一発で取り潰されちゃいます!」
クロエが慌てふためく中、テラスの陰から腕を組んだルークが姿を現した。彼は鋭い目でその封筒を一瞥し、低く呟いた。
「領主の城か……。厄介な蜂の巣につま先をつっこむようなもんだな。俺が同行して、胡散臭い貴族どもは全員追い払ってやろうか?」
「いけませんわ、ルーク。暴力で解決するのは最後の手段ですのよ」
私は優雅に立ち上がり、ふわりと微笑んだ。
「せっかくの領主様のご招待ですもの。喜んで、我が『プチ・ルテティア』の気高き美意識を、あの堅苦しい城の隅々まで見せつけて差し上げましょう」
そして迎えた、夜会当日の昼。
城へ向かうための準備として、領主側から「夜会用の正装ドレス」が使いの者を通じて届けられていた。
その箱を開けた瞬間、私は思わず顔をしかめ、フリーズした。
中に入っていたのは、これぞ「地方の成金趣味の悪趣味」を凝縮したような、真っ赤なベルベット地のドレスだった。極端に締め付けられたコルセットには鋼鉄のボーンが仕込まれ、スカート部分には何重もの重いペチコートと針金が入れられている。総重量は軽く十キログラムを超えており、見るからに女性の肉体を拷問具のように痛めつける代物だった。
「なんですか、この時代遅れの暴力的なガラクタは……!」
私は思わず声を荒げた。
前世のフランス宮殿でも、身動きが取れないほどの重いドレスや、内臓を圧迫するコルセットにどれだけ苦しめられたことか。おしゃれのために健康を害し、女性の自由を縛り付けるような衣装など、私の美学において最も忌むべきものだった。
「こんなもの、二度と着るものですか! 『女性を痛めつけるドレスなんて、もう絶対に嫌ですわ!』」
私が怒りに震えていると、部屋の外で様子を伺っていたルークが、呆れたような苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「おいおい、そんなに怒るなよ。城の夜会に出るなら、そういう格式張った格好をしねぇと、向こうの貴族どもに文句を言われるんじゃないのか?」
「文句ですって? ルーク、よくお聞きなさい。真の優雅さとは、窮屈に身体を縛り付けることではありませんの。自分の足で軽やかに立ち、風のように優雅に舞うことこそが、本当の気高さですわ!」
私はきっぱりと言い放つと、自分の作業台の奥から、こっそり準備しておいた別の衣装箱を取り出した。
「領主から送られてきたドレスなどゴミ箱に捨てておしまいなさい。今から、私がこの手で世界に一つだけの『最高傑作』を仕立ててみせますのよ」
数時間後。
私が身に纏ったのは、前世のヴェルサイユでの記憶と、この異世界のハーブの力を融合させて生み出した、まったく新しい革命的なドレスだった。
ベースの生地には、村の羊毛にハーブ——『ローズマリー』と『緑茶の葉』の抽出液を何層にも染み込ませて織り上げた、驚くほど軽やかで通気性の良い「ハーブ染めウール(ボタニカル・リネン・ウール)」を使用している。
色は、深く神秘的な夜の森林を思わせる「深緑」。
コルセットのような窮屈な締め付けは一切なく、胸元から裾にかけては、古代ギリシャの女神像を思わせる流麗で自然なドレープが美しく波打っている。歩くたびに、生地の繊維からふわりと上品で爽やかなハーブの香りが漂い、周囲の空気を浄化していくようだった。
鏡に映る自分の姿を見て、私は満足げに微笑んだ。
これぞ、束縛からの解放と、真の自然の美しさを纏った『プチ・ルテティア・スタイル』だ。
「……お前、な……」
着替えを終えてテラスに戻った私を見た瞬間、ルークは息を呑み、言葉を失ったようにその場で立ち尽くした。
「……なんだそれ。さっきの堅苦しいドレスと違って……まるで、森の精霊みたいだな」
「ふふ、褒めても何も出ませんことよ。……どうかしら、私のこの新しい挑戦は?」
「あぁ……言葉が出ねぇよ。お前がその格好で城に行ったら、あの気高い貴族連中も、全員ひっくり返るだろうな」
ルークは少し照れくさそうに目を逸らしながらも、私のエスコート役として、自慢の大きな剣を背負い直して凛々しく立った。
夜。
ルミエール伯爵の城の巨大な大広間は、着飾った貴族や商人たちで埋め尽くされ、異様な熱気と人工的な香水の匂いで満ちていた。
「おおい、噂の田舎娘が来たぞ……!」
「どんな野暮ったい格好をしているのかと思えば……」
私とルークが重厚な大扉を開けて足を踏み入れた瞬間、広間のざわめきがピタリと止まった。
誰もが、着飾った派手なドレスや煌びやかな宝石を身に纏っている。そんな中、私は一歩一歩、コルセットの締め付けのない軽やかな足取りで、背筋をピンと伸ばして優雅に歩みを進めた。
私の纏う『ハーブ染めウールのドレス』は、過剰な装飾こそないものの、そのシンプルで洗練されたシルエットと、歩くたびにほのかに香る高貴なアロマによって、周囲のどんな豪華なドレスよりも圧倒的な気品と存在感を放っていた。
「なっ……あれは……なんだあの生地は……?」
「見たこともないデザインだ……。それに、この心地よい香りは一体……?」
最奥の特等席で待ち構えていた領主・ルミエール伯爵が、目を丸くして立ち上がった。
私は彼の目の前まで歩み寄ると、スカートの裾を軽くつまみ、完璧で優雅な宮廷の礼礼を披露してみせた。
「ご招待いただき、光栄ですわ、ルミエール伯爵様。カルミア村のハーブ園『プチ・ルテティア』の主、マリアージュと申します」
私の凛とした声音と、身に纏う圧倒的な美意識のオーラに、伯爵は気圧されたように唾を飲み込んだ。
彼は何か皮肉を言ってやろうと口を開きかけたが、私の美しさと、周囲の貴族たちがすっかり魅了されている空気感を察知し、ぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。
「お、おう……よく来てくれた、マリアージュ殿。その……非常に独特で、素晴らしい装いだ」
「お褒めにあずかり光栄ですわ。女性を痛めつけるだけの重苦しい古いドレスなど、これからの時代にはもう時代遅れですもの」
私のその堂々とした言葉に、広間のあちこちにいた若い貴族の婦人たちや令嬢たちが、ハッとしたように目を輝かせた。
彼女たちもまた、重いドレスや苦しいコルセットに内心ではずっと我慢を強いられていたのだ。私の姿は、抑圧された女性たちにとって、まさに新しい時代の「自由と美の象徴」として映っていた。
隣に立つルークは、私の圧倒的な立ち振る舞いを見て、呆れたように、しかしどこか誇らしげに鼻を鳴らした。
(見ていてくださる? ルイ、フェルセン……。私はもう、過去の重荷に縛られて泣いていただけの王妃ではありませんの。この異世界で、私の手で、最高の自由と美の王国を創り上げてみせますわ)
城の夜会の中心で、私は誰よりも誇らしく微笑み、新たな伝説の幕を開けたのだった。




