夜会を制する元王妃の気品
「おや、噂の『田舎の薬草売り』とやらは、一体どんな珍妙な格好でやってくるのかと思えば……」
ルミエール伯爵の城の大広間。その一角で、ひときわ派手な羽飾りのついたドレスに身を包み、宝石をジャラジャラと腕に巻きつけた子爵夫人が、冷ややかな笑みを浮かべながら私に近づいてきた。
彼女の周囲には、同じように地方の富豪や古くからの特権階級にすり寄る貴族たちが取り巻き、面白半分といった視線をこちらに向けている。
「見たこともないような素朴な緑色の布切れ……。おいおい、貧乏村の農民が着るような麻布の寄せ集めではありませんこと? そんな粗末な格好で、よくこの夜会堂の土を踏めたものですわね」
子爵夫人の意地悪な物言いに、周囲からクスクスと下品な笑い声が漏れた。
彼女たちは、私たちが作り上げた「ハーブ染めウール(ボタニカル・リネン・ウール)」の持つ本当の価値に気づいていない。過剰な装飾やこれ見よがしな宝石だけが価値のすべてだと思い込んでいる、時代遅れの井の中の蛙にすぎなかった。
私は足を止めると、ゆっくりと彼女へと視線を向けた。
言葉を返す必要などない。前世のフランス宮殿——数千人の貴族たちがうごめくヴェルサイユの鏡の間で、数々の権謀術数や嫉妬の眼差しを、ただ一つの「沈黙と気品」でねじ伏せてきた私にとって、こんな地方の小間使いレベルの嫌がらせなど、そよ風よりも心地よい背景音にすぎなかった。
私は微動だにせず、背筋をスッと伸ばし、完璧に調和された宮廷のポーズをとった。
無言。ただそれだけであった。
だが、その一瞬で周囲の空気がピタリと凍りついた。
私の纏う深緑のドレスが生み出す自然なドレープ、過剰な装飾を削ぎ落としたからこそ際立つ圧倒的な気高さ。そして何より、私が一歩を踏み出すたびに、ドレスの繊維からふわりと漂い出る、最高級のローズマリーと白檀、そして野バラが混ざり合った「幻のハーブ香水」の芳香が、広間の空気を完璧に支配したのだ。
「……なっ……!?」
私を嘲笑っていたはずの子爵夫人の顔から、スッと血の気が引いた。
彼女がつけている人工的でキツい麝香の香水は、私の放つ澄んだアロマの香りの前では、まるで下品なドブ川の悪臭のようにかき消されてしまった。
言葉を発せずとも、そこに立っているだけで「格が違う」という動かぬ事実が、周囲のすべての人間たちの網膜と嗅覚に突き刺さる。
「……なんだ、この香りは……?」
「綺麗だ……。あんなドレス、今までどこの仕立屋でも見たことがない……」
遠巻きに見ていた他の貴族たちからも、どよめきが漏れ始めた。
私はクスリとも笑わず、ただ静かに、氷のように冷たくも美しい微笑みを浮かべたまま、子爵夫人の横をすり抜けて優雅に歩みを進めた。その完璧すぎる立ち居振る舞いに、子爵夫人は気圧されたように一歩、二歩と後ずさり、やがて顔を真っ赤にして恥ずかしそうに目を逸らすしかなかった。
「……相変わらず、えげつねぇな」
私の後ろにぴったりと付き従っていたルークが、呆れたような、しかしどこか誇らしげな声を低く漏らした。
「一言も喋らねぇで、あの取り巻きの雌狐どもを一発で沈黙させちまうとはな。お前、本当に戦い方をよく分かっている」
「暴力ではなく『品格』で圧倒するのですわ、ルーク。それが元・王妃の優雅な処世術というものですの」
私は小さくウインクし、広間の中心にある特等席へと向かった。
夜会の中盤。
先ほどの冷ややかな空気はどこかへ消え去り、大広間は全く別の熱気に包まれていた。
「マリアージュ様……! 先ほどは大変失礼いたしました! わ、私メも、その……あなたの纏っていらっしゃるドレスの生地について、ぜひお話を……!」
「おねがいしますわ、マリー様! その素晴らしい香水は、一体どこで手に入るのですか? 我が家にも一瓶、いや、いくらでも積みますから分けてくださいまし!」
さっきまで私を「田舎娘」とバカにしていた子爵夫人や高慢な貴族の婦人たちが、手のひらを返したように群がり、私のドレスの裾にすがりつこうと勢い込んでいた。
人間の浅ましさとは実に滑稽なものである。権力や噂だけで侮っていた相手が、自分の想像を絶する「本物」だと知った瞬間、彼らは忠実な信者へと早変わりするのだから。
私は彼女たちの下品な群がりを優雅にかわし、シャンパンのグラスを傾けながら微笑んだ。
「私のハーブドレスや香水は、量産品ではありませんの。すべて『プチ・ルテティア』の庭で、太陽の光と大地の魔力をたっぷりと吸い込んで育ったハーブから、手作業で丁寧に抽出されたものですわ」
「まぁ……手作りで……!」
「なんて贅沢な……! ぜひ、次回の注文の予約を……!」
貴族たちの熱狂的な視線を浴びながら、私は心の中でふふっと誇らしく笑った。
前世では、私の着るドレスや好む流行は「贅沢すぎて国民の反感を買う」として批判され、やがて破滅へと繋がる十字架となった。
けれど、この異世界では違う。
私の美意識は、誰かを苦しめるための虚飾ではなく、荒んだ心を癒やし、人々に新しい美の基準を提示する「希望の光」として受け入れられているのだ。
翌朝。
その影響力は、夜会の枠を遥かに飛び越えて現実のものとなった。
「マリー様、大ニュースです……! 王都の新聞や、各商会の特派員から、昨夜の夜会に関する手紙が山のように届いています……!」
ハーブ園『プチ・ルテティア』の門が開くやいなや、クロエが目を丸くして何通もの手紙を抱えて飛び込んできた。
手紙の内容はいずれも同じだった。
昨夜の夜会で私が披露した「ハーブ染めウール(ボタニカル・リネン)」、そして「特製ハーブ香水」が、一晩で領内および王都の最高級社交界のトップトレンドへと昇り詰めたというのだ。
「王都の仕立屋組合からも、あの緑色の生地の独占販売権を寄こしてくれって打診が来てます! もう、どうなっちゃうんですかこれ……!」
「どうもなりませんわ。当然の結果ですもの」
私はテラスの椅子に腰掛け、淹れたてのカモミールティーを一口飲んでから、優雅に足を組んだ。
「古いコルセットと重いドレスに縛られていた貴族の婦人たちは、心の底では『軽やかで自由な美しさ』を求めていたのです。私がその扉をほんの少し開けて差し上げただけですわ」
その横で、ルークが腕を組みながら、やれやれといった顔で首を横に振った。
「これで、お前のハーブ園はただの田舎の店じゃなくて、この国のファッションとトレンドの総本山になっちまったな。……これから、さらに面倒くさい連中がわんさか湧いてきそうだぜ」
「上等ですわ、ルーク!」
私は立ち上がり、青い瞳をきらめかせながら遠くの水平線を見つめた。
「どんな面倒な顧客が来ようとも、我が『プチ・ルテティア』の気高き美意識で、この大陸すべてを美しく染め上げて差し上げますのよ!」
元・王妃マリーの伝説は、カルミア村の小さなハーブ園から、ついにこの世界全体のトレンドを動かす巨大なうねりへと突入していくのだった——。




