素肌を救うローズウォーター
「マリー様、あの……本当に私なんかで、入ってもいいのでしょうか……?」
カルミア村の片隅で、泥にまみれた麻の服の裾をぎゅっと握りしめながら、十五歳の村娘・クロエが小刻みに震えていた。
彼女の頬は、連日の日照りと冷たい強風、そして畑仕事の泥によって赤くただれ、あちこちに痛々しいひび割れができていた。年頃の少女である彼女にとって、自分の荒れ果てた肌は何よりも深刻なコンプレックスだった。村の子供たちからは「赤鬼さん」と陰口を叩かれたこともあり、クロエはいつも下ばかり向いて生きていたのだ。
「何を言っているのかしら、クロエ。顔を上げなさい」
私は彼女の小さな両手を優しく包み込み、とびきり上品な微笑みを向けた。
「女性の素肌はね、どんな高価な宝石よりも尊い、ガラス細工よりも繊細な『芸術品』ですの。それをこんなに荒れさせて……よく今まで我慢していましたね」
「で、でも……私みたいな農家の娘が、お姫様みたいな綺麗な肌になれるわけ……」
「なれますわよ!」
私は力強く言い切り、ハーブ園の中央にしつらえた作業台へと彼女を案内した。
日照りと重労働で傷ついた村人たちをハーブティーで内側から救ってきた私だったが、外側——特に女性たちの素肌や髪の美しさをケアすることこそ、かつてヴェルサイユ宮殿の最先端を駆け抜けた元・王妃マリーの真骨頂であった。
「今日、あなたのために、世界で一番贅沢で優しい魔法をかけて差し上げますわ」
遡ること数日前。
私はハーブ園の一角にこもり、頭を悩ませていた。
村の少女や女性たちと話すうち、誰もが紫外線と乾燥で肌をボロボロに痛めていることに気づいたのだ。薬草をすり潰して塗るだけでは刺激が強すぎる。必要なのは、肌の水分を補い、細胞の修復を促す最高級の「化粧水」であった。
「ですが、この異世界に蒸留器なんて便利なものはありませんし……」
私が腕組みをしていると、木材の加工を手伝いに来ていた不器用な職人・レオ(あるいはルークの手を借りて)が、私の描いた設計図を覗き込んできた。
それは、銅製の鍋と細い冷却用の管、そしてテラコッタを組み合わせた、即席の『ハーブ蒸留器』の設計図だった。
「お前……これ、一体何に使うんだ? まるで錬金術の道具みたいだが」
「錬金術よりももっと実用的ですのよ。植物の命の雫——『芳香蒸留水』を抽出するためのものですわ」
私の指示に従い、ルークの圧倒的な怪力とレオの職人技が合体し、わずか半日で完璧な蒸留器が完成した。
そして今日。
その蒸留器の性能を試す時が来たのだ。
「ルーク、下の竈の火をもう少し弱めてちょうだい。じっくりと、ゆっくりと沸騰させるのがコツですの」
「おう、分かった」
ルークが薪の量を調整する。
蒸留器の釜の中には、朝露に濡れた状態の『野バラの花びら(ダマスクローズの原種)』と、保湿と消炎作用を持つ『マロウ(ウスベニアオイ)』、そして数滴の『カモミール精油』がたっぷりと詰め込まれていた。
熱せられた蒸気が細い銅管を通り、冷水で冷やされて液化していく。
先端のノズルから、ポタ……ポタ……と、透明で美しい雫がガラスの容器に落ちていく。
その瞬間、ハーブ園の一帯に、圧倒的で気品に満ちた甘い薔薇の香りがふわりと広がった。
「わぁ……っ!」
側で見ていたクロエが、思わず息を呑んだ。
「お花の良い匂い……まるで、天国の庭園にいるみたい……」
「ふふ、これがヴェルサイユの貴婦人たちをも魅了した、特製『ローズハーブウォーター』ですわ」
私はガラス容器に溜まったばかりの、ほんのりピンクがかった透明な雫を指先にとり、クロエの荒れた頬にそっと優しく塗布していった。
「少し冷たくて気持ちがいいでしょう? 植物の魔力と、私の愛がたっぷり詰まっていますのよ」
ひんやりとした芳香蒸留水が、クロエの乾燥しきった肌にスッと浸透していく。
その瞬間であった。
「……え……?」
クロエが自分の頬にそっと触れ、信じられないものを見るように目を見開いた。
ただの水ではない。魔力を含んだハーブの抽出液が、クロエの肌の細胞の奥深くまで働きかけ、荒れていた角質を一瞬で満たしていく。
赤くただれていた部分は嘘のように引き締まり、ガサガサだった手触りは、生まれたての赤ん坊のように吸い付くような『モチモチの美肌』へと奇跡的な変貌を遂げたのだ。
近くに置いてあった手鏡をクロエに渡すと、彼女は自分の顔を映し出し、その場で凍りついた。
「嘘……これ、本当に私の顔……? 赤みも、ひび割れも……全部消えて……お肌が、もっちもちでツルツルになってる……!!」
クロエは大粒の涙をポロポロとこぼし、私のドレスの裾にしがみついた。
「マリー様……! ありがとうございます、ありがとうございます……! 私、もう自分の顔を見るのが嫌でたまらなかったのに……こんなに綺麗にしていただいて……!」
「泣くのはお化粧が崩れますからお仕舞いなさいな」
私は優しく彼女の頭を撫で、ふっと微笑んだ。
「女性が美しくなることに、身分も何の関係もありませんの。あなたはもともと、とても可愛らしい目鼻立ちをしていらっしゃる。お肌が整えば、それだけでお姫様のように輝けるのですわ」
その様子を少し離れた場所から見ていたルークは、腕を組んだまま呆れたように、しかしどこか誇らしげに鼻を鳴らした。
「まったく……薬草で体を治すだけじゃ飽き足らず、今度は肌まで魔法みたいに変えちまうのか。お前は本当に、人を狂わせる魔女だな」
「失礼ですわね、ルーク。私は魔女ではなく、美の伝道師ですのよ」
この「ローズハーブウォーター」の奇跡は、瞬く間にカルミア村、そして隣町の乙女たちの間に広がりを見せた。
数日後。
平和だったはずの我がハーブ園『プチ・ルテティア』の入り口には、朝早くから信じられない光景が広がっていた。
「お、お邪魔します……! 噂の『ローズウォーター』を買いに来ました!」
「私のお肌の荒れも治していただけますか……!? お金ならいくらでも払います!」
隣町の裕福な商人の娘たちや、冒険者ギルドの看板娘、さらには遠く王都の貴族の召使いまでが、ハーブ園の門の前に長蛇の列を作っていたのだ。
「ま、待ってくださいまし! 一列に並んでくださらないと、お庭のハーブが踏まれてしまいますわ!」
私は突然の殺到ぶりに、思わず額に手を当てて天を仰いだ。
静かなスローライフを送るはずだった私のハーブ園は、いつの間にか大陸中の一大美容サロンへと進化してしまっていた。
だが、殺到する乙女たちの期待に満ちたキラキラした瞳を見ていると、前世の記憶が優しく胸をかすめる。
(そうね……。女性が美しくなりたいと願う気持ちを否定しては、王妃の名が廃りますわ)
私は気を取り直し、テラスの特設カウンターに立ち、かつての宮廷を思い出すような優雅で気高い笑みを浮かべた。
「皆様、ようこそ『プチ・ルテティア』へ! 本日は特別に、お一人ずつのお肌のタイプに合わせたカスタム・ローズウォーターを調合して差し上げますわ。さあ、順番にいらっしゃいな!」
私の号令とともに、ハーブ園はさらに活気に満ち溢れ、乙女たちの歓声と甘い薔薇の香りに包まれていくのだった。




