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断頭台の露と消えた元王妃、異世界ではハーブ園で静かに暮らしたい ~パンがないなら薬草を育てればいいじゃない~  作者: ローナ


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無口な用心棒とプチ・トリアノン

「奇跡のハーブティー」の噂は、カルミア村の枠を遥かに飛び越え、隣町の冒険者ギルドや商会にまで瞬く間に広がりを見せていた。


「マリー様! 今日も王都から商人が買い付けに来たいと申し出が……!」

「お断りしてちょうだい。私のハーブは、量産すればいいというものではありませんの。丁寧に育てた極上の株だけを、厳選して提供するからこそ価値があるのですから」


朝露に濡れるハーブ園『プチ・ルテティア』で、私はカモミールの剪定をしながらきっぱりと言い放った。

前世のヴェルサイユ宮殿でも、本当に価値のあるもの——王妃御用達の特注ドレスや最高級の香水は、いつでも「限定された希少性」によってその気品を保っていた。この異世界であっても、その鉄則が変わることはない。


私が満足げに葉を整えていると、ふと、ハーブ園の入り口に黒い影が落ちた。


「……おい」


低く、地を這うような声。

顔を上げるとそこには、大剣を背負った無口な用心棒・ルークが立っていた。いつもより少し眉間が険しく、彼の纏う空気はどこかピリピリと尖っている。


「どうしたのかしら、ルーク? そんなに怖い顔をして。朝のハーブティーはもう飲みましたこと?」

「お茶どころじゃねぇ」


ルークは一歩、ハーブ園の敷地内に踏み入れると、足元に転がっていた小さな木片を拾い上げた。それは、人間が意図的に削ったような新しい切り口を持っていた。


「昨日の夜、この裏手に何者かが忍び込みやがった」

「——……っ?」


私の手がピタリと止まる。


「足跡と微かな魔力の残り香からして、そこらのコソ泥じゃねぇ。王都のギルドに登録されている『影の隠密アサシン』崩れのプロだ。お前のハーブ園の構造や、警備の隙を綿密に下調べしていやがった」


ルークの鋭い黒い瞳が、私をまっすぐに見据えた。

「お前がやっていることは、あの悪徳商人を追い払う程度なら通用したが……商売の規模がでかくなりすぎた。金儲けの匂いを嗅ぎつけた『本物の権力者や闇の組織』が、この小さな村の価値に気づき始めている」


ルークの言葉は、冷たい現実として私の胸に突き刺さった。

前世の記憶が、嫌な音を立てて脳裏によみがえる。

華やかな宮廷の裏側で、甘い蜜に群がるハイエナのような貴族たち。政治の権力争い、裏切り、そして暗殺の噂。私は「静かなスローライフ」を求めてこの異世界に逃れてきたというのに、私の才能と美意識が、またもや危険な者たちを引き寄せてしまっているというのか。


「……怖くなったか?」


私が沈黙していると、ルークはわずかに表情を曇らせ、どこか自嘲気味に鼻を鳴らした。


「俺は元々、王都の騎士団で汚れ仕事を押し付けられ、嫌気が差して逃げ出したはみ出し者だ。お前のような世間知らずのお姫様——いや、ただの村娘を守る義理なんて、本来はどこにもねぇはずなんだがな」


そう言いながら、ルークは自分の右腕をそっと抑えた。

数日前、私がタイムとカモミールで治療してやった古傷の部分だ。あの時、彼は無愛想に突っ張りながらも、私の作ったハーブティーによって救われた痛みを噛み締めていた。


「……だから、今日限りでこの仕事は降りてもいい。王都へ逃げるか、もっと安全な場所に隠れたほうがいいぜ。俺みたいな元殺し屋の片割れと一緒にいると、お前まで命を狙われることになる」


ルークはそう言い残すと、背中を向け、去っていこうとした。


その背中を見た瞬間、私の胸の奥で、何かが強く疼いた。

——不器用で、ぶっきらぼうで、けれど命を張って自分の領域を守ろうとしてくれるその姿。


脳裏に、かつての記憶が鮮やかに重なる。

フランス革命の嵐が吹き荒れ、誰もが私を裏切り、見捨てていく中、たった一人だけ命がけでパリの脱出計画を企て、最後まで私を守ろうとしてくれたスウェーデンの貴族——アクセル・フォン・フェルセンの姿が。


『マリー、たとえ世界を敵に回そうとも、私はあなたを守り抜く』


あの時、彼が私に向けてくれた絶対的な忠誠と、切ないまでの不器用な優しさ。

目の前にいるルークの背中は、かつてのフェルセンの面影を驚くほど色濃く映し出していた。


「待ちなさい、ルーク!」


私は思わず大声で呼び止めた。


ルークがぎょっとしたように振り返る。私は手についた土をエプロンで払い落とすと、一歩も引かない気高さで彼の前に歩み寄った。


「私が……逃げるとでも思っていて? ふん、笑わせないでほしいわ」


「な……! お前、状況が分かってねぇのか? 命を狙われるかもしれないんだぞ!」


「分かっておりますわよ! ですがね、ルーク。私が誰だかご存知? 私はかつて、フランス全土の嫉妬と陰謀の矢面に立ち、誇り高く生き抜いた女ですの。そんな私が、コソ泥ごときの影に怯えて、大好きなハーブ園を捨てて逃げ出すなど……プライドが許しませんわ!」


私の青い瞳に宿るただならぬ気迫に、ルークは息を呑み、わずかにたじろいだ。


「それに……」

私はふっと表情を和らげ、少しだけ声のトーンを落とした。


「あなたがここまで真剣に、私の身を案じてくれているからこそ言いますけれど。ルーク、あなたは優しすぎますのよ。自分のことを『はみ出し者』だの『殺し屋の片割れ』だのと卑下するけれど、自分の身を削ってまで私を守ろうとしてくれたその誇り高い魂は、騎士そのものではありませんこと?」


「っ……!」


ルークの黒い瞳が大きく見開かれた。図星を突かれたように、彼の分厚い唇がわずかに震える。


「私はね、前世で大切な人を失いましたわ。命を張って私を守ろうとしてくれた、かけがえのない人を……」

切なさが胸をかすめたが、私はすぐに顔を上げ、眩しいほどの笑みを浮かべてルークの胸元を軽く小突いた。


「だからこそ、今度は私の庭で、あなたを失うわけにはいきませんの。ルーク、これからも私の専属用心棒として、この『プチ・ルテティア』を守り抜いてくださるかしら?」


しばしの沈黙。

風が吹き抜け、ハーブ園のラベンダーとローズマリーの香りが二人の間を優しく通り抜けた。


ルークはこわばった顔を緩め、やがて呆れたような、しかしどこか底抜けに救われたような、深い深い溜息をついた。


「……まったく。お前という女は、本当に調子が狂う」


彼は大きなザラついた手で自分の顔を覆い、それからまっすぐに私を見据えた。その瞳には、先ほどまでの迷いは完全に消え去り、揺るぎない覚悟の光が宿っていた。


「……分かったよ。お前がそこまで腹をくくってんなら、俺も腹をくくる。この剣にかけて、どんな卑劣な輩が来ようとも、このハーブ園の土を踏ませやしない。……それが、俺の契約だ」


「よく言いましたわ!」


私は満足げにふふんと胸を張り、庭の奥へとスタスタ歩き出した。


「では、専属用心棒の初仕事です! 昨夜の不審者が残していった魔力の痕跡、あれを綺麗に消去しつつ、庭の防衛結界を強化しますわよ。ついていらっしゃい!」


「おい、勝手に決めるな……! だが、了解した」


ルークは大剣の柄に手をかけ、頼もしい足取りで私の後ろに続いた。


その日の午後。

ハーブ園の防衛力を飛躍的に高めるため、私はルークを連れて敷地全体のレイアウト大改造に着手していた。


「ただ植えているだけでは、不審者に簡単に侵入されてしまいますわ。ここには『香りの結界』を張り巡らせますのよ」


「香りの結界……? ハーブの匂いで魔物が寄ってこなくなるってのは聞いたことあるが、人間にも効くのか?」


「甘いですわね、ルーク。人間の五感、特に『嗅覚』は脳の記憶野と直結していますの。ヴェルサイユの宮殿でも、高貴な香気を用いて相手の思考を誘導したり、特定のエリアに近寄らせない心理的障壁を作るのは常套手段でしたわ」


私はルークに指示を出し、ハーブ園の周囲の土壌に特殊なハーブのエキスを染み込ませていく。

使用したのは、嗅覚に強烈な刺激を与え、精神をパニックに陥れる『野生のワームウッド』と、微量の幻覚作用で方向感覚を狂わせる『ルナ・ミント』の超特製ブレンドだ。

これを正確な比率で配置すれば、侵入者は園に足を踏み入れた瞬間、理由のない恐怖感と強烈な目眩に襲われ、自然と逃げ出さざるを得なくなるという寸法である。


「なるほどな……。物理的な罠じゃなくて、人間の感覚をハッキングするってわけか。お前、本当にただの村娘かよ……」

ルークは感心したような呆れたような顔で、テキパキと指示を出す私を見ていた。


「ふふ、褒めても何も出ませんことよ。……それよりも、ルーク」

「んだ?」


私はふと手を止め、ルークをじっと見つめた。

彼の黒髪に、少しだけ昨日までの泥や煤がついていたのが気になったのだ。


「ちょっと、そこにじっとしていなさい」

「お、おい、なんだよ急に……」


私が近づいてハンカチを取り出し、彼の額の汚れを優しく拭い取ろうとした瞬間、ルークの身体がビクリと硬直した。

よく見れば、彼の耳たぶまでが真っ赤に染まっている。普段は屈強な冒険者として凄みを効かせている彼が、まさか女の子に顔を近づけられただけでこれほど動揺するとは思いもよらなかった。


「……な、なにをやってんだよ、近ぇよ……」

「あら、顔に煤がついていましたもの。用心棒のお顔が汚れていては、我が『プチ・ルテティア』の格に関わりますわ」


私がクスリと笑うと、ルークは気まずそうに顔を逸らし、ボソッと呟いた。


「……お前は、本当に隙だらけだな。俺みたいな男にこんな無防備に近づいて、万が一ってこともあるだろ」


「万が一のときは、あなたが守ってくださるのでしょう? 信頼しておりますわよ、ルーク」


私のその言葉に、ルークは息を呑み、それから少しだけ柔らかく、穏やかな笑みを浮かべた。


「……ああ、誓うよ。この命に代えてもな」


夕暮れ時。

ハーブ園の開墾と防衛結界の設置は完璧に完了し、私たちはテラスの木箱に腰掛けて、淹れたてのカモミールティーを味わっていた。


オレンジ色に染まる空の下、風が吹くたびにハーブの心地よい香りが鼻腔をくすぐる。

不穏な影が忍び寄り、これからどんな面倒な権力者や敵が現れるか分からない。それでも、私の隣には頼もしい用心棒がいて、目の前には美しく育った緑の楽園がある。


(前世では孤独と絶望の中で断頭台に消えた私けれど……いま、私はここに生きている。私の手で、最高に贅沢で、最高に温かな世界を作り上げてみせるわ)


私はカップを掲げ、心の中で誇らしく宣言した。

元・悪役王妃マリーの異世界スローライフは、守るべき仲間を得て、さらに力強く、優雅に歩み始めていくのだった——。

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