一二
トイレから出た繭美は、荒縄を拾い、ゴミ袋の中に入れた。
やっと降ろしてあげられた、成仏出来ただろうと願いたい。そのまま真っ先に指定のゴミ収集所に捨てに行く。
帰ってからトイレで剥がした紙を見ると時代の掛かった流麗な草書体筆致で文字が書かれていた。
山かくす 春の霞そ うらめしき いつれみやこの さかひなるらむ
後、僅かばかりの大学の日々の中、ツテで『古今和歌集』第九巻「羈旅」収録の、「乙」という女性が歌ったとされる第四百十三番の歌と知った。都に上ろうとしているが、春の霞が山を隠して都への方角が分からない、という歌だそうだ。「もののあはれ」な山が霞に隠れる文学的情景よりも、都を目指し、境として道標たる山を見たい自分自身の「うらめしき」想いという、当時女性の歌としても稀有な歌だ。
竹馬の友セリヌンティウスを迎えにシラクサへ出掛ける太宰治の『走れメロス』を思い出す。彼女の「みやこ」への思慕は、「酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え」るほどの勢いだったのだろうか。幽霊からの返歌の筈なのに、妙に滑稽な思いに浸された。彼女なりの気遣いにして諧謔だったのだろうか。
そんな茶目っ気ある彼女を、結果的に私は梁の上に縛り続けていたことになるのだろうか。それとも暗中模索している私への警告や皮肉だろうか。生憎私には、返歌をもった示唆だけでは彼女の遺志を判別出来るほどの霊感、いや、文学的感受性は持ち合わせていなかった。
いずれにせよ、今はただ、少女が無事に成仏出来たことを祈るばかりだ。
インターフォンが鳴った。
「はい」
「宅配便です」
「はーい」
愛想よくドアを開けると宅配便業者がキャスターを引き連れて立っていた。
「石田真優実様ですね?」
「はい」
思わず声が出た。源氏名「繭美」としての自分を本名で呼んでくれた最後の人。
真実を繭に包み込み、虚飾の美しさで彩られた私の優しき実は、無事熟せただろうか。
思う間に荷物、次々と宅配業者の手に渡り、キャスターの上に積まれていった。
「では……」
宅配便業者が完全に見えなくなったタイミングを見計らってコンビニの袋を引き寄せる。絆創膏を買った際に一緒に駆ったもの。靴下だ。
「……」
何年ぶりだろうか。思えばずっと履いていなかった。
「じゃあ……」
奇妙な出会いから断ち切れていなかったのだろうか。思わず声が出てしまった。後ろを振り向かないように気を付けながら退室した。




