十一
トイレを出た繭美は寝室梁に通した荒縄を見上げていた。
前入居者からの部屋の備品。先端が千切れたように先がほつれた荒縄の中間部が、梁にぐるぐるに巻かれている。容易に元の用途がどのような意図だったかは想像がつく。申し訳程度に先端が切り取られ、直接の印象が和らいでいるとはいえ、縁起でもない、気味が悪い代物だ。
管理人からは、元々が前居住者の残置物で、業者に撤去しようとしたが露骨が過ぎると一部処置を施した以外は、怪奇現象が起こりかねない、とか何とか理由を付けて止めちまったらしい。気に入らないなら処分してくれても構わないと言われた。事故物件かどうかを知るには、尋ねたら教える義務があると聞いていたが、前居住者が首を括り、この世にいない――未だ未練がましく部屋に居座っている――事故物件なのは明白だったので、あえて開示請求はしなかった。もっともズブズブの業界癒着の中で教えてくれるわけもないだろうが。
居住してからも、いつでも人生を終われるように、または追い込み願掛け、あるいは、前居住者の性奉仕業務の傷みを分かち合いたいと、そのままにしておいた。
現に、客から罵倒された時、殴られた時、梅毒感染時、画鋲を踏んだ時、何度となく、いつの間にか首を括ろうと決心していて、輪を作り直し、首元に荒縄の輪を通しかけたか分からない。
しかし、何故かここまで生きて来られた。未だにその理由はよく分かっていない。多分、余程私が鈍感なのだと、私自身では思っている。
段ボール積み重なる中、繭美は両手で荒縄を引っ張り下ろす。スルスルと引っ張った拍子に重みで荒縄が順にずり落ちてきた。
ある程度荒縄を引っ張ったところで、ふと荒縄が重くなった。
(え?)
見てしまった、まずい、と思った時は遅かった。ずり落ちた荒縄のはずが、何故かこの荒縄で首を吊っただろう昭和の風俗嬢の両足首を握っていた。多分、一連の怪奇現象における前居住者だろう。白い素肌が、同性にして同業ながらも見とれてしまった。同時に、掴んだ両足首を成す両脚の幼さに、今なら中高生辺りの未成年の少女だと察する。
(あ)
見上げて凝視したのがいけなかったのだろうか。この部屋の居住者だった者だろうか。カッと見開いた目で私を見下ろしていた。
死体は昼でも見かけるよな、などと妙な事さえ感じてしまうほど不思議と理性を保ち平静だった。
ドサッと、明らかに荒縄の音ではない、中が詰まった重さを持った物体が床に落ちた音がした。
荒縄そのものに何の悪寒も感じなかった霊感無き私も、流石にこの時ばかりは強烈な嘔吐感に追われ、トイレに駆け込んだ。




