八
冴を見送り、事務室へ振り返ると、今まで冴と対話していた店長「姐さん」こと「小夜香」が立って出迎えてくれていた。
昔、指名ナンバーワンの売れっ子嬢として名を成した業界のレジェンドの方だそうだ。売れてからも天狗にならずに貯金や投資で財を成し、今や経営者の身だから大したものだ。
また、流石に一線を退き「熟年層」分類もやむを得ない経営に専念の身ながら、非常時にはキャストからスタッフまで担う、最後にして社員番号無き従業員でもある。まだ四十代で「熟女」を前置けばいけると、当の本人は、やる気魔満々なのだから始末が悪い。
「今は原則禁煙、いや分煙ですよ?」
「ここが喫煙室だ。吸えない者は出て行っておくれ」
現に冴との詰問時にも彼女は吸い続けていた。
「はいはい」
俺達二人にとっては半ば挨拶代わりのものだ。
「ところで、よかったかい? 繭美を辞めさせて」
「ああ、俺らの、いや、あいつらの話だ」
「そうかい?」
「俺から性感染されても、むしろ移して復讐してやる、と大人しそうな文学少女なくせに、見上げたプロ根性だと、文字通り『買っていた』のにな」
「ああ、確か繭美を『飼っていた』のだよな。お前の家で」
「同棲だよ、同棲。監禁ではない。いや、同棲も違うか。性技実習としては触らせてくれたが、同棲男女の交わりとしては絶対に触らせてくれなかったからな。大学の勉強道具抱えていたし、居候や書生といった方が近いかもしれない。今の社宅の居場所が決まるまで」
「で、至れり尽くせり貪り喰らい尽くした、と」
「言い方が悪いなぁ。調教していたんではないわ。むこうが勉強熱心だっただけだ。大学も、その為の風俗性技実習も」
「そのままでも店としては助かったのだがな。風俗街敷地内の従業員用ボロアパートの前居住者の首吊り荒縄が遺っている物騒な格安事故物件しかなかったが、ダメもとで繭美に提案したら即決された。なぜ繭美はお前との同居を蹴ったのだ? フラれたか? DVでもあったのか?」
「知らんよ。イマラチオな性暴力はあったかもしれないが、少なくともDVに言い聞かせていた訳ではないぞ。役所の書類に婚姻関係を維持するために無能な妻に暴行加えて婚姻関係維持を無理強要するDVとは全く違います。繭美ちゃんが出て行くなら出て行くで、俺は良かったのです。現に入居先が決まったら出て行かせたでしょう? そこだけは間違わないでもらいたいものですな」
「では何だ?」
「思うところでは梅毒を移しちまったからかな。社宅の手配が出来たら即座に出て行きやがった」
「ああ、お前かい。画鋲どころか、梅毒まで……」
「ああ、そうさ。何から何まで俺さ。本当、捕まってもいい、繭美ちゃんとは心中する想いだったよ。性技実習としてではあるが、現に俺の女の一人になってくれたしな」
「心中したら店として助かったのだがな」
「するさ。そう遠くはない。ほんの少し伸びただけだ」
「店もな。そう遠くはない」
岩田の暴走は、同じく店の被害である事を小夜香は岩田にくぎを刺した。
「しかし、画鋲はないだろうに?」
「梅毒だけに、どうしても軽度な傷口が、流血が必要だったのでね。軽度な傷の流血で、低能、いや脳筋の俺には他に思い浮かばなかった。本番に否定的な嬢側としてもソフトなヘルスとはいっても、最低でも手コキか口奉仕のヘルスで、今更処女喪失もないでしょう? 生理経血も、時間帯として、わずか三人きりの女の集いで、派閥毎のいじめじゃあるまいし、即俺らだとバレる。後、まさか全員が、それぞれに犯人だとは思わなかった」
「その流れは?」
「いつもの通り、シフト表を張り替えようと裏面を見たら何か書いてあった。それだけですよ。ならば裏面のメッセージが見えるように外したら、その犯人や気になった誰かが確認する拍子に踏むだろうって」
「……」
「誰でも良かった。誰かが怪我すれば、血を出したら、絨毯に沁みたら、それが俺らから繭美ちゃんへのメッセージになる」
「だから、なぜ流血沙汰にしなければならなかったのだ、と聞いている」
「言ったでしょう? 梅毒は血液に菌が蔓延している、血液を鑑定して判明性病です。ですから『お前も血を流し、差し出し、純潔を示してみせろ』『俺は知っているぞ』と血痕で示せば、出せない訳ですから、白状する訳です。あるいは出来ずに追い詰められ、辞めるか、首括るか。いずれにせよ、こちらの目論見のまま。いや、しかしまさか、その繭美ちゃん自身が踏んで血を流してくれるとは思わなかったです。お陰で結果的に上手く繭美ちゃんの血を回収、鑑定出来た訳ですが」
「……確か、お前だったな、絨毯の毛の痕跡を削り取ったのも」
「はい。もちろん証拠隠滅の為ではないですよ。梅毒なのは分かっていますから。再感染ならば、そこで白状する訳です」
「乾いた、あるいは傷口から滲み出た血が誤って付着してしまった程度の僅かな痕跡の採取で、どうなるというのだ? 無理だろう?」
「要は血を握られることが大事だということですよ。実鑑定は無理のコケ脅しででも、脅しの小道具としては機能し、充分だという事です。それに、その為の実採血の血なら、一緒にいた時に血を貰ったんですよ」
「結局打ったのかよ。あるいは『血液検査』とか何か適当な理由をつけて採血したとか」
「いえ、もっと簡単な方法です。成年女性なら、閉経でもならない限り起きる――」
「……最早執念だな」
「同棲な事実婚状態ではないですよ。家事は俺が養っていた。一切を握っているのです。もっとも料理だけは、いくらか手料理を披露してもらった事もありましたがね」
「血は持っていて、それが梅毒汚染か」
「そうです。血を撒き、そこに何か傷口、いや、素足で踏むだけでも十分でしょう? もちろん一面に血まみれに撒いてみせたら絨毯がビショビショで、今度は何か殺傷沙汰の大事と、別の意味で疑われますので、そこは慎重の上にも慎重を期する必要がありますが……」
「画鋲どころか、その後の血で、標的は待機所に踏み込んだ全従業員か」
「生憎、誠に残念ながら一番の獲物に逃げられる形で未遂の結末となりましたが……」
「当たり前だ! 繭美一人どころか最早待機所に滞在した全従業員が標的の無差別バイオテロだ! 背任だ!」
「……多少の犠牲は止むを得ませんでした」
「損切りはあるが道連れや見殺しはしない! もっての外だ。仮に事実だとしても、間違っても、この時代に堂々と経営者が言える話ではない!」
「全ては繭美ちゃん一人の話です。いや、潔い幕引きでありました。素晴らしき他人想いの優しい娘です。唯一、一気に契約解除依頼と振り切れてしまったのは残念ではありましたが……」
「まさか……繭美に打ってはいないよな?」
「打ちませんよ。紛いにも同居して手取り足取り教えた生徒を、弟子を、商品を。そもそも、持ってなどいませんし。立ちんぼの神待ち家出少女を買って、自宅で薬漬けにして飼育調教するのとは全然違います。現に待機所の様子、知っているでしょう? ヤク中になった人の反応ではないでしょうに」
キャストの様子を見て指名の選択、勤怠勤務状況確認、客の不法侵入、防犯のため、待機所にはロッカーエリアを除き、監視カメラが入っている。現に本件犯行の犯人特定も監視カメラだった。
「性病を移しはしたではないか」
「打つよりかはマシでしょう?」
「まさか……性病を感染させて逃れられないように仕向けたのか? シャブ漬け代わりと」
「まさか。風俗副業で自分自身の話ですよ。今更です。現に治る病気ではありませんか。逮捕の上にニュースで社会に晒し者にでもされれば一生麻薬取締官どころか社会から監視が付き、検問なり定期検査なりで検査の説目がある薬物とは全然違います。タトゥーみたいなモンですよ。繭美ちゃんにとっては」
「……繭美に提出させた診断書で割り出したのだよな? 繭美が通った病院を」
「はい」
「……ご苦労。だが、そこまでの相手に、今度は何を嫌がらせしようとした? 辞めさせようとした?」
「辞めさせてはないですよ。むしろその抑止です。大学卒業しますから、借金も返済待ち下で店を辞めるのも、いよいよでしょう。俺とヨリ戻さねぇか、いや、結婚して生涯の相手にしないか、俺の女にならねぇか、とね。その為の布石です。まずは追い詰める。誰だか分かる、分からせる。そして、俺の下に来る」
「よくある話だ。普通は断るよな。繭美は大学生なのだから。それ位の分別はあるだろう」
事実、遊郭跡の現代に至る風俗街敷地内、昭和時代のボロ社宅から大学へ通学しているというのだ。副業はともかく、社宅からの通学に了承された時には絶句したものだ。
「金も、親に楽させようとするも、結局必要になり、親に会う顔がなくなり、一人借金返済と無断で風俗に走る。そして完全に顔をなくし、文字通り血を性病に汚し、二度と会えなくなる――しかし、まさか、あの繭美ちゃん自身が踏むようなものが、Z世代人間の繭美ちゃんにあるとは思わなかった」
「風俗漬け、セックス漬けの中を必死に学生やっていて、お前のどうこう程度ではないだろう?」
「まぁな。手塩にかけた商品に逃げられちまった」
「どの道、大卒、奨学金借金返済までの話だった繭美の事だから、二度とこの轍を踏むことはないだろうな」
「そう願いたいもんだ。俺の名誉の為にもな」
「全ては踏むかどうかで、踏まなかったらどうしたのだ? いや、事前に気付いて『凶器』を拾われてでもしたら、どうするつもりだったのだ?」
「どの道、メッセージとして機能する訳です。前のシフト陣どころか他の頬月、冴ではない事は、待機所で普段、頬月と冴がソファーに張り付いてグッタリしている姿を見ている繭美ちゃん自身が一番分かっている。それで自白する、俺達による自主的な捜査のメスが入る前に辞める」
「冴以外が、な。そして恐らく、その冴すらも辞めた全員が、な」
「はい」
「気付かなかったら? そのままにされてしまったら?」
「どの道、俺への報告事、いや、報連相共有事です。直接じゃなくとも元に直し、事なきを得る展開もありでしょう。そうすれば俺が引き継ぎ式にでも顔を出す理由が出来る」
「直接の傷害事件である必要はなくて、遠回しに嫌がらせな揺さぶりをかけるだけなら、そこから始める事も出来た訳だよな? なのに何をまた遠回しな嫌がらせでも傷害沙汰にしたかった?」
「分かっていないですね。駄目なんです。たとえ未遂でも、実際に起こった事じゃなければ意味がない。注意だけで終わるなら、ただでさえアナログ時代遅れどころか、実務的価値観すら失い、様式美な形骸化を地で行く中『画鋲で張った紙きれなど取り払えばいいではないか』と罠の外堀を埋められる。しかし、手遅れや未遂ならば、現に起きた事故として時代遅れが一蹴されず、事象を成した諸悪の根源と処理され、恐怖と畏敬の念が払われるのです」
「つまり、繭美を処理の上、古き良き紙の掲示の威光さえも守られると?」
「そうです、その通りです。よく分かっていらっしゃる。俺は裏方で全然問題ありません」
「お陰で誰が誰だか分からなくなった。警察じゃあ、あるまいし。ただでさえ、繭美側からの契約解除依頼の手前、まさか退職後に『やっぱりいるわ』と繭美に土下座泣き寝入りするわけにもいかないしな」
「そこを辞めるまでの間に確定させました。断トツの繭美ちゃん独走にして店としては該当なしの惨状でありました、という次第であります」
「……そうか」
姐さんは懐から手錠を取り出した。
「え?」
驚く間に姐さんは手錠を岩田の両手にかけた。
「な……」
「先程の冴からの置き土産だ。帰り際にポケットから出して机に置き、そのまま忘れていった。何かある、とそのまま預かっておいたのだが、やはり使うに足る理由があった訳だ」
「お、おい、あんた!」
「だから『画鋲はないだろうに』と言ったんだ!」
小夜香は店の固定電話の受話器を持つと警察へ電話した。
「……俺だけとはいかんぞ。覚えとけよ。共犯のアンタも一蓮托生だ!」
「だから『画鋲はないだろうに』と言ったんだ! 『辞めさせろ』とすらも言っていない!」
「どうせ風営法も売春防止法も条例すらもクソもない、零細ヤケクソの、本番やりたい放題の違法営業で廃業だ!」
「店のノルマとして指示した覚えはない! 当事者間の自由恋愛にまで踏み込んで禁止を強要できるものでもない! いい加減にしろ!」
金銭の対価を伴う性行為は「売春」と規定され、だから禁止行為と規定されている。しかし、自由恋愛そのものは禁止出来ない。だから店は「本番」という段階の自由恋愛を禁止する事で法への対処としている。
「……」
「私も、もう嫌なんだよ! 女の子に身体を売らせる商売は! だから何としてでも私が主導権を持ちたかったんだ! それが……!」
「……」




