第8話 義妹ミレットの襲来
リンドバルドがプリムラの義妹ミレットを城に招いたのは、春の訪れとともに雪が溶け始めた季節のことだった。
ミレット・エピデンドルム――かつて地上の家でプリムラを嘲った義妹は、天空城の風に葵色の髪を揺らせて立っていた。
「まあ!本当にいらっしゃったのですね、プリムラお姉さま」
廊下で出会ったミレットは満面の笑みを浮かべた。その声には甘ったるい毒が潜んでいる。
「王子殿下からお聞きしましたわ。婚約されたのに寂しい思いをしているって……お会いできて嬉しいですわ!」
プリムラは硬直した。ミレットは笑ってはいるものの目の奥は冷たい。
「こちらこそ……驚いたわ」
プリムラの声は掠れていた。
「ふふっ」ミレットは小首を傾げながら近づき、囁いた。
「殿下は私たちと仲良くして欲しいのですって……可哀相なお姉さま♪」
その『可哀相』の響きに含まれた嘲笑に背筋が凍った。
「でも、殿下は私と話したいみたい。愛する旦那様をお借りして、ごめんなさいねぇ?」
ミレットは『お姉様の事を沢山教えてあげる』と嘲る口調で告げて去っていった。
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(殿下は、何がしたいの?どうしてミレットを呼んだの?)
「どうしたの?心配事?」
「あ…いえ、何でもありません」
王宮の庭でルビアと茶を飲んでいたプリムラは、遠くから聞こえた声に顔を上げた。
ここは妃や王女専用の庭であり、異性は子供と国王以外禁制となっている。
白銀の髪のジゼルが庭の木陰で野花を摘んで花冠を作っていた。
「お姉ちゃん、お姉さん、見て見て!」
小さな子どもたちと花冠を作るジゼルの周りには無邪気な笑い声。その光景が彼女の心を慰めた。
「あの子はいつも楽しそうですね」
「ええ、あの子の純粋な笑顔は皆を幸せにします」
子供に絵本の読み聞かせをねだられるジゼルを見て、微笑みながらルビアが紅茶を口に運ぶ。
その時突然門が開きミレットが現れた。葵色の髪を結い上げ上質なドレスに身を包んだ姿はどこか誇らしげ。
「プリムラお姉さま~」
近寄ってきた彼女の視線がジゼルに留まる。
「まあ可愛い妖精さんですこと」
嘲笑が滲んだ声だった。
「でも鳥みたいですねぇ?バサバサと五月蠅そうね?」
ジゼルは怯えたように縮こまり、絵本を隠す。プリムラは咄嗟にミレットの前に立ちふさがった。
優しいジゼルを侮辱する行為は許せなかった。
「ジゼルはお客様で。私の友達です」冷静な声で告げる。
「失礼な発言は控えていただけませんか」
ミレットの目が丸くなった。
「お姉さまが反論するなんて意外ねえ!」
その瞬間――ルビアの手がテーブルを叩いた。
「充分よ。ここは私の庭でもある。異邦者は無礼を謝罪しなさい」
竜王の娘としての威圧にミレットは震えた。そして悔しげに顔を背けた。
「申し訳ございません」
頭を下げたもののその態度はあからさまに反抗的だった。
(リンドバルドが呼び寄せた理由がわかるわ……)
プリムラは唇を噛んだ。義妹を通じて自分を傷つけさせようと画策しているのだ。
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夜になると寝室の扉が乱暴に開いた。リンドバルドが立っていた。紅い目は冷たく燃えている。
ルビアの手配した護衛騎士がリンドバルドを制止するも、彼の威圧で動けない。
しかし、プリムラと二人きりにしないように警戒は続けていた。
「聞いたぞ」彼はゆっくり歩いてくる。
「昼間ミレットに生意気な口をきいたらしいな?汚らしい人間は妹を甚振るのだな」
プリムラは立ちすくんだまま動けなかった。彼の胸には薄く輝く竜紋が浮かび上がっている。
本来、あれは竜の番への愛情の証である筈なのに、どうして自分は叱責されているのだろう。
「側室だけでなく義妹にまで楯突くとは」
「妹は無礼でした」
「ほう?」リンドバルドの声が危険な調子になる。
「まさか……お前がミレットを憎んでいるのか?」
プリムラは答える代わりに俯いた。すると彼の手が伸びてきた。亜麻色の髪を掴まれた痛みで反射的に悲鳴が出る。
「あの子はお前のために来ているんだ。性根の汚い貴様を躾ける為にな」
彼の囁きが耳元を這う。
「昔のように泣けばいい。地獄を見ればいい」
「私が貴方に何をしたというのですか…?そんなに不快でしたら、離縁してくださいませ」
震える声で懇願したが効果は無い。
「出来ぬ」と即答された。彼の目が異様に輝く。
「お前は私の為に出来る事は、苦しみもがく事だ」
ああ、と。
彼は私の肩口を引き裂いて告げた。
「私の印が消えてしまったから反抗的なのだ」
次の瞬間、私の首筋へ顔を寄せ、獣のように強く噛みついた。
「ひっ…ぐぅ…!?」
再び襲う歯が皮膚を貫く衝撃。裂けるような痛みが脳天まで突き抜ける。鮮血が滲み出す感覚。
「殿下、番様への無礼はおやめください!!」
一瞬遅れて騎士が割って入った。
そしてリンドバルドは手を放し後ろ向きに立ち去りながら告げた。
「明日もミレットと過ごせ。拒否すれば分かるな?」
扉が閉まる音と共に彼の背後に紫煙のような幻影が揺れた――狂気の形をした竜だった。
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翌朝ルビアが訪れた時、プリムラは既に泣いていた。
「弟は病んでいます」
プリムラを治療する、ルビアの表情は暗い。
「番への執着が悪い方向に影響を与えています。姉としては見てられない」
彼女は拳を握りしめた。
あれから、ルビアは運命の番について調べて来た。
同族ならまだしも、他種族の番の場合。
多くが伴侶や恋人を殺され発狂したり、未来永劫魂の繋がりがある事に恐怖し魔女に魂の消滅を願い出たりと陰惨な結末に終わっている。
竜という圧倒的な存在を相手に、プリムラもどうすることも出来ず疲弊している。
「でも、何とかしますわ」
(あの御方――神龍様に伝えねば‥‥‥)
地上の守護者が地上の民を蹂躙するなど、あってはならない。
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午後になると王宮の中庭にミレットが現れた。
プリムラはジゼルに絵本の続きを読み聞かせている最中だった。
「お義姉さまっ」ミレットが近づく。
「素敵なお話だったわ~続きはどうなるのかしら?」
ジゼルは怯えるプリムラを庇うように抱きしめた。
「あらあら、王子様気取り?変な鳥の羽を生やした子供がお姫様を守れるの?」
そこで突然――白い羽根が飛び散った。
ミレットがジゼルの頭を掴み、羽を毟ったのだ。
「やめて!」
プリムラが叫んでいた。
自らの手でジゼルを守るように抱きしめるが、ジゼルは前に出た。
「守るよっ!!プリムラは僕の友達だもの!!」
そう言って手を大きく広げてミレットと対峙する。
「軟弱な王子様ねえ。ああ、愛人かしら?お義姉さまも悪い女ね」
「いい加減にして!!私の友達を傷付けないで!!」
プリムラの声は震えていたが、強い意志が込められている。
ミレットの目が一瞬大きく開いた後、歪んだ笑みへ変わる。
「怖いなぁお姉さま。昔の泣き虫ちゃんはどこに行ったの?」
その時だった。
「ミレット」リンドバルドの冷たい声が響く。
妃や王女専用の庭の外側に彼が現れていた。しかし普段の傲慢な態度とは違う。むしろ緊迫した空気を漂わせている。
「戻れ」
彼の命令に従い義妹は舌打ちしながら去っていく。
リンドバルドはじっ、と暗い赤い瞳でプリムラを見つめた。プリムラはジゼルを抱きしめたまま後ずさる。
その光景にリンドバルドは冷めた目でプリムラを見据えた。
「もういい」
リンドバルドは突然踵を返した。
「今宵もあの紋章が疼くだろう……楽しみだ」
そう言い残して去っていく背中――竜の幻影が更に濃くなっているようだった。




