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透明になった番  作者: 桃緑茶


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第37話 永劫 透明になった番

地獄への落下──そこは無限の暗黒が続く奈落だった。

リンドバルドの巨体はラトゼルの花の根に拘束されたまま、永遠かと思える時間を滑落し続けていた。


(まだだ……まだ終わっていない……!)


もはや片目も片翼も失われた醜い姿となっても、リンドバルドの狂った執念は消えなかった。

魔王の配下である諸侯王を探し当て、己を新たな盟主に担ぎ上げさせる算段を立てていた。


(神龍に認められたこの私が……魔王ですら超えられない道理など無い!!)


「まあ、何処にも行けないけどね」

神龍――善王の配下。『世界の調整者』諸侯王・序列『侯爵』シルヴィナがリンドバルドを絡めとる根に着地し、飄々と言った。


「私はお前の愚行を傍観していただけ。許してなんていないよ。

それと。魔王の配下である諸侯王共も。

人間に負けた竜を配下に欲していないよ。

なあ。――諸侯王・序列『侯爵』ナベルス?」

地獄の統括者であり『世界の破壊者』、シルヴィナと反目する悪王の配下である諸侯王がシルヴィナの傍に顕現していた。

三つ首の紅い炎の馬に乗る異形の諸侯王はシルヴィナを忌々しい様子で見据え、言葉を紡ぐ。


「俺は竜王が堕ちる事に期待はしたが、人間とは妙なものだ。

キーゼル。あ奴こそ我が配下に加わるに相応しい賢さと度量を持つ」

「ふふ。…奢るなよ、悪王の配下。あれは私のもの」


シルヴィナは人の可能性を見極めていたに過ぎない。

短命で脆弱だが時に爆発的な強い意志と力を見せる、彼らの可能性を見極めていた。

シルヴィナの目論見では、リンドバルドに一方的に搾取された力を奪い返したキーゼルが覚醒すると踏んでいた。


だが、キーゼルは拒んだ。


己の地力と彼が想うプリムラたちとの絆の力でリンドバルドを凌駕した。


――何と愚かで気高い生き物なのだろう。


シルヴィナの瞳が冷酷に光る。


「人間の意志――つまり魂の力。私たちの予想を遥かに超えたそれは……新しい秩序の基盤になる」


ナベルスが嘲笑う。

「ククッ…!!俺は、キーゼルのような気高く強きものが絶望し憎悪し、地獄に堕ちるのを緩やかに待とう」

「させないけどね」

シルヴィナは静かに微笑んだ。


「さて。『プリムラ』…キーゼルはお前との運命の番の関係を、力を明確に拒絶した。

リンドバルド。お前もだ」

「なっ、馬鹿な!!私は…!!」

「かつて、お前が『プリムラ』にありとあらゆる苦痛を与え、刻み尽くした『愛』を拒絶した。

私はそれを『プリムラ』とリンドバルドの番の解消と認識した。

うん、双方合意の上での解消だね。

――ふむ。そうなると、『プリムラ』の温情で現世に留めていた罪人に、現世に居られては困る。

我が子を喰らい、地獄に堕ちる業を持つ者を天界も受け付けぬ」

「弱者は地獄の軍団に不要。

未だ我らが仇敵、神龍に縋る貴様のような下衆は地獄への通過も認めぬ」

「おやおや。ならば、貴様の全ての三界への干渉を禁じよう」



シルヴィナが右手を翳すと、幾重もの糸が出現した。それは天界・地上・地獄の三界の境界を象徴するものであり、リンドバルドと他者を繋ぐ枷でもあった。


「リンドバルド・ドゥン・ブレン・ラトビル。君はもはや三界いずれにも属さぬ」


シルヴィナはリンドバルドに巻きつく糸を一つずつ切っていく。刹那──


「ぐあああああっ!?」


凄まじい苦悶の咆哮が轟いた。糸が竜の体を締め付けながら、まるで「境界線」を超える力を吸い上げていく。


「私は神龍に……認められた存在……!」

「勘違いも甚だしい」


シルヴィナの声音が一段と低くなる。

「私が見ていたのは、君ではなく……キーゼルとプリムラ・ネフライトだ」


ナベルスが愉快そうに肩を震わせた。


「しかし、繋がりの糸は少ないものだ。王族ならばより多いものだが」

竜王は死してその縁は深く繋がりも強かった。

故に地上に浮上する程に、天界近くに咲く花は効果を発揮した。


「罪の糸は多いがね。おや?それも切るのかい?」

ナベルスは冷ややかに言い放つ。

「この脆弱な竜。人化すればキーゼルに似た出で立ちなのだろう」


ナベルスは冷徹な視線でリンドバルドを見下ろしていた。ナベルスの感情に呼応するように炎の馬の三つの首が低く唸る。


「……不愉快だ」


その言葉が地獄の暗闇に重く落ちた。


シルヴィナが眉を吊り上げる。

「何がだ?」


「この弱者が」とナベルスは爪の先でリンドバルドの顎を乱暴に持ち上げる。

「人化すればキーゼルに似ている。しかもリンドバルド自身の血縁であるレーヴェンに酷似しているというではないか。

あの者達こそ我が手に欲しい。が――

これは強者に相応しくない、見るに堪えん」


リンドバルドは憎悪に燃えた眼差しでナベルスを睨んだ。残された片翼を痙攣させる。


「お前如きが……私の価値を……!」


「黙れ」


ナベルスの声はコキュートスのように冷たい。

「私はお前の番などという概念には興味がない。

だがキーゼルに対する興味はある。あの強靭な精神と潜在能力……地獄の軍団に加われば素晴らしい戦力になろう」

本来ならばあの人間の情報が知れる竜紋を喰ってしまいたい。

しかし、シルヴィナが許さぬだろう。

戦いで決着を付けることは厭わないが、それでこの愚物を地獄に迎えるのは業腹だ。

故に……。


「ならば、容姿を奪う」


ナベルスの口が異様な形状へ変貌する。三つ口に開かれ、無数の牙が覗く口内から赤い舌がリンドバルドの顔へと伸びる。


「来るな、来るなぁあああああ!!」


リンドバルドの絶叫が空を引き裂く。


「私の姿が!私の威厳が!」


しかしナベルスは容赦なくリンドバルドの顔面に喰らいついた。リンドバルドは文字通り自分の皮膚と筋肉が引き剥がされる感覚に悶絶した。


「ぐああああっ!助けて!誰かぁ!」


「面白い玩具だな」ナベルスは愉悦に歪む。

「人化すればキーゼルそっくりの顔をしていたそうだな?だがこれからは……」


舌がリンドバルドの頭部を舐め尽くした。そして突如として顔を引き剥がすようにして離した。残るのは血と肉と骨が剥き出しになった惨憺たる遺骸。


「ミミズのような肉を晒して這いずり回れ」


ナベルスは自分の舌先に残ったリンドバルドの肉片を堪能し、躊躇なくそれを飲み込んだ。

胃の中でリンドバルドの要素が溶け崩れ消失していく感触を楽しむ。


シルヴィナは面白そうに観察していた。

「じゃあ、この愚か者が発言を撤回する前に、竜紋を回収させてもらおう」

「や…やめ‥‥‥」

シルヴィナが容赦なくそれを引き剥がし。

食った。

「はあ…酷い味だ」

「ククッ、それならば貴様に譲って良かったものだ」



ナベルスとシルヴィナは笑いあった。


「あ……ああ……ああああ……」

リンドバルドの絶望は言語を失う。声にならない声を吐き出す。


シルヴィナが再び指を動かし、最後の糸に手を掛ける。

「ああ、そうだ。

お前を慈しむものが一人でもいるならば、本来の行き先へ道は開けるよ」


「ああああああっ!!!」

リンドバルドの絶叫が木霊した。それは最後の抵抗だった。しかし抵抗は無意味で、糸は確実に彼の全てを断ち切る。

かくして、リンドバルドは全ての世界から拒絶され、辛うじて現世に排出されミミズのような風体で這いずり回る。


リンドバルドは気付けば山脈に居た。

神の山脈。真なる魔王が封印されし場所。


かつて天空を翔けた漆黒の巨躯は見る影もなく、地面に這いつくばるミミズのような風体へと変貌していた。

長さ15センチほどの細長い体躯には、僅かに鱗の名残のような凹凸があるものの、かつての威厳も竜としての誇りもどこにもない。


「許さん……許さんぞおぉぉっ……!!」


掠れた声はもはや人の耳には届かない。

怨嗟の叫びは空気を震わせることもなく、ただ地面の塵を僅かに舞い上げるだけだ。

リンドバルド自身も、その声がかつての自分のものではないことに気づいていた。しかし、それに憤る気力すらも急速に失われていく。


シルヴィナとナベルスが去り、数日が経った。


その間、リンドバルドは何度も死のうとした。崖から身を投げようともしたし、鋭い岩の棘に体をこすりつけようともした。しかし──。


「グギャッ!?」


肉体は確かに傷つき、血を流す。だが、それだけだ。致命傷に至る前に、その傷は不自然な速度で塞がってしまう。まるで死を拒否するかのように。

リンドバルドの内部で、『死』の概念そのものが欠落してしまったかのような奇妙な感覚があった。


(死ねない……?この私が……?)


かつて竜王に比肩する存在と言われた自分が、こんな惨めな姿で無限に生き地獄を彷徨うのか? 屈辱と絶望がリンドバルドの精神を内側から蝕んでいく。


そしてさらに恐ろしい現象が始まった。


人々が、誰一人としてリンドバルドを認識しなくなったのだ。


山岳民族が通っても、不可思議な箱を持つ登山者と思しき女の頭に乗ったとしても。



リンドバルドが暴れようと叫ぼうと、他の者たちはまるで何もないかのように彼の体を踏みつけ、素通りしていく。

女が野営中に侵入しようとしたことも在った。

しかし、リンドバルドが女に悪意を持って触れれば、その血肉は爆ぜた。

激痛に苛まれ、再生を終えた頃には女は野営を畳み、奇妙な箱を再びあちこちに向ける。


リンドバルドが声を上げるも、相手は全く気づかない。


「おい!私を……私を誰だと心得ている!!」


いくら叫ぼうと無駄だった。

リンドバルドの存在は文字通り『透明』になっていたのだ。彼の言葉も姿も、すべての人間にとって認識できない不可視の存在と化していた。


彼は狂ったように地面を這いずり回った。誰でもいい。自分を「見て」くれるものを探して。自分はここにいると。

しかし。

神の山脈から出ることが出来ない。

この山脈は悪意ある者を迷わせ、閉じ込める性質を持つ。

(私こそが…正しき存在なのに‥‥‥!!)


――お前を慈しむものが一人でもいるならば、本来の行き先へ道は開けるよ。


シルヴィナは確かにそう言った。

なのに、何故行き場がない!?


シルヴィナは、肝心なことをリンドバルドへ伝えていない。


リンドバルドがかつて蹂躙し、命を奪った全ての者。

その者達が本来全うするであろう寿命を換算した年数までその時は訪れない。

竜の寿命は数百から数千年。人間は50から80年。

他の長命種も含めれば、どれ程の長きにわたる事か。


「母、父、姉。そして、愛が芽吹くであろう妻と子。

お前を真に愛した者達を、お前が破壊したがね」


シルヴィナは愉快そうに空を漂っていた。



神の山脈に生息する生物や植物も、彼を認識することはなかった。

飢えも乾きも無い。

排泄も行われない。

時間の流れすら、彼にとっては歪んだものに感じられ始めた。

昼と夜の区別も曖昧になり、孤独な渇きと飢えだけが増していく。


「だれか……誰か私を見てくれ……!!」


その叫びは、神の山脈の深淵に吸い込まれて消えた。



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