第36話 地獄に咲く空の国の花
落下するにつれて異様な空気を肌で感じた。
リンドバルドの業の自重でキーゼルは落ちていく。
――現世と隔絶された地獄へと。
魔道銃をリンドバルドに撃つも、周囲の異常な瘴気を帯びた銃は弾詰まりを起こした。
「クソがァ!!」
「『プリムラ』! お前は遠くに行きたかったのだろう!? さあ、私と共に永遠に未知の地獄を楽しもう!!」
リンドバルドの声は狂気に満ちていた。傷だらけの顔が歪んだ笑みを浮かべている。落ち行く漆黒の奈落の中、黒竜の巨体がキーゼルを掴み上げて迫る。
「――ッ!!」
キーゼルの全身を激しい嫌悪感と怒りが貫いた。
(ふざけるな‥‥‥)
「その願いは……」
彼の声が震えた。それは抑えきれない激情に喉が熱くなる証だった。
「……前世の俺と『ジゼル』との……尊い時間だ……!」
――ジゼルと駆けた空と風の感覚。
あの子のフワフワとした羽毛の温もり。
あの自由を求める願いを、この狂竜が利用しようとしている。
血が沸騰するほどの憤怒。琥珀色と紅の瞳が同時に激しい輝きを放つ。
「貴様に穢されて良いものじゃねえ!!」
魔道銃は使えない。剣も届かない。
仕込みの短剣はリンドバルドに鷲掴みにされてしまい、引き出せない。
「クソ野郎がァ!!」
――刹那。
「ゼーちゃん!」
「キーゼル!!」
プリムラがキーゼルの手を掴んでいた。
ルビアもプリムラを支え、不安定な飛行魔術で上昇しようと試みている。
「――放しなさいッ!!」
ルビアの紅い雷がキーゼルを握る鉤爪を叩き折る。
鋭利な爪が砕ける音と血飛沫を浴びながら、キーゼルは好機とばかりにリンドバルドを蹴り飛ばす。
しかし、リンドバルドはその足を尚もガッチリ掴んで離さない。
「ゼーちゃん!?」
「キーゼル!?」
地獄の階層へ墜落していく。
「逃がさない!!お前は……私の愛する……運命の番だ!!」
「しつこいんだよ!この陰湿ストーカークソトカゲがぁ!!」
掴まれたキーゼルの左脚から血が零れ落ちる。
「「「――キーゼル!!」」」
ルビアとカルミア、プリムラたちがが必死にキーゼルの身体を掴み引き寄せる。
「このッ……しつこい!邪魔すんな!!」
「んぎぎぎぎぎ‥‥‥‥っ!!!」
プリムラが白い翼をばたつかせる。
しかし業の深いリンドバルドの自重で上昇は困難を極めた。
「なんでついて来た!!俺一人で充分だっただろうが!!」
リンドバルドに拘束されたままキーゼルは叫んだ。
「ゼーちゃんのことが心配やもん!!」
「うるせえ!プリムラ、ルビア!もういい!これ以上堕ちればお前も永劫地獄の住人になる!!」
「嫌やっ!ゼーちゃんはうちが守るもん!一緒に帰ろう!!」
リンドバルドは手を伸ばす。まるで恋人を求めるように。
「愛している。プリムラ、愛している……愛しているんだ……っ!」
リンドバルドは必死にキーゼルに切断された手を伸ばす。しかしキーゼルは唾を吐いてそれを拒絶した。
「何で……何で……っ! 私たちは運命の番なのに……!」
リンドバルドの瞳には狂気と焦燥が入り混じっていた。
「プリムラ、プリムラ!!お前は遠くに行きたかったのだろう!?さあ、私と共に永遠に未知の地獄を楽しもうではないか」
「ふざけんなボケが!!」
「リンドバルド…この愚か者め…!!」
その時。
落下する速度がピタリと止んだ。
頑強な、岩のような竜の腕がキーゼルとリンドバルドを引き剥がした。
「父…上‥‥‥?」
「お父ちゃん?」
呪縛と化した竜王の魂が顕現し、かつてリンドバルドに切り飛ばされた腕にプリムラやルビア、キーゼル達は乗せられていた。
『戻りなさい。私が愚息を地獄に連れて行く』
竜王は宙を蹴り、リンドバルドごと深い階層に落ちていく。
「待って!!王、駄目です!!」
カルミアが悲痛な声で叫ぶ。
――竜王の地獄行きを、プリムラやキーゼル達が止めた。
「あかんよぅっ、もうええよ。何でお父ちゃんがずっと苦しむん?」
プリムラは竜王の尾を掴み、泣いていた。
「俺の友達を泣かしてじゃねえよ、クソ舅が!」
キーゼルも毒を吐きながらプリムラを支える。
が――
このままでは、皆共倒れだ。
『あのね、ラトビルに咲く白い花はね――』
ラトゼルの花。ラトビルに咲く白い花の名。
ラトビルが浮遊しているのは、この花の根が浮遊島に深く根付き、竜の魔力と呼応して天界近くまで浮かび上がらせている。
かつて、『ジゼル』に教わった花の特性。
竜の魔力。菜園好きな王。
キーゼルはプリムラが何時も腰のポーチに入れて持ち歩いているラトビルの花の種の小袋を掴み、竜王の岩と苔むした腕にばら撒いた。
「竜王!地上の守護者の矜持を見せて見ろ!!!」
キーゼルが投げた小袋から溢れ出た小さな白い種たちは、空中で静止し、一瞬の沈黙の後――
パァッと眩いばかりの光を放った。
「っ!?」
竜王の腕に乗る一同が息を飲む。種は竜王の膨大な魔力に触れた途端、爆発的な勢いで芽吹き始めたのだ。
ちまちまとした蔓が瞬く間に伸び上がり、しなやかな茎を伸ばしていく。そして、天を仰ぐように、無数の蕾が開花した。
白の燐光を纏った、ラトビルの花々。それはまさに天空を照らす太陽のように荘厳で美しい光を放っていた。
『これは……』
竜王の魂が驚きに震えるのを感じる。花々は次第に強い浮力を発し始めた。竜王の身体そのものを優しく包み込み、持ち上げるように。
対して――。
「な……!?何故だ……!?」
リンドバルドは驚愕の声を上げた。彼の周囲には、先ほどまで華やかに咲き誇っていたはずの花々が瞬時に枯れ果て、代わりに無数の黒く硬い根が、まるで無数の腕のように伸びてきていた。
それは意思を持っているかのようにリンドバルドの身体に絡みつき、その巨体をがっちりと固定する。花は完全にリンドバルドを拒絶したのだ。そして――。
「離せ……!離せぇぇえええ!!」
リンドバルドの絶叫が虚しく響く。彼を拘束した根は、まるで彼を奈落へ引きずり込もうとするかのように蠢き、地獄の暗闇へと沈んでいくスピードを速めていった。
「これで……もう終わりだ」
キーゼルがぽつりと呟いた。
「いやだ……っ!私がプリムラをっ……」
リンドバルドの腕が、最後の力で虚空を掴もうとする。
プリムラとカルミアがキーゼルを庇うように前に出てその姿を隠し、ルビアは凛とした声で告げた。
「貴方は誰一人愛せなかったの。何もかも独占したいだけ。……さようなら」
やがて、花の光が完全にキーゼル達を包み込み浮上させ、リンドバルドは暗黒の中へと消えて行った。
空に輝く花々が、彼らを地上へと導いていた。
『……キーゼル殿』
竜王の静かな声が頭の中に響いた。浮き上がっていく感覚と共に、徐々に竜王の姿が薄らいでいくのが感じられる。
『其方には…途方もない辛苦労苦を担わせた…』
「うるせえよ」
キーゼルは即座に否定した。
「ぴいぴい謝る前に、テメェのガキ共と話せや。一人は転生で姿や性別は変わっているがな」
「お父ちゃん…」
『大きくなったな、ジゼル。ルビアも、苦労を掛けた。…其方はカルミアか?』
「は…はい‥‥‥」
カルミアが深く頭を下げるのをキーゼルは見た。
『子供たちを守ってくれて、ありがとう。君の献身を、私は誇りに思う』
カルミアは無言で嗚咽していた。
キーゼル達が花の浮力に救われ上昇する中、竜王はカルミアの震える姿に目を留めた。
『カルミア……』
あの時と変わらない優しい声。カルミアは俯き、長い睫毛が潤んだ瞳に影を落とした。
「申し訳……ございませんでした……」
嗚咽が漏れる。
「あなたや子供達を置いて……国母の責も果たせず……国を捨てた卑怯者です……」
彼女の細い指が胸元で震える。
『運命の番への求心力を私は知っている。君を咎める事は出来ないよ』
巨大な龍の顔が近づき、慈しむようにカルミアを覗き込む。
『……番を解消したのかい?』
「は…い‥‥‥」
カルミアの告白は絞り出すような声だった。
「私が…ラトビルを滅ぼした元凶です。だから私は……己の番を解消し……『偽りの竜紋』を背負ったのです。リンドバルドを惑わせるための餌として……」
『辛かったね』
「……」
涙が頬を伝った。かつての王国を彩った豊かな自然も、愛する家族も、全て失った罪悪感が彼女を苛んでいた。
『もう、自分を罰するのは止めなさい。君は十分に苦しんだ。
君は命がけでラトビルの民を、運命の番に翻弄された者を守ったんだ。
私が。ラトビルの王がそう断言しよう。君は地上の守護者だと』
竜王の言葉は温かく、凍てついた時間を溶かしていくようだった。
カルミアは震える手で目元を拭った。
『君はもう、苦しまなくていい。全て終わったのだ。……ルビアと、『ジゼル』。いや、プリムラを頼む』
「……っ、ありがとうございます……」
カルミアの小さな頭を、竜王の首が優しく擦り寄せる。再会の温もりが彼女を包み込んだ。
『キーゼル殿』
「俺は何もしてねえよ」
キーゼルがそっぽを向く。竜王は苦笑したような気配を見せた。
『……感謝しているのだ』
キーゼルはふんと鼻を鳴らし、黙って花を見続けた。
無数の白い花が、まるで竜王を天国へと導く道のように、暗闇の中で道標のように輝いていた。
竜王の声が、空気中に溶け込むように優しく響いた。
『ありがとう』
竜王の言葉に、キーゼルの瞳がかすかに揺れる。しかし彼はすぐに表情を引き締め、プリムラに微笑んだ。
『泣くなよ』。そう言いたかった。
竜王が消えた光のある場所から、魔術師の出で立ちの男が現れた。
知っている。
キーゼルを。『プリムラ』を支えた魂が知っている。
「ハワード」
『プリムラ』を命がけで救おうとした、ミレットの魂がそう告げた。
「なんで泣くんだよ……お前……」
キーゼルの声が詰まる。琥珀と紅の瞳からこぼれた涙は止まらず、頬を伝い落ちた。
「キーゼル……」
「ゼーちゃん……」
ルビアとプリムラが駆け寄ろうとしたが、キーゼルは片手で制止した。泣きながらも、彼の視線はハワードとミレットの魂から離れなかった。
「あの人が……ミレットさんの旦那さん?」
「ああ……ハワード……エピデンドルム……」
キーゼルは洟を啜りながら、ぽつりぽつりと語る。
「あの子は……『運命』のために命懸けだった。それだけは、分かってやって欲しい。
それと、操を立てられなくてごめんなさい、と」
『――誰が、そんな責めるようなことを言うんだ』
ハワードが淡い青い光の輪郭を揺らして笑った。
『待っているよ。永劫に比べれば、短いものさ』
その声は木漏れ日のように優しかった。
『君が君でよかった。それが全てなんだよ』
ミレットの魂が歓喜の光を放つ。前世の拒絶反応で傷ついた顔は、今は美しく輝いて見えた。
――あなた、ありがとう……。
「うう……」
キーゼルは思わず顔を覆った。泣くつもりなんてなかったのに――熱い感情が喉元から込み上げてくる。
「馬鹿やろ……礼なんて言われたくねえんだよ……」
プリムラがそっと隣に寄り添う。
「ありがとう……ゼーちゃん」
「うるせえ」
「うちは嬉しいんよ。ゼーちゃんが嬉しゅうて泣いたり笑ったりしてくれるんが」
「……お前といると馬鹿になる」
「エヘヘ―。それは誉め言葉や」
カルミアが微笑ましげに眺め、ルビアは呆れ顔で溜め息をついた。
「まったく……素直になればいいのに」
一方でハワードは光の粒をまといながら、空を仰いだ。
『さあ行って。君たちはまだこの世界で生きるべきだ』
その声とともに、白い花々が一斉に開花し、柔らかな光の膜を形成する。キーゼルたちはその膜に包まれ、ゆっくりと上昇し始めた。
「『土産話』、楽しみにしているよ」
ハワードの声が遠くなる。
+++
目が覚めると――朝焼けの空だった。
キーゼルは芝生の上で仰向けになり、身体の下の土の湿り気が心地良かった。
「……生きてる」
隣で寝ているプリムラの亜麻色の髪が朝日に輝いている。その横顔を見ながら、ふっと笑った。
(君を守れた……、今度こそ)
「ゼーちゃん!」
ふいに飛び起きたプリムラが抱きついてくる。
「よかった……!ゼーちゃんだぁ〜!」
「落ち着けっ!」
窘めるが、ルビアや他の者もキーゼルとプリムラに抱き着き泣きじゃくるものだから、再び土の上に倒された。
押し倒されながらも、キーゼルは小さく笑った。
(まぁ……これくらいなら……いいか)
今世は、この子を守れた。
「今度は、ゼーちゃんを護れて良かった」
「…俺も」
プリムラの体温が心地よい。朝日が二人を包んでいた。




