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透明になった番  作者: 桃緑茶


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第35話 夫の『愛』に応じた現世の妻 むせび泣く夫

「お゛お゛お゛お゛……ッ…!」


リンドバルドの絶叫が平原を裂いた。その巨躯は大地をのたうち回る。


「嘘だ…レーヴェンが…プリムラを…私の番に竜紋を…!?」

黒竜の瞳孔が収縮する。口腔から迸る魔力の奔流が地形を歪めた。


「番の契約が……壊れる!?」


リンドバルドが錯乱するように歪な腕を再生させた。しかしキーゼルは既に動いていた。

「リンドバルド……」


大剣の切っ先を掲げたキーゼルの左瞳――琥珀色の中に竜紋が輝く。それはかつて息子レーヴェンが母を、ジゼルを救うために刻んだ証。


「お前の番は……こっちだ」


瞬間――キーゼルの胸元に浮かび上がる竜紋。まごうことなきリンドバルドのもの。

キーゼルの傍には自身の運命の番たるプリムラの髪色の娘。


「ッ!?」


リンドバルドの瞳孔が極限まで収縮した。


リンドバルドの脳髄に焼けつくような痛みが走った。

運命の番の竜紋が『プリムラ』に二つ同時に存在する矛盾。竜族の本能が拒絶する情報過多に黒竜は苦悶した。

「……そうか」

キーゼルが嗤う。

「お前は最初から『誤っていた』んだ」


「ゼーちゃん。見える?あいつを見て、怖いって思う心はうちが守ったる」

「…おう」

キーゼルは大きく踏み出す。

身体の奥から力が沸き立つ。

リンドバルドが一方的に奪い続けた力が竜紋から溢れ出す。


――失せろ!!


キーゼルはその力を明確に拒絶しリンドバルドに相対する。


血塗られたリンドバルドの力は要らない。

奴の親や…我が子の血で染まった力など要らない。


竜殺しの術は師に、養母に徹底的に叩き込まれた。

それで充分。

何より。


『ジゼル』、レーヴェン。


(君たちが支えてくれる。それだけでいい)


「ありがとう、プリムラ。これで奴を…『見える』。

――よくも、うちのレーヴェンを殺したな、クソ亭主」

「うちの友達いじめたん、許さんよ!」


キーゼルの大剣が、リンドバルドの鱗を削いだ。

「さあ…痛めつけるのがテメーの愛だったなぁ…。

妻の『愛』、徹底的に味わいやがれ!!ヒャハハハハハ!!!!!」

「逃がさへんよお…!!」

のたうち回るリンドバルドにプリムラは丸太をぶん投げた。


リンドバルドの絶叫はもはや人語を成さなかった。

「お゛お゛お゛……!こんな……はずでは……っ!なぜ……なぜ……!!オゴッ!?」


巨体が地を叩き、草が血飛沫と共に赤茶けていく。毒の刃と竜紋の混乱による激痛。

さらにキーゼルの琥珀色と紅の瞳には確かな憎悪と冷徹な意志が宿っていた。

俊敏に動くキーゼルの精密な斬撃が堅牢な鱗を削ぎ落す。

じわじわと甚振るように。

尾の一撃を喰らわせようにも、プリムラがガッシリ掴んで離さない。


「お前はいつもそうだ」

キーゼルの声は氷のように冷たい。

「奪うだけで、与えることを知らない」


漆黒の大剣が風を切る。その先端が正確にリンドバルドの左前肢の付け根――かつて竜王に致命傷を与えたのと同じ部位へ突き刺さる。

「ッガアアアァァァッ!!」

黒竜の体が弓なりに仰け反った。キーゼルは剣を捻り込み、肉を抉るように引き抜く。


「まずはこれだ」

キーゼルは低く唸り、凄絶な笑みを浮かべた。

「前世でお前がルビアから奪ったもの。片目。……あの時のルビアはもっと痛かっただろうな?」


彼はリンドバルドのレーヴェンの一撃で潰れたままの左目の周りの皮膚に指をかける。

「――ッッ!!やめろぉぉぉぉ!!」

絶叫が轟くが、キーゼルの指がぐちゅぐちゅと容赦なくかき回す。


「テメェだって、嫌がる俺に無理矢理侵入しただろうが」


肉が裂け、血が噴き出す。

「やめて……くれ……! 私は……プリムラを……! 愛し……!」


「愛?」

キーゼルの瞳が殺意に染まる。

「あれが愛だぁ?」

ブツッ!!


「ふざけんなボケがぁ!!!」

リンドバルドの左目玉が無理やり引き抜かれた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

「使えねえモン除去しただけでうるせえよ」


黒竜は激しくのたうち、尻尾が地面を叩こうとするもプリムラが力づくで抑える。

その尾もキーゼルは両断し、吹き飛んだ尾で近くの巨岩が粉砕された。だがキーゼルは既に次の獲物を見据えていた。


「お前が『プリムラ』や『ジゼル』たちを苦しめた分」

彼は黒竜の片翼を睨む。

「全部返してもらう」


「待っ――!」


キーゼルの動作は無駄がなかった。リンドバルドを蹴り倒し、その巨躯を押さえ込む。

「さぁて……」

彼の掌に尋常ならざる力が集中する。


生々しい音と共に――リンドバルドの左翼の根元が引き千切られた。


「ッ!!!!!!」


絶叫すら失せた絶望が平原を支配する。

血飛沫と羽根が舞い散る中、キーゼルは奪い取った翼をぞんざいに投げ捨てた。

「テメーがジゼルにした仕打ちだ」

血塗れの掌を引き千切った傷口に叩き込み、中の肉を徹底的にかき回す。


「痛いよな? 叫んでいいんだぜ?嬉しいんだろ?

番に痛みを与えるのがテメェの愛なんだろ!?

オラァ!! もっと楽しませろよ!!」

のたうち回るリンドバルドから肉を引っ掻き回した残骸。それを引き摺り出してキーゼルはぶん投げた。

肉塊がべちゃりとリンドバルドの顔にへばり付く。

リンドバルドは失われた翼の断面から血を吹き出しながら泣き叫ぶ。


「違う……! こんなの……プリムラじゃ……ない……! 助け……て…!」

キーゼルは冷笑する。

「へぇ。テメーの番は『助けて』なんて言わなかったのか?…言ったけどなぁ」

彼はゆっくりと大剣を逆手に持ち替える。

琥珀色の瞳に竜紋が妖しく蠢く。


「もっと、夫婦の営みを始めようぜ?ヒャハハハハハ!!!」

と嘲るキーゼルに、リンドバルドは泣きながら懇願する。


「頼む……! 殺せ……! この苦しみを終わらせてくれ……!」


キーゼルは鼻で笑い、銃を抜いた。


「レーヴェンの目を抉ったな、ボケ。もう一個寄越せや」


「ぎぃやぁーー!!」

キーゼルは容赦なくリンドバルドの右目を打ち抜いた。


血と泥にまみれた黒竜の巨躯が地を這うようにのたうち回る。リンドバルドの咆哮はもはや獣そのものだった。

「もう……許してくれ……!」

震える声で懇願するその様は哀れみすら誘う。

しかしキーゼルは嗤った。琥珀色の瞳が狂気を帯びる。

「許すぅ?」

漆黒の大剣がリンドバルドの傷口を抉り込んだ。

「前世のプリムラが言ったな?止めてくださいお願いしますってよぉ。

テメェは聞きもせずに、とことん甚振ったなあ」

「お前……あの時の……プリムラ……なのか……?」

リンドバルドが見開いた血塗れの瞳でキーゼルを見つめる。


「俺はな。テメェが大好きな『プリムラ』とは違えんだよ。可憐なお人形さんだった前世の俺は、テメェに殺されちまった」

キーゼルの表情が歪む。

「代わりに出てきちまったのが――今の俺だ」


+++


ルビアはその光景に言葉を失っていた。

(あのキーゼル……本当にプリムラなの……?)

見たこともない狂気的な笑顔。憎悪に満ちた口調。それは彼女の知るプリムラ・ネフライトではなかった。


隣でカルミアが静かに言った。

「きっと……彼なりの償いなのでしょう」


「償い……?」

「キーゼルは前世で幾度もリンドバルドに甚振られた。空の国から逃げようと幼いジゼルに懇願する程に追い詰められた。

その記憶を抱えてきたからこそ。…復讐することでしか、自分の罪を贖えないと思っている」

カルミアの声は淡々としていたが、微かな震えを帯びていた。


+++


「次はどの部分が欲しい?」

キーゼルが残酷な笑みを浮かべてリンドバルドを見下ろし、リンドバルドの顔面を靴で踏みつける。

「ゼーちゃん。もうええよ」

プリムラがキーゼルを止めた。

彼女の瞳には穏やかな光が宿っていた。


「ゼーちゃんまで怖いものになったら、その悪い竜に負けてしまうで。

レーちゃんも見とんやから、その辺にしよ」

「‥‥‥」

無意識か、キーゼルの魂と同化しているレーヴェンの意志か。

大剣を持つ手を空いて手が強く握りしめていた。


「‥‥‥そうだな。母ちゃんの怖いところを見せてごめんな、レーヴェン」



「母……?」

リンドバルドの震える声が空気を裂いた。黒竜の血まみれの顔に狂気が戻る。歪んだ瞳がキーゼルの左腕を捉える。

「まさか……あの時のレーヴェン……?」

「覚えていたのかよ?間男呼ばわりで殺したあの子を」


キーゼルは冷笑を消し去った。

大剣の切っ先が地面に触れ、微かな土埃が舞う。

「そうだな。お前が食い殺したレーヴェンも……俺の中にいる。お前を永遠に恨んでいるが、これ以上の報復は不要だとさ。

まあ、ケジメはキッチリ取ってもらうが」

キーゼルは大剣を構えた。

もうレーヴェンはキーゼルを止めなかった。

苦痛は充分に与えた。

リンドバルドの命脈を永劫に断ち切る。


――キーゼルが地を蹴る。


リンドバルドは本能的に巨体をひねろうとした。

だが遅い。


血に濡れた鱗の隙間。

命を絶つ箇所。


キーゼルの眼光がそれを射抜く。

彼の大剣が描く軌跡は一直線に。

迷いもためらいもなく。


その時だった。


――世界が、揺らいだ。


リンドバルドが運命の番を歪め、天命に背いた事。

父を殺し、同胞のみならず我が子をも喰い殺した事。


天界に最も近い天空の浮遊島群ラトビル。

それと同様の空気を持つプリムラの菜園にあらゆる業を持つリンドバルドが降り立ったこと。


数多の命を奪いつくした狂った黒竜の業と生存本能で、空間は歪み地獄の階層が口を開いた。


(堕天か!?まずい、魔王の配下、瘴気――)

堕ち行くリンドバルドは、おびただしい魔力の奔流に気取られたキーゼルを掴んだ。

「ハハハッ!神は私とお前の運命を定めた!!一緒に落ちよう、『プリムラ』!!」

「糞野郎がぁ!!」



「ゼーちゃん!!」

「キーゼル!!」

プリムラがキーゼルの手を掴み、そのまま地獄へ引きずり込まれる。

ルビアや他の竜も追随した。


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