第31話 現世 透明になった番
ルビアも異変を察知して飛び起きていた。
「嘘っ!?早すぎる!?」
「あのクソボケトカゲ野郎がテメーの予定通り動くかよ」
さて、困った。
ルビアが上空に向かって剣を抜き構える。
「‥‥‥」
奴は『プリムラ』を狙っている。ならば――
「ルビア。お前はプリムラと共に居てくれ。あの子を守ってくれよ」
「わ…分かった‥‥‥」
悪いな、ルビア。
俺は、ジゼルを。…プリムラとお前には死んでほしくない。
草原が静寂に包まれたその瞬間――
ゴォォォオオオッ!
突如として世界が歪むような轟音が炸裂した。
+++
「!?」
音を察知したプリムラも起きた。
「ゼーちゃん?何処?」
しかし彼女には何も見えない。ただ、大気そのものが波打つような強烈な振動が全身を貫いただけだ。
「ゼーちゃん」
長椅子の方面に向かって話し掛けるも、友人の気配が無い。
「悪い竜が来た。プリムラ、私の手を握って」
「ゼーちゃんは?何処に行ったん?」
「彼は、後で合流するわ。今は逃げる準備を!」
「待って。うちもゼーちゃんと一緒にいるっ。一人に出来んっ」
「お願い、貴女は行ったらダメ。お願い、一緒に来て…!!」
(どうしよう)
プリムラはルビアに手を引かれながら狼狽える。
ルビアは片目が見えない。
だから、彼女に無理はさせたくない。だが。
「ゼーちゃんに戦わせたら、駄目なんよ…!!」
キーゼルは農園から離れた草原にカルミアやバーンベルクの護衛達と『ソレ』に対峙する。
「‥‥‥」
やはり、か。
その刹那――
ヒュンッ!!
空気を切り裂く鋭い音と共に、巨大な影が頭上を通過した。一瞬遅れて、草原全体が激震に見舞われる。砂塵が舞い上がり、太陽光さえ遮る黒い翼の存在が空間を支配した。
「ふふふ……ふはははは……!」
嘲笑めいた哄笑が大地を揺るがす。狂気に満ちた声が響き渡る。
「見つけたぞ……我が愛しき『プリムラ』よ……!」
リンドバルドの隻眼は真っ直ぐと。
――カルミアに注がれていた。
カルミアがそれをキーゼルに伝えた。
『今世。お前の竜紋は、リンドバルドとの運命の番の強制力は随分と弱いね。
隠れて過ごすには随分と向いていはいるけど、戦いを選ぶのか。
その欠陥を持ったまま』
女侯爵の言葉を思い出し、キーゼルの眉間に深い皺が刻まれた。だが――
殺意のままに、リンドバルドに斬りかかった。
+++
轟音と共に黒竜リンドバルドが大地に降り立った。翼の風圧が草木を薙ぎ倒し、地響きが足元から骨を揺らす。
「ふふ……ふはは……!見つけたぞ……我が愛しき番……!」
その狂喜に満ちた声が空間を歪める。
キーゼルが漆黒の大剣を抜刀する。刃が月光を吸い込み妖しく輝く。
彼は無言で斬り込んだ。
リンドバルドの声に、一切耳を傾けることなく。
剣と鱗が激突する金属音が天地を揺るがす。リンドバルドの甲殻は硬い。キーゼルの一撃は火花を散らすのみ。
「無駄だ!人間ごときに!我が力の……!」
リンドバルドの会話の途中でキーゼルの前腕は隆起し、剣を押し込む。
どれだけ硬いソレであろうと、物体を両断できる角度は存在する。
「その命脈を絶つ。それだけに徹させてもらうぞ」
肉を食むその膂力にリンドバルドの目は細くその人間を捉え、尾を振るう。
鞭のようにしなった黒鱗がキーゼルの脇腹を直撃した。
「ぐッ……!?」
咄嗟に腕を差しこんだが、内臓が捩れる激痛。キーゼルの身体は数十メートル先の大岩へ叩きつけられた。岩が粉砕し砂煙を上げる。
「ゼーちゃん!?」
「ダメ、私の後ろに居て!!」
家屋から出て来たプリムラを庇い、双剣を構えるルビア。
「邪魔をするな、姉さん!!」
「その娘と逃げなさい!ルビア!!」
「ああ、プリムラ!やっと会えた!!さあ、私と愛し合おう!!」
(ああ、やはり)
リンドバルドはハッキリとカルミアを『番』と認識している。そして。
キーゼルの――壊れたプリムラの魂の修復は不完全なのだ。
否。
『それ』を対価に、重要な心身の機能を復元したとも言える。
前世のプリムラであるキーゼルは、リンドバルドを一切認識出来ていない。
奴の忌々しい声も、姿も、気配すらも。
ただ、直感とルビアたちの視線、草原の波立つ様相で、リンドバルドの行動を推測しただけ。
今世も、『プリムラ』にとって運命の番たるリンドバルドは――
+++
「ルビアお姉ちゃん、アカン!ゼーちゃんに戦わせないで!!
見えへんの!!ゼーちゃん、あいつを見えないし何も聞こえへん!!感触も分からん!!『透明』なんよ!!!」
「なッ‥‥‥!?」
リンドバルドの咆哮が大地を割った。巨体が嵐のように回転し、黒鱗の尾が鞭のように空を切り裂く。
ルビアはプリムラを庇い、身を翻してかわしたが、直撃した草地は震え、土塊が跳ね上がる。
「くっ…」
動揺しつつ、ルビアがプリムラの手を引いて走る。
(透明…?うそ、まさか‥‥‥)
『ガキでも理解できた筈だ。運命の番を攫うことがどれ程危険か。
それでも、友達を救おうとあの子は番を空の国から逃がした。…勇敢な子だよ』
キーゼルがジゼルなら…どうして。
あんなに、優しく。他人事のように、悲しい目で話したの。
運命の番は他種族に転生することは在れど、雌雄が固定されて転生されることが多い。
だが、絶対ではない。
「ま…さか‥‥‥」
キーゼルが、『プリムラ』?
ルビアは思考がまとまらないまま叫んだ。
「プリムラ!とにかく一旦離れ……」
しかし。
「いややっ!!約束したもん!!ゼーちゃん護るって、友達を護るって誓ったもん……!!
お姉ちゃん、ごめんな。うち、ゼーちゃん一人に出来ん」
何時からプリムラはルビアを『お姉さん』ではなく、お姉ちゃんと呼んでいたのだろう。
あまりに馴染みが良くて、心地よくて忘れていた。
――ジゼルは自身の事を、『お姉ちゃん』と呼んでいた。
プリムラはルビアの手を振り払い、キーゼルが吹き飛ばされた方向へ走り出す。
「プリムラっ!!」
盲目の少女が向かう先には、あの黒竜がいる。
だがプリムラは恐怖よりも強い使命感に突き動かされていた。




