第30話 『プリムラ』がキーゼルになった理由
プリムラ――キーゼルが性格も性別も変貌した理由。
それは朧げな輪廻の記憶が関係している。
傷付いた『プリムラ』の魂の欠片が零れ落ちないように、崩れてしまわないように。
プリムラを厭う者達が。ミレットを筆頭にずっと抱きしめていた。
十数年ぽっち、虐げた事をずっと詫び続けていた。
プリムラを傷付けたこと、大切な友達ジゼルを死なせたこと。
護れなかった事をずっと、詫びていた。
五百年間、ずっと。
転生し、非業の死を遂げた時。ミレットの悲しみは計り知れなかった。
プリムラの。蹂躙され、押し込めた心の奥底にあったものが、沸き立った。
どうして、亡き夫に操を立てたかった妹が涙せねばならない。
何故、私が『怖いもの』に蹂躙され続けなければならない。
永劫にも近い時を。妹もジゼルやレーヴェン。大切な人を傷付けて生きなければならないの?
――私の家族を、泣かすな。
復讐心がプリムラの魂を包み込む。
妹をこんな運命から解き放ち、彼女が愛した夫の元に送りたい。
ジゼルの仇を討ちたい。
レーヴェンを…ちゃんと抱きしめてあげたい。
その為には。
――リンドバルドをぶち殺す。
女の力では限りがある。
あのクソ亭主に凌辱されれば、妹が悲しむ。
蹂躙されぬ男でありたい。反撃できる力が欲しい。
ジゼルやレーヴェン。
大切な人を護れる力を持って転生したい。
こうして、キーゼルとしての生を受けた。
「………」
「――分かっていた筈です。あそこのプリムラさんは、あなたを護るべく、あなたの生前の髪の色を持っていると」
知っている。
何で、『プリムラ』の色で転生したんだよ。
聞くに聞けなかった。
ジゼル。君は、『プリムラ』の願いを叶えて死んだのだから。
「私は‥‥‥あの人の。
竜王の子であるあの子を。転生したあの人の忘れ形見を…今度こそ、失いたくはないのです。あの子の大切な…あなたも」
「‥‥‥。ああ、分かる。キツイよな。…子供が死ぬのは」
あの夜。
エピデンドルムの書を読んだ時。
キーゼルはページを捲る指が震えているのに気づいた。
魔術師エピデンドルム。歴史書では『狂人』『妄想に取り憑かれた学者』と貶められた男。
その正体が、前世の妻を愛し続け、その仇である黒竜への対抗策を五百年の時を超えて遺そうとした男だったとは。
「……『盟約違反による激痛』……。『偽りの竜紋』だと?」
口に出して読む声が掠れる。
「レーヴェン…死んだ‥‥‥?」
思い出した。前世の自分は見ていた。
焼け焦げ、死ぬ前に。
『プリムラ』を蹂躙する『怖いもの』に戦いを挑んだ若い竜、‥‥‥前世の子を。
キーゼルは滂沱の涙を流していた。
(俺は…お前を碌に愛せなかったのに‥‥‥!!)
キーゼル、否。
『プリムラ』の頬をボロボロと涙を伝う。
おぞましい手段で自身を。『プリムラ』を穢され、認識も出来ずに生まれた子。
だが。
(育ててくれたルビアに似た、賢い子)
壊れたプリムラに寄り添ってくれた聡い子。
プリムラが大切にしていたジゼルと友達になりたいと申し出た謙虚な子。
母親に愛されたかっただろうに。甘えたかっただろうに
壊れたプリムラでは、それが叶わなかった。
ずっと、他人の子だと。死ぬ間際まで、そう認識していた。
リンドバルドに喰い殺されるレーヴェンの最期の言葉が、キーゼルの心を刻む。
【私は。貴女を母として、愛して良かったのでしょうか?
母上。貴女をジゼルに会わせてあげたかった。
――生まれてきて、ごめんなさい。】
咄嗟に、自分自身を抱きしめた。
自身の一部となった、レーヴェンの魂を抱き込むように。
狂った黒竜に食い散らかされたプリムラの魂。
それを補填し精神の回復を図ったのは。
ミレットとレーヴェンだった。
キーゼルは前世で何度も壊され、やさぐれたまま突き動かされていると思っていた。
だが、違った。
あの狂った黒竜に貪られたプリムラの怒りを汲んだ二人が、今の自分を支えていた。
(レーヴェン)
あまりにも似ていた。
誰からも愛されず、運命の番からも拒絶された、『プリムラ』と。
母親に生まれた事すら認識されず、他人の子だと思われ。…父親に殺されたレーヴェンは。
「…レーヴェン」
孤独だったプリムラとよく似ていた。だから、拒む選択肢など無かった。
この子を抱きしめる親で居たかった。
(生まれてきてくれて良かったんだよ!!!!!)
子を孕んだ経緯は、魂が復元した後も未だに怒りとして燻っている。
だが、レーヴェンには何の関係もない。
(俺を…プリムラを愛してくれて感謝しているんだよ!!レーヴェン!!!)
愛していたか。生まれた経緯が経緯なだけあって、分からない。
『プリムラ』とレーヴェンは愛を育む時間が圧倒的に足りていない。
子が受けるであろう、親の愛を与えてやれなかった。
それなのに、母の為に、勝てない敵に向かっていった。
こんな母を‥‥‥愛してくれた。
(馬鹿野郎…とっくの昔に死んじまった母親の犠牲になりやがって‥‥‥)
幾度か転生を繰り返した。しかし、記憶は酷く朧気だ。
第一人生:逃亡の失敗、友人は竜の王子に殺された。
――結果、壊れた魂のまま死に、輪廻に入った。
第二人生:竜が襲ってきて人々が逃げ惑う中、圧死。
――『プリムラ』は大人になっても心は子供のままだった。
第三人生:竜に捕えられ上昇圧に耐えられず死亡。
――生まれつき病弱で寝たきり。20まで生きられないと言われた
第四人生:幼馴染もろとも、竜の炎で焼死。
――手足に障害があり、幼馴染が歩幅を合わせてくれた。彼を助けたい一心で向かい、火に撒かれた。
魂が壊れたまま輪廻転生を繰り返すことはそう云う事だ。
精神の不具合が肉体に大いに影響する。
今回の転生で肉体の不具合がないのは…レーヴェン、お前の力か。
お前の顔を近くで見たかったよ。
何度でも、抱きしめてやりたかったよ。
(こんな母を愛してくれたお前の。生きている姿を、見たかった…!!)
キーゼルはそう心の中で叫び、涙を流した。
そんな泣いているキーゼルを、寝ぼけたプリムラが捕まえて添い寝の構えになってしまったが。
+++
カルミアの訴えが部屋に静かに響く。
「…あの子を。失いたくはないのです。あの子が大切にしている、あなたの事も」
カルミアの必死の訴えに、キーゼルは紅い隻眼を細めた。彼の表情は一瞬にして鋭く変わる。
「――知っていたのか」
キーゼルの声が低く冷たい。
「何で俺がプリムラだと分かった?」
カルミアが震える声で答える。
「竜への尽きぬ憎悪を持つあなたを…以前、遠くからお見掛けしました。
何より、あそこで眠るプリムラは…竜王と同じく、菜園を作るのが大好きなのです」
そこで察してしまったという。
ふとした仕草が、元夫に似ていると。
火が苦手で、過剰に反応した時期があったことも。
――ジゼルがリンドバルドの炎で焼き殺されたのは、記録として知っていた。
「それと、筆跡です。貴方の書く文字や絵は…『ラトビルの美味しいお菓子』の原書のまま、変わっていませんから」
(前世の俺が原因かよ)
そういえば、うろ覚えの前世の記憶で思いつくままに、空想のお菓子として書いた時期があった。
それを本に纏めていた。
「それに。転生したあの子と過ごして……貴方があの子を大事にしているのがすぐに分かった。……あの子は前世を知らずとも…優しい子ですね」
「……ああ」
『プリムラ』はリンドバルドへの復讐のためにキーゼルとして転生し、リンドバルドを殺害すべく準備してきた。
それを忘れてしまいそうになるほど、あの子との生活は穏やかだった。
「あの子とレーヴェンは、良いダチになっただろうな」
「‥‥‥『レーヴェン』の最期を見て……どう思ったんです?」
「‥‥‥」
カルミアの追及にキーゼルは沈黙で答えた。
紅い瞳に宿る、どす黒い憎悪の炎がその証明だった。
「俺が何とかする……そう思っていたんだ」
キーゼルは重い吐息とともに呟いた。
「リンドバルドをぶっ潰し、あいつが再び現れるたびに叩き潰す。ずっと……ずっとだ。だが――」
『あの子』の想いを、覚悟を知ってしまった。
彼はカルミアを見据えた。その瞳には確固たる意思が宿っている。
「テメーが犠牲になる必要はねえ。ルビアも、あの子も。そして俺の……」
キーゼルは一瞬言葉を詰まらせた後、強い決意を持って告げた。
「『レーヴェン』の敵討ちもある。――だから俺が戦う」
カルミアが息を呑んだ。
「キーゼル様……あなたは」
「てめえが『番』として犠牲になれば、リンドバルドはまた…次は、あの子を。プリムラを狩り出すだろう。同じことを繰り返すだけだ」
キーゼルは拳を握りしめた。
「俺はな、カルミア。プリムラのためだけに戦うんじゃない。――てめえを捨て石に使う気なんざ更々ない」
キーゼルの紅い瞳が決意を湛えて輝く。
カルミアが窓枠に手をかける直前だった。遠くから雷のような咆哮が轟き、地面が微かに振動する。二人は同時に顔を上げた。
「リンドバルド…」
「……奴にすれば、遅すぎた方か」
キーゼルの隻眼が細くなる。その瞳孔が一瞬、夜鷹のように縦に引き締まった。
「来るぞ。番を探して」




