第29話 偽りの竜紋と『プリムラ』
魔術師エピデンドルムには前世で最愛の妻がいた。
名を、ミレット。ミレット・エピデンドルム。
その妻は姉の運命を嘆き、自らの命を賭けて『運命の番』の歪んだ愛を断ち切ろうとして――失敗した。
彼女の魂はあの世の何処にもない。
降霊術を以てしても、ほんの僅かな痕跡すら無い。
彼女は傷付いた姉の魂に寄り添い、永劫の輪廻を廻っているという。
前世を持つ魔術師エピデンドルムは、妻とその姉を助けることにした。
その研究成果として、かの狂った愛に溺れた黒竜と同じ竜紋を自身に刻んだ。
この紋様こそが狂気に染まった竜への楔になるという。
偽りの竜紋の所持者に愛を語れば、天命によって授けられた竜紋は竜の魂に拒絶反応を与える。
たとえ竜が肉体を失っても魂に刻まれた痛みは消えず、次の転生すら許されず永劫を彷徨うだろうと。
狂った愛に憑りつかれた竜に対抗するために、全く異なる者を運命の番と誤認させる。
奴が運命の番を違え、直接的な愛を与えることで魂の拒絶反応を引き出し、激痛を与えることが出来る。
ただし、その効果は壊れたプリムラの魂を復元し自我を安定させることが前提。
魔術師はこの『偽りの竜紋』の禁術を、後世に伝播させることに成功した。
そしてその資格者はいつか現れるであろう、プリムラと深く繋がる魂に託すことにした。
プリムラ自身を守るために戦う資格を与えられた者――あるいは彼らがプリムラを見つけ出し、共に戦う日が来ると信じて。
「リンドバルドが仮に私と『運命の番』と誤認し…愛を語ろうものなら、彼の竜紋が拒絶反応を起こします。
天命に反するのです。子種を断絶される激痛が絶え間なく続きますね」
性交の場合はもっとエグイ状態になるそうだ。
「この魔術師は、ミレットの夫だったの…?」
「前世の、だがな。500年前の時点で、故人だった」
現代語に疎いルビアへ『エピデンドルムの天空城探索』をかいつまんで伝えた所、彼女は呆然とした。
「ええ。生前、そのように聞き及んでいます。自身の前世には妻が居たと」
カルミアは自ら禁術に志願したそうだ。
「お母様、どうして……!?」
ルビアの悲鳴が響いた。
カルミアが静かに答える。
「我々竜族の誰一人として本物と見分けられない、禁断の模造品」
キーゼルが紅い隻眼を細めた。
「つまり――あいつにとっても本物に見えるわけだ」
彼の声には冷ややかな皮肉が込められている。
「はい」
カルミアが頷く。
「竜紋こそが番たる証。
狂竜はこの紋様を目印に番を探す。ですから……私は番を装いリンドバルドをおびき寄せる算段です」
カルミアは紅茶をフーフーと冷ますプリムラに視線を向けた。
――竜紋を持つ、この子を守るために。
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この区画に彼女――プリムラが来た時。
彼女と、その胸元の竜紋を見て、愕然とした。
そして、理解した。
神龍――バーンベルク女侯爵はこの為に自身を領地管理人の一人にさせたのだと。
盲目のプリムラは、無垢で、優しい子だった。
ラトビルの作物を地上で育てる彼女に、きっかけを聞いた。
『何でやろ?お母ちゃんでもない、うちの大切な人がな。この木の実大好きなんやよ。やからいっぱい育てたいんよ。
うちは目が見えんから、いっぱい育てて沢山の景色を見せたいし楽しんでほしいなあ』
手の平でコロコロと転がる小ぶりな洋紅檸檬を手にしたプリムラは笑顔でそう言った。
失われた自国の作物を見るたび、心が軋むが同時に地上に芽吹くそれらに救われた。
しかし、彼女は竜紋を持つ限りリンドバルドに狙われる。
この素敵な農園を焼かれるのは耐えられない。
この子に、、惨たらしい『愛』を刻まれるのも。
「――させない」
定期的に彼女の元を訪れた。
少しでも狂った黒竜から意識を逸らす為に。自身が囮となる為に。
だが。
自身も一度は天命による竜紋を得た身。
真とも偽りとも違う、奇妙な気配がプリムラにはあった。
それを確かめる前に、神龍様の養子キーゼルが彼女と行動を共にしていた。
彼もまた、奇妙な気配を持っていた。
+++
「これを見破る術はないんだな?」
キーゼルが鋭く問いかけた。
カルミアは意識を引き戻され、慌てて問いかける。
「私には分かりません……。ルビアも判別しにくいようですし。
出来るとすれば、本来のリンドバルドの『運命の番』様位でしょう。ご本人が正統な竜紋の持ち主なのですから」
カルミアは困惑した表情を浮かべる。
「『偽りの竜紋』を授けられたのは400年前。魔術師エピデンドルムに私が申し出て刻んでもらいました」
効果の程は芳しくなかったという。
しかし、十数年前。
ようやく偽りの竜紋は効果を帯び始めたとカルミアは話した。
キーゼルは長椅子に深く座り込み考え込む。
「偽物だとバレたら?奴は怒り狂うだろうな‥‥‥死ぬぞ」
挙句に、実母が番だ。
偽り以上に、忌むべき母親の禁忌の関係。それはもう、相応のトラウマを抉る事になるだろう。
カルミアは短刀を取り出した。
「偽りの竜紋で混乱している隙に、真なる竜紋の力を削ぐ毒の刃をリンドバルドに打ち込みます」
鱗に刺さったとしても、肉に届くだろうか。
「奴が狂っていたとしても、警戒せずにそんな武器で傷付けられるか?」
「……わかりません。番を失った今でも、竜の膂力は残っています。全力で打ち込めば、恐らくは――」
ルビアの混乱は未だ続いていた。
母親が自分の仇敵と同じ竜紋を持っている。しかも母親はその竜紋を利用して狂竜を討とうとしている。
「母上……何を考えて……」
「……私は。竜王や同胞を死の呪縛から解放したい。その為なら我が子であろうとこの地上から排除したい」
カルミアはそう告げた。
その声には迷いは無い。
「私もです……リンドバルドを……」
ルビアは口を開こうとして声を失った。
「ルビア」
カルミアは微笑んだ。その笑顔は酷く痛々しい。
「貴方の弟も皆。貴方の仲間も……リンドバルドの被害者ですね」
カルミアはプリムラの手を取り彼女の頬を撫でる。
「この子は……リンドバルドとは関係ない。平和に暮らしていて欲しい」
「管理人さん……?」
「お願いがあるの。明日の朝一番に女侯爵のお邸に行ってちょうだい」
カルミアはそう告げてキーゼルに向き合った。
+++
夜。
月明かりが窓から差し込み、キーゼルが椅子の上で軽く寝息を立てていた。暖炉の炎がぱちぱちと静かに音を立て、部屋に穏やかな光を投げかけている。
そのときだった。微かな衣擦れの音がして、キーゼルは薄目を開けた。誰かが起き上がる気配。
(おいおい……)
確認すると、カルミアが立ち上がり寝室の扉へと歩き出していた。手にはあの短剣が握られている。
「どこに行く気だ」
キーゼルの低い声にカルミアが肩を震わせて立ち止まる。振り向いた彼女の顔は青ざめていた。
「……朝早くに出ようと思っていました。…私までここに居れば、リンドバルドは察知するでしょう」
「だめだ」
キーゼルが毅然と告げる。
「てめえが1人で行くことは認めねぇ」
「私は……管理人として普段巡回しています。竜の体躯では入り込めない、人目に付きにくい抜け道もあります」
カルミアが弱々しく反論するが、キーゼルは眉間に皺を寄せるだけだ。
「それじゃあ『運命の番』の餌になりに行くようなもんだ…!」
キーゼルは苛立ちを抑えるように立ち上がる。
「……それに、たった1人でできることなんて限られている」
ルビアはまだ目覚めておらずプリムラも深い眠りに入っている。深夜の密談だ。
「キーゼル様。竜紋の持ち主が三人も集まれば、狂った黒竜に怪しまれかねないのです。
…どういう訳か、お二人ともリンドバルドの竜紋の気配は、希薄ですが」
「‥‥‥」
キーゼルは内心舌打ちをした。
知っていた。
自身は囮には不向きだと。
カルミアが震える声で言った。
「あなたは……私は、あなたやプリムラさんを前線に出すことは承知いたしかねます。
あなたは、何度も惨たらしい死を迎えた。
私はその贖罪をせねばなりません。
その為に、私はこれを施したのですよ。
‥‥‥『プリムラ』、様」
「…元運命の番は、誤魔化せねぇか」
プリムラ――キーゼルは頭を掻いて、カルミアの言葉を肯定した。




