第28話 全ての元凶とされた ラトビル国 元王妃
プリムラの家に着くと、騒ぎになっていた。
他の竜たちが明らかに動揺して、一人の女性に詰め寄っていた。
その壮年の女性はバスケット籠を片手にした、白髪の混じった白茶色の髪と緋色の瞳の、何処か愁いを帯びた印象だ。
…誰かに、似ていた。
ルビアが咄嗟に女性と竜たちの間に割って入った。
「あなた達、なに…を‥‥‥」
「あ…」
女性は籠を呆然としたまま取り落とした。
ルビアは浅い呼吸を繰り返し、言葉を絞り出した。
「お…母…さま‥‥‥?」
「ルビア‥‥‥」
父以外の運命の番と出会い、出奔したルビアとリンドバルドの母親。
リンドバルドが『番制度』を憎悪した元凶。
バーンベルク侯爵領でこの区画を管理する者は、ルビアの母親だった。
「…どうして?どうして!!!」
「‥‥‥‥‥‥」
「えっと、えっと…」
剣呑な空気にプリムラは戸惑う。
キーゼルは淡々と告げた。
「中で話していいか?プリムラ」
「え、うん‥‥‥」
護衛が結界を施すと告げたのでキーゼルも同意した。
此処が神龍の領域と認識した竜族の騎士達は、彼らの支援に向かう。
「おい、中で話を聞かせてもらうぞ」
+++
ルビアの母はカルミアと名乗った。
流石に元王妃と王女の内々の話に同席は出来ないと、竜族の使用人達は外で待機している。
まあ、会話くらいは聞こえるだろう。
「アンタの番も同席させるか?」
「おりません。…当の昔に番を、解消致しました」
竜族の番解消は、下手をすれば生涯廃人になってもおかしくない程の喪失感を得ると知識では知っている。
竜としての魔力がほぼ無く、何処かくたびれた印象なのは精神的な摩耗か。
しかし――
ぽつり、ぽつりと。彼女は自身の事を話した。
竜王の妃であったこと。竜王の子を二人設けた事。
しかし彼女の身体に現れた竜紋は――別の男のものだった事を。
幼いリンドバルドが誕生した後、妃は運命の番の元に行った。
番が傍に居ないことで、精神的に不安定になっていく妃を留め置くことは出来ないと竜王は判断した。
しかし彼女が子を連れて行くのは難しい。故に王が子供たちを養育すると告げた。
竜王は、『運命の番』の性質を知っていたからこそ、カルミアを解放した。
沈黙が重く部屋を支配していた。暖炉の薪がかすかに爆ぜる音だけが響く。
「まず聞きたいことがある」
キーゼルが紅い隻眼でカルミアを射抜くように見据える。
「番解消ってのは簡単じゃねえ。てめえがそれをした理由は何だ?」
カルミアの唇が微かに震えた。ルビアが息を詰める気配が背後に伝わる。
「私が‥‥‥竜の王国を滅ぼした一因だからです‥‥‥」
運命の番を得た時、カルミアは竜王の妃でありリンドバルドを産んで暫く経った時。
国母としての責務と、抗えない番への恋慕で酷く苦悩していた。
産後で精神的に不安定だった事も在り、おぞましい思惑が頭をよぎったという。
――赤子さえ、居なければ。
番を得た竜は、その番の子以外は殺してしまうことも少なくない。
つかまり立ちが出来るようになった、我が子を。
リンドバルドの首を絞めようか。
そのようなおぞましい妄想に取りつかれた。だが、実行に移す前に我に返った。
(私は…何を考えた‥‥‥?)
自身の恐ろしい本性と番の元へ行きたい衝動。
カルミアは日に日に憔悴していった。
カルミアの背中を押したのは、竜王だった。
『今まで支えてくれてありがとう。番が見つかったのなら、気にせずに行きなさい。
ルビアとリンドバルドは私が育てるから安心していい』
王妃としての責務を放棄した。こんな自分を責めもしない彼の王に、恩義を感じたという。
こうして、カルミアは運命の番と共にラトビルを去った。
…その王への恩義が強まったのは、ラトビルの終焉の折だったと。
それ程までに、番への強制力は強かったと彼女は語った。
そして。
神龍から全ての竜に向けてラトビルの終焉の経緯――リンドバルドが竜王とその妾の子ジゼルを拷問し、自身の番の目の前で殺害したこと。
リンドバルドの暴走を止めるべく、彼に死の呪縛を施すべく同族に惨たらしく竜王が殺された事を知った。
プリムラの死により、ラトビルは滅んだという事実も。
(ああ。――私が王妃として理性を保っていれば…)
(あの人の心の拠り所であったであろう子供すら…私が奪ってしまった)
(私が運命の番の元に向かった所為で。全部私の行いが招いた……)
カルミアは神龍に嘆願した。如何にかあの子を止めて欲しい。
自分が竜王の痛みもリンドバルドの番の苦しみも請け負うから。
――私の所為で番への憎悪を募らせたあの子を、どうか救ってあげて下さい。
竜王や同胞を死の呪縛から、その運命から開放して下さい。
だが神龍は冷徹だった。
『因果応報。全て竜族の欲望のせい』
カルミアは号泣した。
ならばと、番と別れる決心をした。
幸い番はラトビル終焉の衝撃も相まって、カルミアの決断を受け入れてくれた。
運命の番の愛情に浸りたかった。
だが、それが他者の不幸になる。
カルミアは運命の番の愛情を捨てる事を選んだ。
「ふざけないで」
ルビアが震える声でそう呟いた。
「貴女が番と逃げたせいで!!弟は運命の番の彼女を甚振った!!もう一人の…10歳の弟を間男と宣い拷問して殺した!!
あいつは…番も!!その番との子供さえ殺したわ!!間男と蔑んで!!惨たらしく!!!
貴女が!!貴女が私の家族を皆奪ったのよ!!」
激高し、感情のままに泣きながら実母であるカルミアへ当たり散らすルビア。
「ごめんなさい…ごめんなさい‥‥‥」
カルミアはただ詫びるばかり。
それでもルビアは同名のプリムラが居るからか、名を出さない理性は働いたようだ。
「お姉ちゃん」
プリムラはそんなルビアの肩に手を置き、すすり泣くカルミアの間に入った。
「うち、事情は知らん。でもな。
お姉ちゃんのお父ちゃん。凄く立派な人に聞こえたよ。
ウワキ?自分の子を捨てるか悩む奥さんの幸せ願うって、凄いやん。
そのお父ちゃんが育てて、お姉ちゃんは立派なお姫様になったんやろ?」
ならば、おかしい。
そう告げてプリムラは続けた。
「上の弟さん。こう言ったら、お姉ちゃん怒るかもしれんけど。
管理人さん…カルミアさんが出て行かんでも。何か言い掛かり付けて、お嫁さんに悪い事しそうやよ?」
プリムラの言葉は、予想外の角度からルビアを突き刺した。
感情が剥き出しになっていたルビアの肩がぴたりと止まり、戸惑いの色が浮かぶ。キーゼルは内心で小さく唸った。
(この子は……本当に鋭い)
直感か。あるいは盲人特有の他者の気配や心の機微に対する異常な敏感さか。いずれにせよ、その指摘はキーゼルが以前から感じていた疑問と奇妙な一致を見せた。
「……」
ルビアが言葉を失っている隙に、キーゼルが口を開く。
「竜族が神龍に力を没収されたのは、『同じことを繰り返す獣』って事だろ。お姫サマ」
キーゼルは冷笑を浮かべる。
「テメーらの……先々代の竜王。えらい凶暴で人間の国を滅ぼしたそうじゃねえか?」
紅い隻眼がカルミアへ注がれる。壮年の女性はびくりと肩を震わせた。
「ルビアもテメーの親父も……息子の愚行を止めようと必死だった。
お前のもう一人の弟は傷付いた奴の番を空の国から逃がした、優しい子だったな。
ガキでも理解できた筈だ。運命の番を攫うことがどれ程危険か。
それでも、友達を救おうとあの子は番を空の国から逃がした。…勇敢な子だよ。
――それなのに」
キーゼルの声が低く響く。
「その優しくて気高い魂を持つ弟は、兄貴に拷問されて殺された。
……同じ父親から三人も子供が生まれて、リンドバルドはどうしてこうも違う?」
部屋に緊張が走った。ルビアの呼吸が浅くなり、カルミアの指が膝の上で固く握りしめられている。
「母親が出て行ったことは、きっかけに過ぎねえ」
「どういうこと……なの?」
ルビアが震える声で尋ねる。
「リンドバルドの虐殺行為は、先々代の竜王と瓜二つだァ」
キーゼルの目が細められる。
「人間の容姿や性格にこんな言葉がある。隔世遺伝。
カルミアが出て行ったのはきっかけに過ぎねえ。奴の暴力性は、元来持っていたモンなんだよ」
キーゼルは鼻で笑う。
「あのクソ王子は……産まれた時からクソ野郎だったのさ」
「ですが……私があの子の傍に居れば……」
「どうだろな?」
キーゼルが吐き捨てた。
「偶々、アンタの醜聞があって、奴の狂った理由になっただけ。
テメェらは奴の狂気の理由を、生みの親に押し付けているだけだ」
ルビアの顔から血の気が引いていく。
「でも……母上がいれば……」
「甘えんな、お姫サマ」
キーゼルの声が氷のように冷たい。
「テメーら竜族の問題はな……母親とか父親とか関係ねェ。てめえらの種族丸ごとの性質なんだよ。
母親が男と逃げたガキは、全員クソか?父親が真っ当ならガキはまともか?
両親揃ってりゃあ、全員善良か?
違う。アレはてめえら竜族の極端な形だ」
「ゼーちゃん、言い過ぎや」
「…悪い。まあ、人間も似たり寄ったりだがな。孤児でも真っ当になり、良家の生まれでも阿呆になる。
生まれながらの性質だァ」
+++
とはいえ、少しでもこの母子を落ち着けた方が良い。
キーゼルは席を立ち、小玉パインの葉を炒ったものと紅茶の茶葉を混ぜたものを淹れる。
実自体に甘味はそれほど無いが、実も葉も香りは良く非常に柔らかい。葉にはリラックス効果があるらしい。
果実の甘い香りが荒んだ空間に漂った。
フレーバーティーには洋紅檸檬を半分に切ってシロップ漬けにしたものを入れるつもりで瓶は出してある。
(ちょっとは漬かっているみたいだ)
「わあ…ええ匂いやねぇ」
「侯爵邸の菓子、余分に貰ってきて正解だったわ。プリムラ、皿に出しといてくれ」
「うんっ」
「て…手伝うわ…」「あ…私も‥‥‥」
ギスギスした場に淡々と茶菓子を用意していくキーゼル。
匂いにつられた竜族のメイドには、水筒に茶とシロップを混ぜて渡しておいた。
「毒見、いるか?」
「…必要ありませんよ」
少し離れた場所で、竜族たちは深く頭を下げていた。
ルビアとカルミアの確執は500年以上。
流石に全部は聞いてはいられないので、キーゼルが取り仕切る事にした。
「三つだな。お互い、茶が温かいうちに、言いたいこと決めてぶちまけな。
言いたいことを言ったら、喉が渇いていなくても茶を飲め」
淹れた紅茶にシロップを混ぜて差し出しながらそう告げた。
+++
懐かしい匂いが少しだけ心を解していく。
ルビアは深呼吸をして、ぽつぽつと告げた。
「……母の件は戸惑いながらも、運命の番は『そういうもの』だと理解していました。
でも、納得は出来ませんでした」
ルビアは俯き、声を詰まらせた。
「あの時は……王女として振る舞わなければならなかった。……父が気落ちしていたのを感じていたから、自分がしっかりしないといけないと思った」
震える拳を握りしめる。
「誰にも弱音を吐けなかった。
ただただ……寂しくて、堪らなかった」
彼女の言葉は途切れ途切れだったが、震える手で紅茶を一口飲んだ。
紅い隻眼を持つキーゼルが静かにカルミアへ促した。
「………………」
カルミアも無意識に拳を握りしめていた。彼女は目を閉じて深呼吸し、震える声で続ける。
「……子供たちに会いに行こうと思った。けれど……責務を放棄してしまった私が、どんな顔をして戻ればいいのか分からなかった。
申し訳ないと思っていても……子を殺そうと考えた愚か者だから、会えなかった」
カルミアの目に涙が滲む。
「そして……竜王が……あんな残酷な死を迎えてしまったことが……今でも悔しい‥‥‥!」
男女の愛は無かった。
だが、愚かな選択に追い込まれた自身の背中を押して、別の人生を歩ませてくれた。…良き夫だった。
そんな元夫は。愚息の所業を止めるべく、ありとあらゆる痛みを受けて呪術の贄となった。
「‥‥‥あの人のあんな結末など、望んでいなかった!!
どれ程傷を負おうと止めるあの人の腕を、何故切り落とした!?
優しいあの人がどうして制止するか!!愚息は考えも出来なかったの!!??
私以上に愚かな息子に!!!苦しめられて良い御方ではないのよ!!!!!」
血涙を流さんばかりに絶叫し、号泣するカルミア。
フレーバーティーの温かな香りが部屋に広がる。
芳醇な果実の甘さと紅茶の香りが混ざり合い、空気を和らげていく。
ルビアに促され、カルミアは泣きながら紅茶を飲んだ。
その香りに包まれながら、ルビアとカルミアは互いに言葉を交わし始めた。
「ごめんなさい……母上」
ルビアの声は震えていた。
「あなたの行動がすべて悪かったとは思っていない。ただ……大切な人が次々いなくなって……辛かったんです」
「ルビア……ごめんなさい‥‥‥」
カルミアは涙を堪えきれずに拭った。
「私も……あなたたちを置いて行ってしまった罪を背負う覚悟はある。でも……もう一度だけ……」
カルミアは震える手でルビアの手にそっと触れた。
キーゼルは二人のやり取りを見守った。
この親子の関係修復が進む限り、リンドバルドの脅威について考える時間は少しだけ与えられるだろう。
プリムラはキーゼルの袖をそっと摘まみながら、不安げに母親を見つめていた。
「ゼーちゃん……ルビアお姉ちゃんのお母ちゃんが…悪い竜に狙われていたら……。
どうしよう?」
「‥‥‥」
キーゼルは紅茶を一口啜った。
「本題はこれから始まる」
そう言いながら、彼の紅い隻眼は冷徹に未来を見据えていた。
「カルミア殿。聞かせて貰おうか。――その胸に刻まれた、竜紋について」
キーゼルは自身の胸を指して、カルミアに視線を送る。
カルミアが服のボタンを外し、現れたのは――
「どう…して‥‥‥?」
ルビアは気付いていた。
あり得ないものが母親に刻まれていることに。
リンドバルドとプリムラに刻まれた、運命の番の証たる竜紋。
それがカルミアの胸元に刻まれ輝いていた。
「これは禁術『偽りの竜紋』。
400年前、不完全な飛行魔術で、空の国ラトビルの地に降り立った魔術師エピデンドルムが成した術です」




