第27話 シルヴィナ・バーンベルク女侯爵
『運命の番』の解消には方法がある。
特に、後者は非常に強力なものだった。
神龍による解除。
しかし、地上の守護者を自負したにもかかわらず、二千年にも渡り『運命の番』を巡って他国を荒らしたことで『世界の調整者』たる神龍の怒りを買い、ルビア達ラトビルの竜族は力を神龍に剝奪された。
そして、神龍はリンドバルドと前世のプリムラの番の解消はしなかった。
ルビアは動揺を隠せなかった。
その、神龍本人がバーンベルク女侯爵として目の前に居るのだから。
「あら、放蕩息子が久しぶりに戻ったと思えば、美人の娘を連れて来たものだ」
名義上、キーゼルは女侯爵の養子となっている。
「『例の件』が動きそうでな。有事の際は領民の避難を頼む」
「そう、分かった。で?プリムラは?」
「…あんたの所の息子夫婦とお茶しているよ」
何気ない会話を行う二人だが、ルビアや竜族達は沸き立つものを抑えられなかった。
「神龍様ッ!!」
ルビアの叫びがバーンベルク女侯爵邸の応接室に轟いた。その緋色の瞳は烈火のごとく燃え盛っている。
「なぜあの怪物とプリムラの『番』を解消しない!?
プリムラは!前世のあの娘は壊れているのに!!これ以上……あの狂気に晒され続ければ魂ごと消えてしまう!!」
テーブルに置かれたティーカップがガチャンと音を立てた。
女侯爵――シルヴィナは涼しい顔で湯気を立てる紅茶を見つめたまま。
キーゼルは煙草に火をつけ煙を吸った。
プリムラの前では控えて居た所為か、やたら苦く感じる。
彼女の代わりにキーゼルが答えた。
「ルビア。俺がテメーをここに連れて来たのは、俺やテメーら竜が養母の所有する領地に迷惑かけるから、その報告の為だ。
何でテメーらの勝手な都合を、バーンベルクが解決するんだよ」
「キーゼル!番の解消さえすれば、プリムラは…!!」
「生温いんだよ、ボケが。
神様が番を解消しました。それで反省しましたごめんなさい。
――そんなものはやって来なかったんだろうが、テメーらは。
番の大事なものも番自体も破壊しつくしておいて、唯の解消で解決だぁ?
ふざけんなよ、オイ」
――生温いにも程がある。
キーゼルは椅子に深く座り込み脚を組んだ。
「てめえの番は『運命の番』だからって破壊しても許される。……人間を舐めるのも大概にしろ」
女侯爵シルヴィナがカップを置き、愉快そうな笑いを漏らした。
「ふふっ……やはり人間は面白い。私が決めた法則すら粉砕しようとする。
竜族が長年築き上げてきた『運命の番』の優位性を根底から覆す……それがキーゼルの目的らしいな?」
「ああ」
キーゼルの紅い隻眼が凶悪に輝く。
「俺が狙うのはリンドバルドを真正面からぶっ壊してやる事だ。奴のすがりつく愛も、番への一方的な搾取も全て。
奴の流儀で愛し尽くし、蹂躙してやる」
――リンドバルドを支持する竜が居なくて良かったな。
クックッ、と嗤うキーゼルの底なしの憎悪にルビアは総毛だった。
「それで竜族の理を破壊すると?随分と壮大だ」
「その理も始祖竜のものと違うんだろ?初心に戻せばいいだけだ」
シルヴィナの金色の瞳が愉快そうに弧を描く。
「歪めたのは竜族の方。それに人間は勘付いていたぞ」
「アンタも随分と回りくどい事をする」
「君には必要なものだろう?」
「まあな」
「貴方は…何を‥‥‥?」
カラカラになった声を絞り出すように吐き出す。
キーゼルはクックッ、と再び嗤った。
「――――」
「え?」
その答えに、ルビアは今までの違和感を繋げようとしたが、本能がそれを止めてしまった。
「神龍サマの御力は借りねえ。てめえらは安心して指くわえて見てりゃ良い。
プリムラを幸せにし、テメーらの誇りとやらを潰して取り戻してやる」
「でもリンドバルドは。……竜紋を持つプリムラを狙っています。何も知らない彼女を利用するつもりですか?」
「――あの子には…一部話すよ。お前の父親も弟も殺した悪い竜が、ルビア。
お前から何もかも奪いにやってくると」
「わ…私‥‥‥?」
「盲目のあの娘に前世の全てを話して、暗闇の中怯えさせるか。
会ったばかりの『お姉さん』が悪い竜から逃げてきて、捕まりそうなので戦いになるから、あの子に相応の決意をさせるか。
どっちがいい。決めろ」
キーゼルは紅い隻眼を冷たく光らせた。
「ああ。そうか」
ゆっくりと首を傾げた。長椅子に腰掛ける彼の姿勢には余裕がありすぎた。
「てめえは昔と同じだ。傷を負いながらも前に出る癖だ」
ルビアの肩が震えた。
「な……なんなのよ」
「あのボンクラに。頭を傷付けられたよなァ。眼帯の下……もう機能しないんじゃないのか?それだけじゃねえ。
手のしびれもあって、魔法…特に飛行魔法が安定しない」
「!」
ルビアの右手が無意識に握りしめられる。しかし、かつてのようには上手く握りしめられない。
「そ……そんなことは……」
否定の言葉が掠れた。何故キーゼルが知っている?
いいえ、彼は知っていたから察した。
前世でレーヴェンがリンドバルドに挑んだ時。どうしてルビアが不在だったか。
その理由を導き出した。
「竜族のお姫サマ。てめえらの誇り何ぞ、聞いてもねぇよ」
キーゼルの声は毒を含んだ蜜のように滑らかだった。
「悪い竜から逃げている『お姉さん』を演じて、逃げろ。
プリムラはあんたの涙の理由も何もかもその所為だと解釈する。そういう理由ならあの子はあの場所を離れられる」
「逃げて……何になるというのです!?リンドバルドは必ず追ってくる。この土地も人も巻き込むことになります!」
「それはさせないけどね」
神龍――バーンベルク女侯爵はあっさりと告げた。
「私はね、今は此処で人間の侯爵として統治している。…私の正体を知っているものもまあ、要るけどね。
お前。私が領民をみすみす死なせる無能な領主だと思っているのか?」
避難民は受け入れると女侯爵は淡々と告げる。
「では――」
「狂った黒竜はキーゼルに任せるがね。この子の運命だから」
バーンベルク侯爵領は彼女の結界が張り巡らされている。
如何に番を得ようとも、リンドバルドは本来の力を阻害される。
加えて、此処には彼の天敵である彼女の眷属で溢れている。
「リンドバルドがこの地に足を踏み入れた瞬間、奴は最悪の選択をしたことになるよ」
ルビアの肩が再び震えた。言葉にならない嗚咽が喉奥で震えていた。
頭では理解できた。けれど、それを口にすることが出来ない。
五百年。積もり積もった竜への憎悪の塊が、彼だ。
けれど――
彼は、プリムラと彼女が優しく接しているルビアや竜族には少し優しい。
「『あなた』は‥‥‥私に『逃げて生き延びろ』というのですか?」
「ああ」
「‥‥‥そうですか」
ルビアの唇が歪んだ。それは嘲りでも安堵でもない、諦めに似た笑みだった。
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思わぬところで反論に会った。
と言うか、キーゼルは動けなかった。
「嫌やっ!ゼーちゃんはうちが守るもんっ!!」
「‥‥‥」
「うちも一緒に行く!!」
キーゼルはプリムラに全力で抱きしめられ、沈黙していた。
プリムラに事情を一部話した。ルビアが狂った黒竜に狙われていると。
領主の邸宅が一番安全であるので、ルビアとプリムラはそこに居て欲しい。
冒険者であるキーゼルが竜の情報収集とプリムラの畑を守りに行く。
そう告げた所、キーゼルはプリムラにガッチリ抱きしめられ、動けなくなった。
キーゼルは如何にか口を動かそうにも、それが叶わない。
と言うか、どう説得するか。脳へ酸素が言っていない。
2m越えのプリムラの胸に埋もれ、キーゼルは窒息寸前だった。
プリムラの必死の抵抗は、キーゼルにとっては拷問に等しかった。
「っ……ぷ、‥‥‥ラ……!っ……!」
キーゼルはなんとか声を絞り出すが、顔がプリムラの柔らかい胸部に埋まってしまい、その言葉はくぐもった音にしかならない。
彼女の豊満な肉体は包容力そのものだったが、今のキーゼルにとっては窒息装置そのものだった。
「絶対イヤやっ!ゼーちゃんを一人にするなんてできない!」
プリムラは首をブンブンと横に振り、キーゼルの身体をしっかりと掴み離さない。
挙句に尚も抵抗を試みるキーゼルの顔をさらに強く胸に押し付けた。
彼女の身体は温かく、甘い香りがするが、その代償としてキーゼルの肺からは酸素が急速に失われていった。
ルビアは狼狽していた。
彼女自身、キーゼルには無茶をしてほしくないという気持ちと、プリムラには安全な場所にいてほしいという気持ちが交錯していた。
「プ……プリムラさん……!落ち着いてください!キーゼルが……!」
しかしプリムラは聞く耳を持たない。
「うちがゼーちゃんを守るんや!畑も!ルビアお姉ちゃんも!みんなうちが守るんやから!」
その盲信的なまでの決意に、ルビアは言葉を失った。
キーゼルは限界を迎えて痙攣していた
「プリムラ、護る対象が窒息しているよ。放しなさい」
女侯爵の言葉で、プリムラはやっと我に返った。
「ああっ!?ゼーちゃんごめんな!?」
プリムラに両脇を抱えられ解放されたキーゼルは、完全に白目を剝いていた。
女侯爵はキーゼルをちょいちょいと小突き、告げた。
「プリムラは自衛くらいなら出来ると見て良い。何人か護衛は付けるので、状況次第でうちの邸宅に、ルビアとプリムラは避難。
それまでは、自宅に戻りなさい」
若干痙攣しているキーゼルは渋々それで同意した。
「大丈夫なん?ゼーちゃん。うちらと一緒にお邸に逃げてもいいんよ?」
プリムラの声は未だ涙を帯びており、キーゼルは彼女から顔を逸らしていた。
「‥‥‥。勝てないと判断したら、逃げる。君と」
キーゼルは暫く思案した後、やっと彼女に向き合ってそう告げた。
「あの木の実や畑を燃やされるのは業腹だから、結界を強化するように管理人に伝えているよ」
女侯爵にそう告げられ、三人は一度帰路に着いた。
(しかし、プリムラにああも反対されるとは)
前世の強制力だろうか?有事の際にアレをされたら、とてもじゃないが支障をきたす。
「それにしても、領地管理人は魔法を使えるのですね」
「ああ。と、言ってもここは少し特殊だがな」
プリムラ曰く、その『管理人さん』は領民の監督やトラブル処理、治安維持の補助を担っているそうだ。
「女の人でな、優しい人やよー。木の実の育て方も教えてくれたんよ」
若木きのこが毒だと教えたのも彼女だったか。
(きのこは手付かずだったな)
侯爵邸で流し見した『ラトビルグルメ紀行』には赤い茸は無毒と書かれていた。
妙に偏った知識を持っている。
キーゼルは何となくそんな印象をまだ見ぬ管理人に抱いた。




