第24話 夜の来訪者
簡単に食事を終えて、キーゼルはプリムラの髪を梳いて結わえてみた。
プリムラは髪を纏める習慣が無いらしいのと、ふわふわしている上癖っ気でまとまりにくいので、組紐を買っておいた。
(森の中でやたらと髪を引っ掛けていたからなあ)
「おい、痛くないか?」
「大丈夫やよー。ゼーちゃん上手やねぇ」
髪を結ぶ習慣が無いようなので、緩めに編み込んで後ろで括った。
「可愛い?可愛い?ゼーちゃん」
「うんうん、上出来。頭痛くなったら言えよ」
三角折にしたスカーフを付けて準備完了。
ほぼ、おかんである。
防護柵に使える道具は揃っていたので作業開始。
キーゼルが斧とカンナで木を削る鋭い音と釘を打つ音、プリムラが道具を運ぶ軽やかな足音が重なる。
「もっと高くしたいけど、見えんと届かなくてなあ」
「任せろ。こういうのは得意なんだ」
手際よく補強した柵はついに1メートル近くまで高くなった。
「わぁ~!すごい!これなら獣さんも入ってこれんね」
「……まあ竜相手じゃ壁同然だけどな。念のため魔獣避けの札を貼っているから、その方面は問題無いが」
それでも無いよりはマシだと自分に言い聞かせるキーゼル。
「なあゼーちゃん。今日の夜、一緒に寝てええ?」
突然の問いに思わず咳き込む。
昨夜の動揺を気取られたのか、プリムラはそう提案して来た。
「寝床は別だ。当たり前だろう」
長椅子があったのでそれで充分。
プリムラに合わせたサイズなので十分広い。
「そっか……。ゼーちゃん、おやすみなさい」
「‥‥‥、…ん。おやすみなさい」
おやすみなさいと告げるプリムラの声に、キーゼルは軽く返事をした。
(守らなければならない)
(たとえこの転生で『プリムラ』が『リンドバルド』に捕まったとしても)
(今回は――俺が。命に代えて君を守る)
キーゼルは今宵もエピデンドルムの書を読み込んでいた。
諸々を思い出し、魂が軋む感覚に襲われる。
感傷に耽った事で、侵入者に気付くのが遅れた。目尻を拭い、その対処に赴く。
「プリムラ」
「……うにゃ……?」
「起きたか」
「んー……ゼーちゃん? まだ夜やよぉ……おやすみなさいー…すぴー‥‥‥」
寝ぼけ眼でむにゃむにゃ言うプリムラに苦笑する。こいつの無頓着さは一体何なのだろうか。
「‥‥‥おやすみ」
でもそれでいい。今はまだ知らないままでいい。
キーゼルはそっと家屋を出た。
+++
(さて、と)
キーゼルは密かに家屋を出て、こちらの様子を伺っていたフード姿の者の背後を取り喉元に刃を当てた。
「!?」
「街からコソコソ付けやがって。人化した古竜なんぞ珍しい」
「‥‥‥敵じゃないわ。もう直ぐ狂った黒竜が目覚める。
あの混血の娘に逃げてと、伝えに来ただけ」
「何故。理由を言え」
「私はルビア。ラトビルが滅ぶ前、竜族の王女だった者」
「‥‥‥」
知っている。ラトビル最期の竜王の娘。
ジゼルと共に天空城を逃亡した『プリムラ』と『リンドバルド』の番の解消を奴に迫り。
――奴と戦い、敗れ。失敗した者。
首に当てた刃をしまう。
ゆっくりと振り向いたルビアは、あの時と姿形は変わらないものの。
眼帯を付けていても分かるほど、右目に痛ましい傷を負っていた。
「今更、何のようだ」
「あなたは…ジゼルなの?」
「‥‥‥」
キーゼルはその問いに沈黙で返した。
月明かりが苔むした石垣に影を落とす中、キーゼルは目の前の竜族──ルビアを警戒しつつも、彼女の真摯な眼差しに僅かな信頼感を覚えた。
「てめえらのもう直ぐって何時だよ。人間に分かると思うか、ボケ」
「……人間換算で言えば半年後よ」
ルビアは重々しく告げた。
キーゼルの眉がわずかに吊り上がる。
「ハッ、竜族が『正確な』時間を語るなんて珍しいな」
ルビアは隻眼を静かに伏せた。
「あの狂った黒竜は……父王が掛けた呪縛すら打ち消し始めている。我等残存する竜族でアレを食い止める。だから‥‥‥」
リンドバルドの凶行は、神龍の怒りを買った。
『プリムラ』が寿命を全うし次第、原始の姿に竜を戻し、人間との共存の道を断つと言わしめるほどに。
しかしリンドバルドは彼女を蹂躙し続け、死を早めるばかりだった。
よって、リンドバルドによって瀕死の重傷であった父王が、竜族の終焉を招いた王子の暴走を止めるべく成した最期の務めとして呪縛を課した。
父王は、明日にはケダモノ同然に成り果てる事に恐怖し憤る竜の長たちを呼び寄せた。
そして、その憎悪を受け止め、リンドバルドへ死の呪いを執行すべく同族に殺された。
しかし、リンドバルドは父王の呪縛では死ななかった。
挙句、そのプリムラをも――殺した。
そして『プリムラ』の死は、竜族が人化し人と共存した時代を終える終焉となった。
キーゼルの紅い瞳が暗闇の中で鈍く光る。
「つまり……竜族の『封印』ももう保たない、と」
「そうなる」
幾度となく強引に解放された始祖竜の作った牢も、効果が薄れているとルビアは推測している。
ルビアは続けた。
「私たちの計算によれば、あの忌まわしい封印が完全に解け切るのは……あなたたちの暦で言うところの、半年ほど」
「……なるほど」
キーゼルはゆっくりと立ち上がり、夜空を見上げる。
漆黒の大剣の柄に無意識に手を添えながら。
「……準備するのにちょうどいい」
低い声が闇の中に溶ける。
「あの黒竜は『プリムラ』を追うだろう。かつて狂って、何もかもを破壊し尽くした者だから」
「知っている」
ルビアは淡々と告げた。
「ジゼル、今度こそ逃げなさい。プリムラと一緒に」
「ククッ‥‥‥」
キーゼルは凶悪な笑みを浮かべた。
「クハハハハハハッ、ヒーヤッハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
「ジゼル…?」
キーゼルはただ笑い続けた。
その瞳に付きぬ憎悪と狂気を宿らせて。
「――お前は。『プリムラ』を知るお前は。
今更になってあの混血の娘をリンドバルドから守るとのたまうんだなぁ」
仄暗い殺意を込めた眼差しでルビアを見据えるキーゼルに、彼女は思わず後退りした。
「空の国のお姫サマ。‥‥‥『プリムラ』の子は、さぞや立派に成長したんだろうなァ。
アイツも母親を守るために来るのかァ?」
「そ…れは」
ルビアの声が震えた。
「レーヴェンは……彼は……」
月光が彼女の眼帯にかかる影を鋭く刻む。その下で未だ癒えぬ傷痕が疼くように感じた。
「殺された?」
キーゼルの声は氷のように冷たく研ぎ澄まされていた。紅い隻眼がルビアの顔を射抜く。
「あの狂った黒竜はなァ……自分の息子を喰い殺したんだろ? 転生すら出来ねえように……その血肉を一片も残さず喰らい尽くしてよォ」
ジゼルは真っ白い髪と琥珀色の瞳だった。
なのに、黒髪に紅い隻眼のキーゼルを――レーヴェンの色をしているキーゼルを『ジゼル』と、ルビアは言った。
「!」
ルビアの肩が揺れた。風が吹き抜け、彼女の赤い髪が乱れる。
喉が痙攣した。
「な……ぜ……?」
「見ていたからだよ」
キーゼルの答えは単純なものだった。
「前世で。てめえが『次』の戦いに備えている間に……俺は『あの場』にいた」
キーゼルの口元が歪む。凶悪な笑みではなく……嘲笑だ。
友達が竜の炎で燃やされ、自身もその煽りを受けた。
肉を焼かれ見悶える絶望的な状況だったが、全て見ていた。
「あのボロ切れみてえな体でなァ。あいつに燃やされたが息はあった。
立派な子になったもんだよ。糞みたいな父親に壊された母親の為に、よくあそこまで怒り、戦ったもんだ」
ルビアの呼吸が浅くなる。あの場に行けなかった彼女の脳裏にその光景が嫌でも思い浮かぶ。
――血みどろのレーヴェンが黒竜の巨大な顎に飲み込まれていく絶望的な光景。
「……止めるべきだった。プリムラが命を賭けて守った子を、私は‥‥‥」
「止まらねェだろ。テメーも、糞みたいな身内の暴挙を見過ごせるかぁ?
出来ねェから、その眼の傷だ。…若くて血気盛んなら、尚更だ」
「……」
「お前が今更、『次』で逃げろと言うのは勝手だ。
だが、全盛のテメーらでも無理だったろうがァ」
キーゼルの声が一段階低くなった。まるで鉄を打つ槌のように重く響く。
「だがな……その『次』が来る前に、この手で終わらせてやる。あの怪物も、てめえらのくだらねえ因縁ごと」
風が止まった。二人の間に沈黙だけが落ちる。
「私は……ただ……」
「『プリムラ』にはなァ。…あの子には。過去の忌々しい出来事全部話さなくていい」
キーゼルは遮るように言葉を吐いた。
幾度か、プリムラへ前世の有無を確認しようとした。
だが、必要ない。
こんなやさぐれた冒険者に無垢な笑顔を向ける『今』の彼女に、無理矢理記憶を呼び起こすつもりは毛頭ない。
黙っていて、嫌われたならそれまでだ。
あの子が今をのびのび過ごせるのなら、どうでもいい。
「今度も結局、竜紋持ちだろう。
だから決まっている。『次』もあの竜に捕まる前に……俺があの糞野郎を殺す」
「そんなこと…」
「竜のお姫サマ。…人間を舐めてんじゃあねえ。
生命の爆発的な力だけは、他の追随を許していないぜ」
――愛してやんよ、リンドバルド。
てめえがやったんだろうが。番を痛めつけるのがてめえの愛なんだろう?
「その愛に応じてやるよ」
「……正気じゃない」
キーゼルの狂気じみた目を見たルビアが呻くように呟いた。
「今更何を言っているよ」
「じゃあ行くぞ。お前の『主人』に挨拶もしねェとなあ」
「え?」
「半年後までに準備がある。まずは手駒を増やさねえとなァ」
キーゼルが指差した先には、プリムラの家があった。
「ここでドンパチやるなら、家主は寝ている。明日、出直してこい。
あと、領主にも伝えろよ、迷惑かけるって。
‥‥‥ここはテメェの庭じゃねえんだよ」




