第20話 現世 キーゼル、庇護欲が爆発中
「着いたよー。ここがうちの家やよ」
キーゼルは呆然としていた。
てっきり、森深くの小屋やひっそりした家屋を想像していた。が。
明らかに領主が統治している区画だった。
「昔はねー。森の奥で畑拵えてたんよ。そうしていたら、領主様がこの種を育てる場所をくれるって言ってくれたんやで」
「お前、騙されてない?特殊性癖の領主じゃないよね?」
「んー?女の人の領主さんやよ。優しい人だから、ゼーちゃんは心配しなくてええよ」
女の、領主。
過去の地獄の特訓が想起され、冷や汗を流した。
「バーンベルク女侯爵?」
「そうやよー、ゼーちゃん物知りやねぇ」
かつて、自分をボコボコにして鍛え上げた女侯爵の名前を聞いて一瞬意識が飛びかけた。
+++
バーンベルク侯爵領は雄大な神の山脈から流れる湖の傍にある広大な大地だ。西側には深い森が続き、東には穀倉地帯が広がる。ここはその領地の最果て──西の森との境界に近い場所だった。
何せ広大な領地故、キーゼルも全てを把握はしていない。
覚えているのは、竜に復讐心を持ち荒れていた頃。
女侯爵に拾われ、ギッタンギッタンに叩きのめされながら修行した事。
キーゼルは彼女の肩越しに景色を見渡した。確かに森のすぐ隣で治安の良い場所とは言い難い。しかし──
(領主はあの女侯爵。つまり……)
脳裏に雷鳴のように槍を振るう鬼女侯爵の姿が甦る。そして思い至った。
(この娘はバーンベルク女侯爵直々の庇護下にあるという事か)
思わず息をつく。それは一種の救いであり、同時に新たな試練の予感だった。
「なるほど。要は『領主の庭』ってわけだ」
「庭?」
「守られる場所だって意味だ。森に面しているが……おそらく結界魔法がかかっている」
試しに近くの木陰に手を伸ばす。微かに魔力の波紋が感じられる。森から魔獣が接近すれば自動で察知する結界だ。
「すごいやん!ゼーちゃん分かるんや!」
プリムラがぴょんと跳ねる。スカートの裾が風に膨らんだ。
過去の地獄の訓練が蘇り、胃が縮む。しかし同時に安堵が湧き上がった。
(ここなら……この子はある程度安全か‥‥‥?)
プリムラの家はその丘の頂にぽつんと建っていた。背後には鬱蒼とした森が迫り、眼下には芋畑と遠くに街の輪郭が見える。立派な石造りではなく木組みの素朴な平屋。
…とはいえ、プリムラの体格に合わせているので通常の二階建てより大きい。
「ここがうちの畑兼、おうちやよー。」
プリムラは目を閉じたまま楽しげに周りの柵を撫でる。見えなくても手触りで地形を覚えているのだろう。
しかし、なんとも心許ない獣除けの防護柵だった。
「……本当にこれが防護柵か?」
キーゼルが呆然と見つめる先には、木の棒を不器用につないだだけの低柵が点々と立っている。
「うんっ、頑張ったんやで!」
プリムラが胸を張るが、その木の柵はプリムラより小柄(不服!)、であるキーゼルが体重をかけたら簡単に壊れそうだ。
「仕方ない、これは俺が補強するか」
「ええの?ありがとなー。その前にごはんにしよか?ゼーちゃんずっと食べてないやろ?」
そう言って、家から木の実をどっさり入れた籠を渡して来た。
プリムラが持ってきたものに、キーゼルは目を見開いた。
「…洋紅檸檬?」
「うん、ゼーちゃん物知りやねぇ。あっレモンみたいに酸っぱくないよ?」
キーゼルは前世の空の国で見た事のある木の実が自生していることに驚いていた。
籠の中で色とりどりの実が宝石のように煌めき、キーゼルは無意識に指先で一つ摘み上げた。
(ああ……あの時の感触と同じだ)
夜の窓辺。友達と一緒に、食べた思い出。
胸の奥で何かが軋む。
差し出された黄色い小ぶりの果実が陽光に透けて橙色に輝いた。
果皮は黄色で中は赤みがかった果肉……皮ごと食える
甘酸っぱい果汁が口内で爆ぜ、喉の奥まで広がる。
「皮ごと食えるなんて便利なもんだ」
前世であの子が好きだったもの。口に含んだ途端、胸に温かみを感じた。
「どう? 美味しい?」
「……悪くねえ」
(あの竜、目当てはこっちじゃねえの?)
かつての故郷の味。それを持っていたからプリムラは追い回されたのだろう。竜の本能が狂わせた食欲なのか、懐かしさか。
「知っている。…つーか、何であるんだ?」
「んー?植えたら育ったよぉ~。でもあのお花は咲かんのよ」
色々ツッコミどころはあるが、これだけ聞いておこう。
「そのー。お前、肉を食ってはいけない体質?」
木の実ばかりでは腹に溜まらないだろう。
「んー?領主様のお祭りの腸詰めは美味しかったよ?」
プリムラの腹がぐ~っ、と鳴った。
その前に、食事をどうにかしておこう。
「‥‥‥ちょっと待っていろ」
「んー?どうしたん?」
「食事だろ?簡単なものなら俺が作ってやる。その間に着替えてこい」
コケた時の木の実の汁。それがあの時付いたままだ。
「ええの!?ありがとうなあ」
+++
「‥‥‥」
解せぬ。
台所はあるにはあったが、プリムラの背丈に会わせているのでキーゼルは木箱を踏み台にして調理場に立った。
まるで子供のような解決案に若干不服ではある。
(とはいえ、あんまり使った形跡ねえな…。目が見えないなら、火や刃物は怖いか)
碌な食生活を送っていなさそうなので、せめて温かいものでも作っておこう。
キーゼルは魔法鞄からソーセージとザワークラウトを取り出し、プリムラが収穫していたジャガイモと玉ねぎと一緒に煮込んだ。
というか、彼女の家には芋と玉ねぎ…保存の利くものしかない。
プリムラはというと、大きな桶を持って川に行ったかと思えば。
「おふろ~♪」
そう言って植え込みの陰でバシャバシャ服を洗う音がした。
「えっ」
考えるより前に動いていた。
プリムラの家の周りに外壁は無い。
木の実の成った木々や植え込みなどで死角は多いとはいえ、外!!
魔法鞄から敷布を取り出し走った。
プリムラが川辺で水音を立て始めた。茂みの隙間から覗くと、手漕ぎポンプの前で桶に水を張って裸で身体を洗っている。
「こらっ!こんなところで入るんじゃない!!」
思わず声が裏返った。彼女は目が見えないためか警戒心が薄い。
下手をすれば気まぐれで通った通行人に見られる可能性もある。
慌てて敷布を枝に引っかけるようにして簡易の衝立を作った。
(こんなものは気休めだが)
これが彼女の日常なら、洗い場の周囲も衝立をした方が良い。
彼女が泡塗れの身体を流した瞬間──胸元に淡く光る紋様が見えた。
「……!」
狂った黒竜の番だった証。──竜紋。
キーゼルの心臓が跳ね上がった。
(やはり……間違いなかった)
自身が持つ、あの忌々しい竜紋と同じもの。
彼は一度目を強く閉じ、ゆっくりと開く。動揺を押し殺す。
(…何で)
喉の奥が渇く。拳を握りしめた。
「気持ちよかった~。ゼーちゃんも入るー?」
濡れた髪を滴らせたプリムラが無邪気に微笑む。
「これ、着てろ。あとコレも」
背を向けたまま自分の荷物から乾いたタオルと、プリムラの替えの服を放り投げる。
「ありがとなー!ゼーちゃん優しいなあ」
(……運命の番の証。この娘は……)
何故だ。
キーゼルは微かに唇を噛んだ。過去四度、狂った黒竜に弄ばれ破壊された『プリムラ』の記憶が鮮明に蘇る。
あの竜紋がある限り、『プリムラ』はあの狂った黒竜に何もかもを奪われる。
(させねえよ)
キーゼルは拳を握りしめた。
(糞野郎の好きにさせるものか)
タオルが落ちた音と同時に走り出した。
(早くここから離れないと)
自覚は無いようだが、異性に身体を見られることに慣れさせてはいけない。
鍋から立ち上る湯気と香草の匂いだけが救いだった。
(ガッツリ見ちゃった‥‥‥)
動揺しすぎて、煙草を逆さに加えて火をつけていた。
如何にか気持ちを落ち着けて調理に取り掛かる。
「ゼーちゃん、料理出来るんやねえ。いい匂いやわあ」
「…おう」
火を使うのは本人も怖いのだろうが…風呂やら何やら改善させた方が良い。
食事の席に着いた時、普段の食生活を聞いた。
定期的に管理人がパンなどを持ってきてはくれるが、今回のように遠出する際は断っているという。
美味しいとは連呼するものの、全て保存可能な食材なのでいたたまれない。
「んーっ、あったかくて美味しいわぁ。このパンもパリパリでええなあ。
ありがとうなー、ゼーちゃん」
「‥‥‥保存食ばかりでアレだし、今度町に買い出し行こう」
乾パンを齧るプリムラに、気付けばそう言っていた。
「ほんまに?ゼーちゃん一緒に行ってくれる?」
「……一人だと迷子確定だからな」
帰路の最中もあちこちをキョロキョロして、本当に危なっかしい。
それと、盲目の娘がウロウロしていれば人攫いにあるだろう。
まあ、2mを越える竜族の混血児を攫えるとは思えないが。
…いや、あまりにも純粋なこの娘、下手すればホイホイ人に付いて行きかねない。
(俺が言えた義理じゃあないが)
こんな怪しい奴を家に招き入れているので、何とも言えない。
それに――
「うんっ!楽しみやわあ!」
前世以前に、目の前のプリムラの無邪気さに庇護欲が湧いてきていた。
かつて『番』の運命に翻弄された者の魂を持つ娘。
その記憶がないからなのか、あるいは純粋だからなのか。どちらにせよ今は保護すべき存在だ。
「あのな、ゼーちゃん」
「何だ?」
「うちなあ、あのお花以外にも、もっといろんなお花植えたいんよ。だからもし良かったら……一緒に育ててくれる?」
(無邪気すぎだろ)
キーゼルは内心苦笑しながらも、皿を掻き混ぜる手を止めた。
「ああ。見ていてやるよ」
「わぁい!やったあ!」
プリムラが跳ねた拍子に腕が棚を掠め、薬草の束が落ちてきた。
「うおっ」
「ああっ!ごめんなぁ!」
慌てて拾い始めたプリムラの頭に枯草が降りかかる。キーゼルは呆れ半分にそれを払った。
「全く……手間のかかる奴だ」
「へへへ」
乾草の匂いに包まれたプリムラが照れくさそうに笑う。その笑顔を見ているうちに、これまで抱えてきた孤独や焦燥が少しずつ薄れていくような気がした。
(こんな日々も悪くない……かもしれない)
――今だけは。




