第14話 神龍の沙汰
次回、神龍の登場で警備が手薄になったプリムラに対して、胸糞描写があります。
プリムラはリンドバルドを一切認識できなくなった。
「何故だ……!」
リンドバルドの叫びが響き渡る。
医師団が集められたプリムラの部屋で、白衣に身を包んだ老竜医師が沈痛な面持ちで首を振った。
「これは物理的な視力低下ではありません。竜紋は機能こそすれ、番様は殿下を『不可視の存在』として認識するのでしょう」
「そんな馬鹿な!」
リンドバルドが拳を壁に叩きつける。
「私の声も姿も届かないというのか?!」
プリムラは長椅子に横になってうずくまり、虚空を見つめていた。彼女の指は無意識にジゼルが何時も野花や木の実を置いてくれた窓へ伸びる。
「ジゼル。来てくれたかしら?」
「番様、いけません。頭を打っているのです。安静に――」
「…?」
侍女の言葉が理解できないのか、彼女は首を傾げた。その動作があまりに無垢で痛ましい。
「医師の診断は終わった。プリムラを休ませて」
ルビアの厳しい声が割り込み、侍女へベッドにプリムラを移すように伝えた。
「しかし姉上!まだ私は――」
「リンドバルド!その『愛』がプリムラを蝕んでいる事実を直視しなさい!!」
「私の番が他の男の名を呼ぶのを黙っていろと!?」
男。間男と…!!
(ふざけるな‥‥‥!)
異母兄弟とはいえ、実の弟を。幼いジゼルを侮辱する何て。
挙句、あんな残酷な方法で殺したのはお前だろう。
ルビアが負傷した身体を無視して魔力を噴き出した。
その時。
コン、コン、コン
姉弟の対峙を余所に、医師の一人がその存在に驚き、目を見開く。
「お邪魔だったかな?」
あまりにも軽薄な言葉。だが、圧巻する覇気。
「ア…アィン・シュティ――」
「最近面白い人間を見つけてね。…そうだね、これからはシルヴィナと呼んでくれ」
神龍――静かに激怒する雷竜《アィン・シュティル・ヴューテン・ブリッツドラッヘ》――シルヴィナと名乗る彼らの上位存在が静かに現れた。
+++
プリムラの私室から、神龍シルヴィナを謁見の間へ通した。
(……何もかも、遅すぎた)
けれど、プリムラを狂った弟から解放できる。
シルヴィナは当然のように玉座に座り、ルビアとリンドバルドの押し問答を傍観している。
「‥‥‥プリムラを壊したのはお前よ。だから運命の番を解消なさい」
姉からそう言われリンドバルドはそれを拒絶した。
「嫌です、彼女は私の運命なのです。もう少しだけ時間をください」
ルビアは咎めようとしたが、白銀の髪に金の双眸の女性。神龍シルヴィナに止められた。
「そいつは抜きにして話をしようか。この部屋からリンドバルドを連れ出しなさい」
「神龍様…?」
「そこの獣同然には何も言っても届かぬだろう。だがね。
――人間は黙って蹂躙される存在ではないよ、小僧」
リンドバルドが退室後、彼女は口を開いた。
「リンドバルドとプリムラの番の解消だったね。うん。
――やらない」
「え‥‥‥」
予想外の拒絶は神龍様本人から飛び出した。
「やらないよ。今回は、別の件で来たのさ」
神龍は辟易していた。
獣に近い性質を持つ竜が、自身の部下や側近の如く振る舞うのは、取り敢えず許容した。
自身も龍の形態をしている故に、敬うのならそれで良い。
だがしかし、奴らは次第に増長した。
地上の守護者を忘れ人間ら弱き種を蹂躙することが増えた。
極めつけは、二千年前。三代目竜王の番の解消の撤回の交渉手段だった。
『こやつ等の魂を捧げます!!ですから番の解消だけはお許しください!私が喰らった彼女を再び我が運命の番にして下さい神龍様!!』
そう言って、千人ほどの人間の生贄を神龍に捧げて来た。
腹が立ったので、竜王の竜紋を強制的に引き剥がした。その腹から番の魂を引きずり出し番の運命から外し、番の解消とした。
『三回。お前たちの愚行を見逃そう。まあ、これで一度目だがね』
そうして、生贄は解放され、三代目竜王は廃人となった。
その噂に尾ひれが付いて、『竜族の申し出で運命の番の解消は叶う』となった。
そして、千五百年前。『運命の番』に執着し、番の居た人間の国を滅ぼした先々代の竜王を喰い殺した。
『三回。お前たちの愚行を見逃そう。まあ、これで二度目だがね』
神に竜の管理を押し付けられたとはいえ。
『運命の番』を得た竜は全ての能力が増幅する。
真なる魔王への抑止力も兼ねて『運命の番』は容認して来た。
本来、運命の番の定めは運命の女神の領分。
その領分に触れないギリギリのラインで対処はしてきた。
シルヴィナは竜の番トラブルに干渉するたびに、天界からそれはもうチクチクと嫌味をぶつけられてきたし処罰として鞭打ちも受けた。
――誰が、竜の本質たる地上の守護を放棄し、地上の民を破壊せよと命じた?
それを呑み込み、忠告に留めた。
竜の愚行に毎度駆り出されるのも業腹だった。
しかも、今回は質が悪い。
よくも、人間の魂をあそこまで破壊しつくしたものだ。
(潮時だね)
「だからお前ら獣は、婚姻制度なんぞ作るべきじゃない」
よって、獣であるお前たちの所業の沙汰を言い渡しに来たのだと、神龍は冷徹に告げる。
「竜族は神に近い存在とはいえ、獣は獣。
くだらない矜持で勝手に国を作り、『運命の番』の衝動で全てを破壊する。どの道、王太子リンドバルドは狂い、王女ルビアは右目を失明。もう一人の妾の子は王太子が殺害。
――竜王。番プリムラが寿命を全うし次第。
ラトビルは解体しなさい。お前たち竜は個の力が強く、国は維持できない」
瀕死の竜王は床に膝をつき、あまりにも冷酷な命令を聞いていた。
「人語を話し、姿を人のそれと擬態させようが所詮はケダモノ。力が強い分余計に厄介極まる。
私は三つまで目をつぶると言ったがね。お前たちの猶予は残りひとつだった。
『運命の番』の儀式を放棄した。
うん、これで三つ目としよう」
「シルヴィナ様…ミレットの‥‥‥プリムラの義妹を死に至らしめた件に関しては――」
「人間の自殺まで数に入れろと?あの娘の自業自得さ」
ルビアは無意識に拳を握るが、理解させられた。
神龍は竜の味方でも、人間の味方でもない。
何処までも中立な、『世界の調整者』なのだ。
「……それで」
ルビアが絞り出すように言葉を紡ぐ。
「神龍様はなぜプリムラを……その番契約を維持なさると?」
シルヴィナの金瞳が微かに揺れた。
「あの娘の魂はいまやヒビ割れたガラスだ」
彼女の威厳と倦怠が同居する声が玉座の間に響く。
「もし今、無理やり契約を断ち切れば――」
ルビアが息を呑む。
「――輪廻の奔流に飲まれた途端に歪む。『壊れた魂』は脆弱だ。善より先に悪しき思念が纏いつき、次の生では悪夢の具現となるだろう。真なる魔王の尖兵として蘇る可能性すらある」
「そんな……!」
「貴様ら獣どもの行いが招いた災厄だね」
シルヴィナは嘲るように笑った。だがその笑みは自らの無力さに向けられているようにも見えた。
「運命の番を解消しないのではない。解消できないのだ。今この刹那においてはな」
彼女の金色の双眸が天井を仰ぐ。そこには誰も知らぬ神々の掟が映っているかのように。
「壊れた魂を癒やす方法はひとつ。時の流れだ」
「時……?」
「輪廻の中で浄化されねばならぬ」
シルヴィナは言葉を選ぶように一拍置いた。
「あの娘には『運命の番』という楔が必要なのだ。無限に繰り返される転生の牢獄であっても、竜の加護が彼女の魂を歪みから守る唯一の盾となる」
ルビアは拳を握りしめる。
「さて、番プリムラを破壊するに至った元凶への沙汰を出そう。
彼女を『運命の番』の規範に違反し虐げた側室、使用人達。その血に連なる者。
奴らの悪意に応じて人語を話す能力及び人化の剥奪。魔力の没収。
プリムラが寿命を全うし次第、原始の竜に戻りなさい」
シルヴィナの宣告は雷霆の如く大広間を打ち据えた。竜族の高位貴族たちが集まる謁見の間――普段は威厳に満ちた空間が、今や震えと畏怖の渦巻く場と化している。
「お待ちください!」
最初に声を上げたのは大臣の一竜だった。額に汗を滲ませ、金の鱗が異常に光沢を放っている。
「我らは神龍様の御意志に従って参りました!今回の件も……若気の至りとはいえ……!」
シルヴィナは眉すら動かさなかった。銀の睫毛を伏せたまま、竜紅玉の玉座に腰掛けるその姿は絵画のように美しい。
しかし漏れ出る気配は冷たく研ぎ澄まされ、大臣の喉仏が痙攣した。
「私の意志?『運命の番』などという名の、無辜の種への破壊衝動を認めた覚えはないがね。
お前たちが勝手に望んで制定し、人類を拉致し魂を破壊した。これを二千年近く繰り返してきたのが『若気の至り』とは笑わせる」
彼女の金色の瞳が僅かに開いた。
「『番の解消』。これも竜の執着が尋常じゃないからね。同種同士なら喧嘩別れも出来ようが、他種族相手だと相手を殺し周囲を滅ぼすから始末に負えない」
細い三日月型の瞳孔が一瞬だけ獰猛に尖る。
「人語を操る鱗付きの獣よ。『文明』とやらを持つと豪語する割に、お前たちは群れの中の雌雄関係と何ら変わらぬ。本能で獲物を追い詰め、飽きれば棄てる。
――ああ、番を喰らい、永劫輪廻転生出来ぬようにした者も居たなあ」
大臣のみならず、壮年の竜たちの汗がとめどなく流れた。
「それでは!神龍様が我々の力を奪うということは……!」
若い貴婦人の竜が悲鳴を上げかけた。艶やかな翠玉色の鱗が羞恥と恐怖で変色している。シルヴィナの指がほんの少し宙を切っただけで、彼女の口から出かけた反論は文字通り霧散した。
「消えるのは力ではない。お前たちの存在の定義そのものだ。
『竜』であることを忘れたのか?
――魔力もなければ人に似せた姿もない。ただ原初の獣の姿で地上を這いずり回れ。それで世界の均衡は保たれる」
謁見の間を支配するのは息も詰まるような沈黙だった。竜族の高慢さを支えてきた『人化』と『言語』。それが剥奪されるというのは精神的な殺戮に等しい。
何匹かの竜がガタガタと震え始めた。
「承服できぬ!」
そう吼えたのは屈強な武闘派の竜だった。彼はかつて悪しき人間の領土を焼き払った英雄として祭り上げられていた。
「我らは竜だ!誇り高き種族だ!お前にそれを奪われる謂れはない!」
「ふむ。――だからだよ?」
彼女の声は変わらぬ平板さだったが、その背景に深淵のような暗闇が広がる錯覚さえ起きた。
次の瞬間、シルヴィナが指を弾いた。そして―――
雷鳴が落ちた。
音だけであらゆるガラス細工が粉砕し、竜たちの鱗に沿って微細な稲妻が走った。
暴言を吐いた武闘派の竜は一声も上げずに床に崩れ落ちる。その巨大な体躯から立ち昇るのは煙ではなく……微かな光の粒子。掠っただけで、竜は崩壊した。
「真なる魔王の配下が潜んでいたことすら、感知できないとはね。
竜の質も堕ちた。潮時だ、王よ」
シルヴィナは崩れ落ちた竜――魔族に一瞥もくれず宣告する。
「悪意の判別すら出来ぬ獣に用はない。抗いたくば止めはしない。相手になろう。
無駄に増えた分、阿呆が消えれば世界の秩序は保たれる」
彼女の言葉は刃よりも鋭かった。玉座の周りに集まった百以上の竜たちが一斉に伏した。恭順の意を示すため――いや、ただ命を繋ぐために伏せたのだ。
震えながら地面にひれ伏す者。涙を流す者。中には『番様は……』と呟きながらシルヴィナを見つめる者もいる。
だが誰ひとりとして顔を上げて視線を合わせる者はいなかった。その眼は見るものを砂と化す魔眼に匹敵する力を秘めている。
「哀れよな」
シルヴィナの呟きは囁くようで居て会場に響いた。
「己の根源的な衝動に振り回され、他種族を犠牲にし続けてきた末路がこれだ。
――いや、この程度で済むならまだ温情というものだろう?」
彼女は玉座からに立ち上がり、謁見の間を見回した。その目には同情の色も憐憫の色もなく、ただ分析するような冷静さがあった。
「裁定は確定だ。貴様らの愚行に毎度駆り出されるのも業腹なのだよ。
――生き延びたくば善行を積め。最後の情けとしてな」
歩を進めるシルヴィナの足音以外聞こえない静寂だけが残った。
去り行く白銀の髪が神々しいほど美しくも――その姿は死の神そのものの重さを伴っていた。
大広間の静寂が耳に痛い。
竜族の誇りも、権威も、未来の夢も。
――この圧倒的な存在は、短命種の壊れた番が死ぬまでと定めたのだ。
竜族にとって、それは心の準備など到底できない短いもの。
唯一残ったのは圧倒的な敗北感と……絶望感だった。
そしてその静けさの中で――
シルヴィナは謁見の間の扉へと向かう途中、足を止めることなく背後へ告げた。
「そうだ。元凶たるリンドバルドへの沙汰だが――
『私』は何もしない。アレの愚かな行為も止めないよ」




