第11話 ミレットの策略
私は愚かな女だった。
父母が義姉を虐めるのが当然だと思っていた。
幼少期は両親に言われるままプリムラを虐げた。母は貴族の誇りと称して嘲笑し、父は無関心を装いながらも娘の嫌がらせを容認していた。その空気が当たり前に感じていたのだ。
「あの子はごく潰しよ。私たちの娘とは違うわ」
母の言葉は呪文のように耳に沁みついた。庭で花を摘むプリムラの亜麻色の髪を引っ張り泣かせた時は『面白いゲーム』だと思った。彼女の翡翠色の瞳が潤むのを見るのが楽しいくらいに。
転機は十六歳の婚姻だった。相手はエピデンドルム伯爵家の青年。優しく聡明で、私の振る舞いに眉を顰めた彼はこう言った。
「ミレット。君は本当に正しいと思って、お姉さんを虐めたのかい?」
最初は憤ったものの、夫は優しく、時に厳しく私を諭した。
気付けば、こんな性格の悪い私を受け入れてくれた夫を愛していた。
夫と共に、書物や旅先の教訓を通して己の過ちを知る日々――
そうして4年後に、プリムラが竜族に嫁いだ後の話を聞く。
「義姉さんは幸せなのかな?」
一度、謝りに行きたい。
義姉が大切にしていた生母の形見ハンカチ。
ボロボロにしてしまって、その頃には夫の影響も在って性格はマシにはなっていた。
義姉が嫁ぐ前に如何にか修繕したけど‥‥‥。
不器用な私では上手くいかなかった。面と向かって、今までの事もきちんと謝っていない。
ごめんなさいって、ちゃんと詫びないと。
けれど、『運命の番』として愛される筈のプリムラの評判は――夫自らが貶めていた。
不安が募り、密かに情報を集めた。
「何で…?」
有名な話となっていた。
竜族の王宮で側室に虐められ、夫からも冷遇されていると。
――衝撃を受けた。
「どうして?『運命の番』は愛される存在ではないの?」
夫の助言で教会や魔術師の学び舎へ通い始めた頃から、学問の虜になった私は古文書を漁るうちに真実に辿り着く。
伴侶を持った『運命の番』との恋愛トラブルや竜の愛情に疲弊し自死を選んだ番など、厄介な事件も多い事に。
そして、ある情報に釘付けになった。
――「運命の番」を解消する方法。
それは『竜族と番双方の同意で解消』。…4年も冷遇されている状況で解消しないのは、相手に問題があるかもしれない。
そもそも、解消に応じた事例は最短で60年?…遅すぎる。
もう一つ。とある条件下によって『世界の調整者』たる神龍が介入するというものだった。しかし、これは竜族からの申告でなるもの。
人間が神龍に干渉するのは…神に会うのと同等。極めて難しい。
「何でよ…。竜が勝手に運命と位置付けて、なのに、人間には何もできないの?」
どの情報も人間には不利な事この上ない。
そして彼女は更なる情報収集で知ってしまった。
番には竜紋が浮かび上がる。そして、番が死んでもその魂は竜紋がある限り、永劫の時を竜に縛られる、と。
――プリムラは、未来永劫。夫に悪く言われて、不幸な結婚を強いられるの?
そんなの、耐えられない。
「なら……」
番の解消法の二つ目。
『番もしくは番の血族が竜族に加害され死を迎えた時、竜族から神龍の介入を申し出られる』。
…これを、実行に移す。
地上の守護者を自負する竜族が、酷い醜態を晒してしまえば。
人間の為に動く状況を作ることが出来る。
父は流行り病でこの世に居ない。母とプリムラは血の繋がりが無い。
「私が――」
その考えは罪悪感から来たものか、自己犠牲か判然としない。ただ決意は固かった。
夫が余命宣告されて、悪い事ばかりしてきた自分はせめて、最期に何か…償いをしないといけないと思った。
+++
夫が病に伏して亡くなった数ヶ月、私は社交界に出た。
『義姉を馬鹿にする義妹』を演じ、男に媚びる日々。
そうして、竜の国の王太子リンドバルドに接触した。
偶然を装い、王宮で再会した時の彼の嘲笑は予測通りだった。
「お前の義姉は無能だが、お前は愛らしい」
その侮蔑の声に内心穏やかではなかった。だが同時に計画が動き出す兆候でもあった。
こいつはプリムラへ異常な執着が在って、私を利用しようとしている。
――なら、逆に利用してやる。
ある夜会でのこと、側室たちとリンドバルドが酒宴を開いた席で私は堂々と宣言した。
「プリムラったら田舎臭いし、そんな女が王子様のお妃なんて、本当に恥ずかしいわ!」
「ほほう」リンドバルドの目が光る。
「詳しく教えてもらおうか」
側妃達の嘲笑が轟く中で私は作り笑いを続け、プリムラを罵り、どうやって虐げたが面白おかしく話し続けた。
――プリムラ、ごめんね。
こうしなければ、貴女の元へ…空へ行けない。
そうしてリンドバルドの手引きで、私は天空城へ足を踏み入れたのだ。
プリムラを虐げることに抵抗はあった。
でも、やらなければ。あいつを騙し切らなければ。
リンドバルドは竜紋を介して義姉の気持ちや居所が分かるらしい。
…プリムラに気付かれてはダメだ。
私は悪い義妹で居なければ。
――プリムラには味方が居て安心した。
幼竜のジゼルという子供は頼りないが、子供の竜でも天空城を行き来できると聞いた。ならば、プリムラが『逃げたい』と思えばあの子が協力するかもしれない。
リンドバルドの姉も、まともな思考だった。
『番解消に至る重篤な事案』が発生すれば、王女である彼女の意見は通るはず。
プリムラ、今までごめんなさい。
こんな方法でしか助けてあげられない、馬鹿な妹でごめんなさい。
でも、貴女には幸せになって欲しい。
傷付ける以外に貴女を救う方法が無くて、愚かな妹でごめんなさい。
…こんな男、間違っても好きになったら駄目だからね。
見切りをつけて、逃げて。
貴女を虐めて来た女に同情なんてしないで。
「‥‥‥」
死の淵に立ちながらミレットは記憶をたどる。
ルビアがミレットを問い詰める。
「馬鹿なの?知っていて、どうして」
違和感はあった。
…綺麗すぎたのだ。
ミレットがルビアに寄越した手紙は筆圧も綺麗で、蜜蠟まで押されていた。
こんな、赤紫に腫れてむくんだ手で、激痛が起きる死の間際に書けるものではない。
「そうなると分かっていて、何故!?」
「…だって、不公平じゃない。どうして、プリムラは…あんな奴の…為に……、永遠に苦しむの?
あんたの言う通り…馬鹿な私じゃあ、姉を…あいつから‥‥‥解放、する…手段が…これ以外……なかったの」
「ミレット!治療を受けて!」
ルビアの叫び声が室内に響いた。治療師たちが駆け寄るも、ミレットは白いベッドシーツを握りしめ必死に抗う。
「駄目よ……お願い……このままで……」
鮮血が唇から零れ落ちる。腹部を貫く激痛で意識が途切れそうになるが、彼女は最後の力を振り絞った。
「……助からないわ。竜族の子種を…受け入れた時点で……」
「それでも!プリムラの家族を放っておくわけにはいかない!」
ルビアが治癒の術を唱えかけると、ミレットは顔を上げ必死に首を振る。
「やめて……居ない‥‥‥。ねえさん…傷つける…いも…と、‥‥‥いない。
ね……さん…を……解放するために……このまま…苦しんで…死なせて‥‥‥」
突然痙攣が始まる。血管が破裂するように痛みが全身を駆け巡り呼吸が詰まった。
「なぜ?お前こそ……」
ルビアの問い掛けにミレットは弱々しく告げた。
「わ…た…が‥‥‥苦し…で…死ねば‥‥‥竜族は‥‥‥つ…がい‥‥‥解消に……」
動く。
そう告げる前にミレットは激しく吐血した。
「わ…たし…悪女…でいい…。夫…は……分かって‥‥‥くれる‥‥‥」
――だから、私が地獄に堕ちる前に、不貞をした事、謝らせて。あなた。
遠ざかる意識の中で彼女は笑う。プリムラを閉じ込めた鎖が今まさに切れる予感を胸に抱いて。
ミレットは苦悶の中でも首を横に振り治療を拒む。そして、たどたどしい声で訴えた。
「プリムラを、……守って……くれ……ありが……と‥‥‥」
その言葉を最後に彼女の腫れあがった瞼が落ちる。
否。
恐ろしい死の形相を作り上げる為、歯を食いしばり無理矢理瞼を挙げた。
死に足掻く、みっともない女。無知で愚かな人間。
ミレットは最期まで悪女を演じきって見せた。
遺体の上に白百合の花弁が舞い落ちる。
悪女ミレットと呼ばれた女の最期はあまりに壮絶で、儚く美しかった。
「馬鹿な子……」
ルビアが嘆く傍らで神官たちは棺を準備する。
義姉を救うため悪役を演じ切った愚かな…だがプリムラの妹が今まさに永遠の眠りについた。
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治療を施していた宮廷魔術師が怯えながら尋ねる。
「ルビア姫……殿下は……」
「黙って」
彼女の怒気を含んだ声音が部屋を凍らせた。
「今は一刻も早く……神龍様へ知らせを!」
重傷の父王を介助する兵士たちが駆け込む。ルビアは痛む身を起こし指示を飛ばす。
「側室たちと側近を厳重に監視。叛意のある者には即刻処刑も辞さぬと伝えなさい」
「ですが姫……そのお怪我では……!」
「私の身はどうでもよい。あいつを止めることが最優先よ」
歯を食いしばりながらも瞳は炎を宿していた。
彼女は意識朦朧とする父王に近づくと跪いた。頬に伝う汗を拭い、努めて穏やかな声で問いかける。
「父上……」
「構わぬ…そなたの、思うままに‥‥‥」
父の治療は城の者に任せることにした。
「追え!全騎竜隊出撃せよ!」
警笛が鳴り響き、水晶宮殿に続々と騎竜兵が集まった。だが誰の胸にも敗北の予感が渦巻いている。
相手は暴走中の第一王子だ。
番への執着での暴走故、理性無き獣同然。
討伐ではなく捕縛が主眼とはいえ、帰還できる保証はない。
「無論だ。弟を止めるのが姉の務め……いや、償いだ」
鮮血に塗れた右目を布で覆いながら、彼女は毅然と言い放つ。
「リンドバルドの歪みを見抜けず放置した結果だ。せめてそのケジメは付けさせてもらう」
リンドバルドの暴走に巻き込まれて死者と重傷者が多数出ている。
そんな中で竜化の解除と共に昏睡したルビアは、治療師たちに運ばれ、やっと目覚めたところだった。リンドバルドが城を飛び去って3時間が過ぎ、追撃隊も出発している。
「総員出撃!!」
――その様子を、密かに神龍は見ていた。




