第10話 竜が番へ捧げる真実の愛
私は自身に運命の番が見つかった時、抗えない引力と番に愛を囁くことが至上の喜びという渇望を抱いた。
しかしその愚かな感情は、憎悪という信念で自身を焼き尽くす。
『番制度』を私は嫌悪していた。
母が運命の番を見つけ、父や姉、自身を捨てて行ったのは記憶に新しい。
故にプリムラを拒絶した。
拒絶されたプリムラを見た私を締める感情は、得も言われぬ多幸感だった。
私が運命の番を見出した瞬間──それは激痛だった。
プリムラという名の人間の娘の姿が脳に焼き付けられ、全身を貫く飢餓感が理性を食い千切ろうとする。これは支配だ。竜族が長年呪縛されてきた宿命的強制力。
「番など……」
私は拳を叩きつけた。母の顔が脳裏を過る。
彼女は運命の番の出現と共に狂喜乱舞し、私や父王、姉を置き去りにして消えた。幼少期の無慈悲な母の拒絶が心臓に刺さった棘となり、今なお抉り続ける。
──だからこそ認められなかった。本能が叫ぶ伴侶を。
水晶宮殿の天井から吊るされたシャンデリアが瞬く下、儀式用の純銀の指輪を差し出しながら、私は氷のような笑みを浮かべた。本来は番に永遠の絆を誓うために用いる品だったが……
「人間風情が番など最悪だ。私は貴様を運命の番などとは認めない」
私は指輪を落とし、踏みつけた。
プリムラの翡翠色の瞳が揺れる。彼女の胸には既に微かに輝く竜紋が刻まれてあった。
だが、私の心は石のように冷たく固まったままだ。
「貴様は永遠に私のものだ。逃げることは許されない」
それは愛の囁きではなく宣告だった。所有と拘束の言葉。
彼女が怯えた表情を浮かべると、不思議な昂揚感が体内を巡る。竜紋が体内で燃えるような熱を放ち、血が沸騰する錯覚に囚われる。
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儀式後、私は速やかに側妃たちを召喚した。
「王子殿下……お召しにより参上致しました」
艶やかな鱗を持つ竜族の令嬢たちが膝をつき、それぞれ異なる色の宝玉を煌めかせる。彼女たちは誇り高い竜族でありながら、王太子妃候補だった者達。
再び妃になれる価値を見出されたことへの喜びの方が大きいだろう。
何より。
下等な人間如きが王太子の『運命の番』となり、正妃となった。
彼女たちの敵意はさぞやプリムラを甚振りつくすだろう。
――そうすれば、儀式の時のような昂揚感が私を満たす。
婚礼夜に夫婦の寝室へ入ると、私は敢えて彼女たちを集めさせた。豪奢な夜着を纏った美しい女性達が室内を埋め尽くす。
「プリムラ殿下、皆様をお迎えしております」
侍従が嘲笑混じりに告げる。
ベッドサイドに佇むプリムラの顔面から血の気が引いた。
「殿下……これは一体……?」
「見ての通りだ。我が側室たちだ」
私は冷笑し、彼に恋慕の情を寄せる女の腰を引き寄せた。鋭い爪でドレスを裂きながら接吻を交わす。プリムラが息を飲む音さえ官能的だった。
竜紋が彼女の悲しみや羞恥と共鳴し、熱烈な衝動となって私の全身を駆け巡る。
「なぜ……」
亜麻色の髪を掴まれ、震える声で問い掛ける彼女に、私は耳元で囁く。
「これがお前の運命だ」
彼女の瞳が絶望に染まる。その表情は私の快楽中枢を刺激する劇薬だった。私の中の怪物が目覚める。
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その後も私は手段を選ばなかった。
ミレット・エピデンドルムを天空城へ招いたのも作戦の一部だ。プリムラと同じく貴族の出自でありながら卑劣な性格の持ち主。
「ミレット、君に期待している」
「もちろんですわ、リンドバルド様。あの娘を泣かせるゲームですね?」
彼女は蛇のような狡猾さで嗤った。葵色の髪を揺らしながら扇子を口元に当てる。
彼女がプリムラを罵る姿は私を愉しませた。
生憎と姉君の庭には入れない。だが、竜紋は彼女の痛みを私に教えてくれた。
義理の姉妹としての因縁も相まって、より複雑で深い痛みを与えてくれるだろう。
その度に竜紋は歓喜に沸いた。
プリムラの肌が傷つくたび、彼女の心が砕けるたびに、私は幸福感に満たされるのだ。
だが、足りない。
彼女はもっと絶望するべきだ。
ある晩のこと。夫婦の寝室から漏れる甘い喘ぎ声。その源は……
義妹ミレットの媚びた声が響く。私はわざと扉を開け放ち、プリムラが通路を通りかかる時間を狙った。
プリムラの翡翠色の瞳が絶望で染まる。大理石の床に崩れ落ちる音さえ陶酔に変えてしまう。
運命の番を拒絶し、嘲笑の対象にする。この背徳行為こそが私の魂を潤した。
プリムラが絶望することで、私の幼少期のトラウマが癒されていく。
私はプリムラに恵んだことも無い子種を、愛を囁きながら義妹ミレットに注ぎ込んだ。
そのプリムラは逃げ出したが、竜紋がある限り逃げられん。
さて、束の間の安寧を得たあの女の絶望はどれ程甘美だろうか。
兵に番の脱走を告げ追跡を命じたが、囚われたのは私であった。
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拘束が解け、竜王である父に呼び出されたある日、私に父の拳が放たれた。
「ミレットは死んだ。貴様が殺した」
部下たちが白い布に被せて運んできたそれを私の前に置く。
布を外されたそこには、恐ろしい形相のまま死に絶えたミレットが居た。
姉ルビアが冷たい視線で告げた。
「拒絶反応よ。番の居ない竜族ならいざ知らず、運命の番を持ったお前の子種は人間には猛毒でしかない」
姉は続けた。
「母の事は番の衝動もあって仕方のないこと。母の件に貴方の番が、何の関係があるの?
番制度を拒むのなら、彼女を解放しろと忠告した」
本来、ミレットの拒絶反応に関しては対処の仕様はあった。
だが、よりにもよって番であるプリムラの義妹との不貞。
故に、放置した。
愚かな者への最後の忠告の為に。
「プリムラはラトビルから去った。良かったじゃない。
あれ程疎んでいた番なのだから、もう解放してあげなさい」
「お前は新たな正妃候補を側室から選ぶといい」
父王の言葉に私は激高した。
「……私の……番への……」
喉奥から湧き上がるのは灼熱の塊だ。これまで封印してきたもの、プリムラへの抗えぬ引力が己を縛る鎖を断ち切り膨張する。
玉座の間に鎮座する宝珠が突然狂ったように鳴りはじめた。それは竜族の昂ぶる魔力に呼応する警告の予兆。
「ルビア姉さん!なぜ止めなかった!?」
「再三忠告はした。だがお前は聞かず番を痛めつけ快感を得る始末。
母以上におぞましいお前の傍に居る彼女が哀れだわ。
――神龍様へ彼女の竜紋の解消を願い出た。じきに番ではなくなる。お前の望み通りに!!」
「黙れ!!」
怒号と共に胸に刻まれた竜紋が赫く光る。それはプリムラと不可視の糸で繋がる烙印。拒絶すればするほど熾烈に燃え盛る禁忌の印だった。
「ッ……!!」
ルビアの言葉がトリガーとなって理性の堤防が崩壊した。暴走する魔力が肉体を突き破り、私は巨大な黒曜石の鱗を持つ竜へと変貌する。
玉座の天蓋が音を立てて吹き飛んだ。水晶宮殿全体が振動し、衛兵たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
『――リンドバルド!』
父王が頑健な岩のような鱗を持つ竜へと変貌し、堅牢な岩壁が私を覆う。
ルビアも赤い鱗を持つ竜へと変貌し、詠唱と共に創り出した幾重もの紅玉が連なる結界が私の前足を絡め取る。しかしその防御は瞬時にひび割れた。
番への執着は、力をその愛の分だけ増幅させていく。
それが、狂った愛であろうと。否。
これは私がプリムラへ捧げる真実の愛なのだ!!
王宮全体が地響きに揺れ動いた。変貌した黒鱗の巨躯が天蓋を突き破り、漆黒の翼が月光を遮る。
『ルビア!我を援護せよ!』
父王が黒竜に穿つ岩の礫、赤鱗の竜が紅玉の結界を展開するも、触れた瞬間粉砕した。黒竜の咆哮が城壁を粉砕し、床に亀裂が走った。
竜王に加勢した他の竜たちは吹き飛ばされ、がれきの下敷きとなる。
そこに黒竜の炎が吐き出された。
『愚かな弟よ……!』
ルビアの怒りと共に紅い電の奔流が迸るも黒竜の翼が容易く薙ぎ払う。
次の刹那、太い尾がルビアの側頭部を直撃し鮮血が飛び散った。
同時に巨大な鉤爪が父王の岩鱗を穿つ。噴き出す血液と共に父王の巨体が転がった。
『行かせぬ‥‥‥!!』
父王が黒竜の足を掴み岩で覆おうと試みた。
しかし、黒竜はその父の腕をかぎ爪で両断した。父の血が舞う。
『おおおおお!!!』
ルビアは幾重もの紅い雷を打ち込んだ。父が作った一瞬の隙、それを無駄にせぬために。だが黒竜の皮膚は雷撃さえ吸収した。
その威力でさえ、リンドバルドの狂気を飼い慣らすことは不可能だった。
ルビアは結界を展開しリンドバルドを封じ込めようとした。だが――
プリムラを逃すわけにはいかない。番への執着が暴走魔力をさらに肥大化させていく。
彼の口から閃光を放ち、結界を粉砕する。
『邪魔をするなぁアアアア!』
咆哮と共に放たれた閃光はそのまま、ルビアを直撃する。噴煙の向こうでルビアの血が舞った。
姉の怒号さえ届かない。私の意識は遥か西方へ向いた。
プリムラの気配。
僅かに残る番の痕跡。
それが導く闇。
「ぐおぉぉぉぉぉ!!!」
翼を一閃。竜族の王国の上空へ舞い上がった。
+++
リンドバルドの瞳に宿るのは憎悪ではない。
狂気に彩られた純粋なまでの愛――
プリムラを『失う』恐怖が彼を駆り立てる。
「……返せ!我が運命を!!」
誰に向けて叫んだのか分からない怒声が空へと消えた。
王宮に残されたのは惨状。
血に塗れた父王は重症で宮廷魔術師たちが治療に取り掛かった。
夜空を焦がす雷雲が稲妻を孕んで荒れ狂う。
ルビアは崩れかけた玉座の柱に寄りかかりながら、己の失態を噛みしめていた。右目と頭部は夥しい出血、竜化した弟の爪が肉を削いでいった痕跡が激痛を与える。
「私が……止められなかった……!」
大理石の床に滴る血。
ルビアは右掌をかざし治癒の呪文を唱えるが、破れた血管が修復される速度により痛みが増していく。脳裏に焼き付いたのは弟の形相。
憎悪と悲哀が混じり合う瞳孔が獣のように収縮し、『番の解消』を告げた瞬間の豹変──その恐怖は今も肌にまとわりつく寒気として残っていた。
「神龍様が番契約を無効にしようと試みた矢先に……こんな……」
(ミレットが命を賭して繋いだというのに…!!)
彼女の言葉が脳裏に蘇った。
+++
「愚かなことをしたものね」
ルビアは瀕死のミレットにそう告げた。
人間としては美しかった顔は青紫色にまだらに変色し、腫れぼったい。
「この私に助けを求めるなんて、何て図々しいの」
ミレットから送りつけられた手紙をぐしゃりと握りつぶした。
「‥‥‥た、わ」
「?」
「知っていた…わ……。竜族の番以外の…子を孕むのは…死ぬっ…て」
「何ですって?」




