059 ジャック③
「まあ、そんなこともあるだろうよお」
「まあ、そうだね」
俺が踏み込んでほしくない話題だと気が付いたのだろう。バーグは大人しく引き下がった。
直接聞いたわけじゃねえが、バーグはスラムの生まれだろうからな。スラムの常識が染みついてるんだろう。
俺は……身持ちを崩してスラムにやってきた身だ。
その前は……。ここハインドスクエアの兵士だった。スラムの人間を取り締まる立場だったってわけだな。
これでも、それなりに将来を期待された。俺にはもったいねえくらいの美人な嫁もいたし、もうすぐ子どもも生まれるところだった。よく妻とは子どもの名前について話し合ったもんだ。
まるで絵に描いたような幸せな家庭だったのだろう。羨まれたのも一度や二度じゃなかったしな。
だが、幸せってやつは、どうにも長くは続かないようにできてるらしい。
それは、俺たち家族にとってもそうだった。
「ふぅー……」
目を閉じた瞼の裏に蘇るのは、馬が暴れて暴走する馬車、妻に伸ばしたが届かなかった左手。
この馬車との接触事故によって、俺は妻と生まれてくるはずだった子どもを同時に失くした。俺自身も右足を怪我したが、そんなものは些細なことだ。
教会の奴らが言う魂が引き裂かれるような思いだった。
しかも、妻と子どもの命を奪った原因を作った奴は、貴族の子どもというだけで罪に問われることすらなかった。
もう、何のために生きるのかわからなくなった。
仕事にも行かず、毎日酒を呷るだけの日々。そんな日々も金が無くなってできなくなった。市民税も払えず、ハインドスクエアの壁の中から追い出されたのが、ここ南スラムだった。
最初は、何もする気にもなれず、追い出された門の近くで座り込んでいた。
その時だった。遠目にスラムの住人の抗争を見たのは。
彼らは武器を持ち出し、本気で殺し合っていた。
初めは物騒だと思ったが、それを見て思ったわけだな。誰も貴族の子どもを裁かないのなら、俺自身が裁けばいいと。
それから、俺の生きる目標が生まれた。
弓の腕を徹底的に磨き、その時のために牙を研ぎ続けた。
その過程で、スラムの各地で抗争に参加して報酬を貰って生き長らえた。地擦りのジャックなんて二つ名を貰ったのもこの時からだな。
そして、自分の弓の腕に満足し、ついに計画を実行に移そうと思ったわけだ。
だが、運命ってのはいつだって残酷でな。
やっと生きる目的を見つけたってのに、標的であった貴族の子どもは、勝手に落馬して死んじまったらしい。
天罰と言えばそうなのかもしれねえが、できれば自分の手で殺したかった。
それからは、のらりくらりとこの南スラムで生きてきた。
そんな俺が、まさか南スラムを牛耳るマフィアの幹部になるなんてなあ。人生ってのはわからねえ。
「そういえば……」
生まれるはずだった子どもが娘だったら、ジゼルと同じくらいの年頃だっただろう。それもあって、何かとジゼルを意識しちまうのかもしれねえな。
読書しながら、そんなことをうつらうつらと考えていたら、なんだか門の方から喧騒が聞こえてきた。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、どうやら客らしい」
それも招かれざるタイプの客だな。
「そっか。お仕事だね」
俺の顔を見て気が付いたのだろう。バーグが腰に吊っていたナックルダスターを叩いて立ち上がった。俺も弓を持って立ち上がる。
「お前ら、何者だ⁉」
「おうおうおう! ここが腐蝕銀鎖のアジトだって知ってて来たんだろうなあ!」
玄関のドアを開けると、門番をしているファミリーの威勢のいい声が聞こえてくる。軽く威圧し、それでも帰らなかった者にだけ、腐蝕銀鎖のアジトの扉が開かれる。
まあ、一種の迷惑客除けの通過儀礼みたいなもんだな。
だが、なんだか門番の声が緊張か恐怖か、妙に震えている気がした。
そして、鉄格子の門の向こうを見て、即座に納得する。
「バーグ!」
「うん!」
バーグが前衛を張り、俺がバーグの影から矢を撃つ。バーグと組むようになってからは鉄板の構成だ。
「バーグさん!」
「ジャックさん! こいつら――――」
「おめえらはフェイディとタンゴ呼んで来い!」
俺が叫ぶと、門番をしていたファミリーが弾かれたように走り出す。
その向こうには、スラムには似つかわしくない、豪華な装備に身を包んだ一行がいた。黒髪の少年、赤髪の騎士、俺の見間違いじゃなきゃ、エルフにドワーフもいやがる。しかも、一人一人が俺やバーグなんて歯牙にもかけないような相当な強者だ。おそらく、俺とバーグだけじゃ足止めもできねえ。どうなってんだよ! どうしてこんな奴らがスラムに来やがる⁉
黒髪の少年が一歩こちらに近付いた。
「止まりなあ! それ以上近付いたら、安全は保障できねえぜえ?」
俺は弓を引き絞り、バーグはナックルダスターを装備して完全に戦闘態勢だ。
俺たちの間にはまだ鉄格子の門がある。だが、こんなものは奴らには何の障害にもなりはしない!
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