042 バラモス伯爵軍との開戦
腐蝕銀鎖とバラモス伯爵軍との開戦は、ジャックの一矢から始まった。
どうと倒れるバラモス伯爵軍の兵士。
「おん?」
軽い調子で一矢一殺を成し遂げたジャックだったが、その顔には気難しそうな顔が浮かんでいた。
「どうされた、ジャック殿?」
ジャックの隣に立つクラウスがジャックに問いかける。
「いや……。俺の勘違いならいいんだがよお。あいつら、たぶん鎖着てるぜえ?」
「そんなこともわかるのですな……」
クラウスは驚いた顔を浮かべてジャックを見上げる。
ジャックはこの南スラムでも二つ名の付く強者。その言葉には一定の信頼を置くべきだろう。
「前衛に通達! 武器を短槍、なければ槍に変えよ!」
「了解ッス!」
鎖帷子は斬撃には強いが刺突には弱い。加えて、戦場はスラムでも家々が密集する地域だ、短槍という選択はベストに近い。
クラウスの言葉に走り出すロッツ。そんなロッツを見ながら、ジャックは困惑したように呟く。
「クラウスの爺さん、オレのは勘のようなもんだぜえ? そんな真に受けられると困っちまう」
「誰もジャック殿の言葉を無視などできんでしょう。それに、鎖帷子を着ているというのは考えれば至極当然ですからな。相手は腐ってもバラモス伯爵の正規軍。それぐらいの装備はしているでしょう」
「そうかい」
ジャックが腐蝕銀鎖に入ったのは今朝のことだ。
だが、彼の技量が、これまでの経歴が、ジャックの言葉に重みを持たし、腐蝕銀鎖の軍事の重鎮であるクラウスですら彼の言葉に耳を傾ける。
ジャックの弓の弦が唸りをあげ、一人、また一人と射貫いていく。
「矢が足んねえぞお! ありったけ持ってこいよお!」
「へ、へい!」
ジャックの弓の腕に見とれていた男が後ろに走り出す。
とはいえ、後ろも安全地帯というわけではない。彼らの背後には、獅子心臓のアジトである砦がそびえたっていた。
きっと先ほどの男は、獅子心臓との矢の応酬で飛んできた矢を拾い集めに行ったのだ。
ありったけの物資を持ってきた腐蝕銀鎖だったが、矢などはもう枯渇して久しい。当初の目的は紅の雫の打倒のみだった。そこに獅子心臓が絡んでくるとは思わなかったし、ましてやバラモス伯爵軍との戦闘なんて想定していなかったのだ。
予想以上の長時間を戦闘し続けている。
そのことはクラウスもわかっていた。彼は兵の疲労が心配でならない。腐蝕銀鎖の兵たちは、今日の昼からずっと動きっぱなしだ。さすがにそろそろ疲れが見えるはず――――なのだが……。
「やったるぞおらあああああああああ!」
「ぶっ殺せええええええええ!」
「弟分の仇じゃわれええええええええ!」
「腐蝕銀鎖万歳!」
「「「「「ばんざああああああああああああい!」」」」」
腐蝕銀鎖の兵たちはアドレナリンがドパドパ出ているのか、疲れた様子などまるで見せずに三倍以上の数の敵を相手に勇戦している。
実は、これもジゼルの付与魔法の仕業である。ジゼルがかけたリジェネートの魔法。これが腐蝕銀鎖の兵たちの体力や気力まで回復させていたのだ。
バラモス伯爵軍も、腐蝕銀鎖の強硬なまでの抵抗は予想していただろう。なにせ、腐蝕銀鎖にはもう後がない。死に物狂いでの反攻はあるものと思ってた。
だが、ここまで苛烈な攻撃に遭うとは思いもよらなかったに違いない。
その証拠に、バラモス伯爵軍を率いる上層部は困惑していた。
「敵の攻撃は苛烈!」
「この大軍を見たら、普通は降伏するだろ……」
「こうも入り組んだ道では、大軍の意味が薄いですな……」
「敵は道を熟知している。これでは奇襲され放題だ!」
「各隊、死者がそれなりに出ています!」
「怪我人は至急、治癒魔法使いの所へ連れていけ!」
「落ち着け!」
その時、静かだが力強い声が響き渡る。
それは野心的な顔をした四十代後半ほどの男だった。今は冒険者のような革鎧を身に着けているが、その発達した筋肉は隠し切れていない。バラモス伯爵軍を率いるエデウス将軍だ。
「敵が奇襲を得意としておるなら、隠れる場所を奪えばよい。前方に火矢を放て! 敵を巣穴から引きずり出し、殲滅する!」
「スラムに火を放つのですか⁉」
「この辺りは獅子心臓の縄張りですが……」
「後で話がこじれませんか?」
「諸君らは、スラムに住む虫どもに同情しすぎではないか?」
あまりに明け透けなエデウス将軍の言葉に部下たちは言葉を失ってしまう。
「そもそも、その獅子心臓など大層な名前だが、我らが手が貸さねば今の地位にない虫に過ぎない。我らに利をもたらす益虫だから生かしてやったに過ぎないというのに……。それが、我らの手を煩わせるなど言語道断なのだ! まったく、伯爵様は優しすぎるのだ。なぜ虫どものケンカにまで目を配らねばならん! こんな面倒な仕事は早く終わらせるに限る」
スラムの劣悪な環境もエデウス将軍の神経を逆撫でしているに違いない。
「もう一度言うぞ? 火矢を放て!」
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