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035 ペンネリクト

 高級木材をふんだんに使った広い部屋。ここだけ見れば、誰もここがスラムだなんて信じられないだろう。壁を飾るのは厳選した絵画だ。いつ見ても、私の心を豊かにしてくれる。


「ご報告いたします! 毒虫のタンゴ様が倒されたもよう!」

「なんだと⁉」


 その凶報は、私がお気に入りの葉巻に火を着けている時にやってきた。


 おかげで、葉巻を手から落として、敷物にしているツインヘッドベアの毛皮からジュッと音を立てる。


「それは本当なのか?」


 私は内心の動揺を知られないように、慎重に葉巻を拾い直した。


 毛皮の焼ける嫌な臭いがした。


 私はペンネリクト。この獅子心臓の頭領を務める男だ。


 頭領には、頭領らしい行動が求められる。獅子心臓はこのハインドスクエアの南スラムでは堂々の第一位の勢力を誇るマフィアだ。その頭領である私が軽率な行動を取るわけにはいかない。


「間違いないと思われます! 腐蝕銀鎖の者たちが、このアジトへも!」

「ッ!」


 わかっている。わかってはいるのだ。


 しかし、毒虫のタンゴの早すぎる敗退は、常に冷静であることを心がけている私を揺さぶるのに十分すぎる情報だったのだ。


 そうじゃなくても、闇の彼方に葬り去ったはずの敵である腐蝕銀鎖の者たちが、斬っても斬ってもすぐに立ちあがってくる。妙に強い。確かに致命傷を与えたはずなのに傷が浅い。すぐに勝手に傷が塞がって襲ってくるなど、訳のわからん情報が上がってきているというのに、さらにこれだ。


 あいつらはゾンビにでもなったというのか?


 兵隊の数では、最初は倍以上の差はあっただろう。だから、ちょっと調子に乗っているところを潰してやろうとしただけだった。


 それが今や、獅子心臓の誇るアジトにまで敵が迫ってきている。


 何がどうなっているんだ? 誰か、私に教えてくれ。


 ハインドスクエアの領主、バラモス伯爵は、自分には制御できない勢力の台頭を面白く思っていない。


 だからこそ、バラモス伯爵は教会を動かし、腐蝕銀鎖の者たちを教会から破門にした。治癒魔法を腐蝕銀鎖の者たちから奪った。


 それだけではなく、数年前の腐蝕銀鎖の者たちへの襲撃を計画をしたのもバラモス伯爵だ。


 教会からの破門を解く条件を伝えるために、腐蝕銀鎖の者たちを呼び出し、その帰り道を徹底的に襲撃した。


 襲撃に参加したのは、俺たち獅子心臓と紅の雫、そして、スラムの住人の格好に変装したバラモス伯爵軍、武器や防具を用意するための資金を出したのが値千金の連中だ。


 当時、腐蝕銀鎖の権勢は南スラムのみならず、他のスラムにも影響を与えていた。バラモス伯爵が危機感を持つのも無理はない。


 そして、俺たちは兵隊を出す代わりにスラムでの自治権を手に入れた。


 まあ、自治権とは名ばかりの首輪だがな。


「はあ……」


 今は自嘲で遊んでいる時間じゃない。腐蝕銀鎖への対抗策を考えなければ……。


 まったく、念のために腐蝕銀鎖を見張らせていた者からの連絡が途絶えたから兵を集めたが、それがまさか、こんな獅子心臓の存続を賭けた戦争になるとは……。


「いや、待てよ……?」


 そもそも、あの腐蝕銀鎖の兵隊たちはどこからやってきたんだ?


 腐蝕銀鎖は、数年前……。もう三年以上前になる襲撃で潰れたはずだった。多くの構成員を失くし、大量の傷病人を抱えて再起不能だったはずだ。


 前回の密偵からの報告でもそのような状態だったはず。


 それがどうして……。


 しかも、腐蝕銀鎖の兵隊はどれだけ大怪我を負わしても、すぐに全快して前線に復活するらしい。


 間違いなく、治癒魔法が絡んでいる。


 しかし、腐蝕銀鎖の者たちは教会を破門され、治癒魔法を受けることができないはずだ。


「まさか……!」


 まさか、またバラモス伯爵が動いたのか?


 バラモス伯爵はスラムに突出した組織が生まれるのを嫌っている。だからこその腐蝕銀鎖襲撃だった。


 だが、今の南スラムを支配しているのは、間違いなくこの獅子心臓だ。バラモス伯爵が獅子心臓を警戒するのも頷ける。


 かつての腐蝕銀鎖のように、獅子心臓は襲撃対象になったのでは?


 しかし、獅子心臓はバラモス伯爵に上納金も納めているし、命令に背いたことはない。


 なのになぜ⁉


「い、いや、今は……」


 そうだ。今は原因を探っている場合ではない。なんとかして獅子心臓を守り切らねば!


「教会に支援を頼め! 金には糸目をつけるな! 兵隊を根こそぎこのアジトに集めろ! ファイリーも叩き起こせ! 行け!」

「は、はい!」


 気が付けば、もう表面上を繕うことも忘れて叫んでいた。


「ああ、くそっ! なんでこんなことに……」


 イライラが治まらず、目の前のローテーブルに踵落としを喰らわせる。


「はぁ、はぁ……」

「イーヒヒヒ、えらく気が立ってるねえ」


 まるで逆立った神経を逆撫でするような甲高い笑い声が聞こえた。


 振り返れば、深紅のローブを纏った老婆の姿が見えた。


「ファイリー! 敵が来ている! 燃やし尽くせ!」

「イーヒヒヒ、言われなくてもやってやるよ。その代わり……」

「ぐ……っ。お前の欲しがっていたルビーの指輪でどうだ?」

「足りないねえ。ほら、敵がすぐ近くまで来てるんだろう? もう一声欲しいところさねえ」


 この業突ババアめ!

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