第4話 マリレッタが見える
部屋の中は、妙に静かだった。
壁は落ち着いた灰色で、表面には葉脈のような細い筋が走っている。足元の床はわずかに柔らかく、長椅子に腰を下ろすと、身体に合わせて座面がゆっくり沈んだ。
向かいの長椅子には、一体のゴーレムが座っている。
俺より少し低い背丈で、胴には厚みがある。乳白色の外皮は柔らかそうで、肩から腕、膝にかけても尖った部位がひとつもない。大福をいくつかくっつけて人型に組み立てたような見た目だ。監視ゴーレムの硬い木質殻とは、ずいぶん印象が違った。
こうしたゴーレムは、それぞれが勝手に考えて動いているわけではない。役目に応じた形と振る舞いを与えられた、叡樹の手足のようなものだ。
だからといって、叡樹が持っている情報を何でも知っているわけでもない。役目ごとに、必要なものだけが渡される。
こいつが分かっているのは、俺が第一齢の規則に触れて定期カウンセリングを受けていることと、現在も管理措置の最中にあること。その程度らしい。
頭部の暗い帯に灯る二つの光が、静かにこちらを向いた。
「ここでの会話内容は、現在行われている管理措置の判断には使用されません。安心して、何でもお話しください」
「はい」
何を話すかは考えてきたけど、最初の一言がなかなか出なかった。
「……会えなくなって、そろそろ二ヶ月になります」
ゴーレムは待っている。
「マリレッタっていう子なんですけど。別に、措置に不満があるってことじゃないんです。あれはまあ……そうなるだろうなとは思ってるので」
「大丈夫ですよ。措置についてどう感じているかも、ここでは自由にお話しいただけます」
「ああ、はい。でも、そこは本当に大丈夫です」
長椅子に少し座り直した。
「早く会いたいとは思いますけど、眠れないとか、食べられないとかはないです。実習にも普通に行ってます。……ただ、何かあるたびに、それをマリレッタに話したいなって思うんですよ。面白いことがあったとか、変わったものを見つけたとか。食べ物を見ても、これ好きそうだなとか」
「それは自然な感情です」
「ええ、まあそうですよね。だから最初は、そういう気持ちの延長だと思ってたんです」
「今は違うのですか」
「ちょっとだけ、変になってきて」
「どのようにですか」
「少しでもマリレッタっぽい人とかものを見ると、すぐ彼女を思い出すんですよ。黒い髪とか、赤い服とか、丸いものとか」
「マリレッタは、丸いのですか」
「ああ、いえ。そうではないんですけど」
何から説明したものか。
「最近はもっと抽象的ですね。かわいいものとか、綺麗なものとか。マリレッタ、出会った頃はかわいい系だったんですけど、最近は綺麗系でもあるんで」
「なるほど」
「だから、綺麗な花とか見ると、ちょっとマリレッタっぽいなって思うんですよね。細くてすらっとした木とか、小さなお菓子の包み紙とか。実習で見た結晶が綺麗だったときもですし、水路に光が反射してるのを見てもそうでした。そういう、マリレッタっぽいものって世界には溢れてて」
ゴーレムは何も言わずに聞いている。
「まあ、それだけならいいんです。思い出すだけなので」
問題はそこからだった。
「最近はそのマリレッタっぽいものが、一瞬、本当にマリレッタに見えることがあるんですよ」
「幻視ですか?」
「いや、そういうのとも違うんですけどね。ただ、生体壁の光とか、植え込みのお花とかに思わず声をかけそうになったり。昨日も、道に転がってるニャルがマリレッタに見えたんですよ。さすがにちょっとまずいと思うんですよね。マリレッタはどう思う?」
「私はマリレッタではありません」
「……」
二つの光は、最初から変わらずこちらを向いていた。
⸻
カウンセリング用に割り当てられていた部屋を出ると、閉じた室内の静けさから一転して、通路には人の気配があった。
何人かの市民が行き交い、その向こうを「莢」――叡樹内の交通機関。空を飛ばないものだけを指す――が滑るように通り過ぎていく。壁の流路には淡い光が流れ、ところどころで枝分かれしては奥へ消えていた。
その中を歩いていると、来たときより少し気分が軽くなっていることに気づいた。
話してみたのがよかったのかもしれない。
終わり際には、日常生活への影響が大きくなるようなら、依存傾向に対する治療も検討するよう勧められた。
まあ、そこまで深刻な話ではないだろう。実習には普通に行けているし、食事も睡眠もいつも通りだ。マリレッタにだって、永遠に会えないわけではない。
とはいえ。
改めて自分の置かれている状況を考えると、気が遠くなってくる。
俺はいま176歳。第三齢になるのは600歳からだ。そういうことまで自由になるのは、大人として扱われる第三齢になってから。
つまり、まだ400年以上ある。
……俺って、あと400年以上は童貞確定なのか?
前世から数えれば、もう200年近く生きているというのに。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか通路が妙に静かになっていた。
さっきまで前にも後ろにも何人かいたはずなのに、今は見える範囲に人影がない。《莢》の行き交う音も少し遠く、壁の中を流れる淡い光ばかりがやけに目についた。
そのまま歩いていると、少し先に一匹のニャルがいた。
灰色の毛並みの、小柄なやつだ。植え込みの縁に座って、こちらを見ている。
カウンセリングで自分から話したばかりだったせいか、つい意識してしまった。丸い耳も、短い脚も、今日はちゃんとニャルに見えて少し安心する。
横を通り過ぎると、背後で草が擦れる音がする。少しして振り返ると、ニャルが後ろをついてきていた。
俺が見ると止まり、何事もなかったような顔でこちらを見返してくる。だれかに餌付けでもされてるんだろうか。妙に人慣れしている。
「餌なら持ってないぞ」
「承知しています」
あまりに普通に返事をされたので、わかってるならいいやと歩きだしそうになる。
再び振り返ると、ニャルは微動だにせずにじっとこちらを見つめていた。
「……今、喋った?」
「はい」
「うわっ」
今度は口が動くところまで見えた。
思わず一歩下がった俺をよそに、ニャルは逃げるでも身構えるでもなく、その場で前脚を揃えた。
「市民エリオ・セレイン」
ニャルが、俺の名前を呼んだ。
若い女の声だった。目の前の小動物とはどうにも結びつかない。
「突然の接触をお詫びします。私は現在よりおよそ10万年後の叡樹から、この時代への限定干渉を目的として派遣された端末の一体、正式名称を《限定時相干渉端末・第九百三系列 個体名ウィーナ》と申します」
「……はあ。えっと、ご丁寧にどうも?」




