第3話 会えない時間が愛育てるのさ
そのあとも、マリレッタとは実習や移動の途中で何度か顔を合わせた。最初は俺から声をかけることが多かったと思う。
それが何年か経つ頃には、同じ実習になれば特に約束もしないまま隣にいるようになっていた。何か面白そうな実習を見つければ誘ったし、向こうから声をかけてくることも増えた。
気づけば、予定の中にマリレッタがいるのが普通になっていた。
さて、ところでエルフには、毎年誕生日を祝うという習慣がない。
3000年も生きるのだから、まあ分からなくもない。1年ごとに歳を取ったところで大した区切りにはならないし、生まれた日も叡樹の記録には残っているので、忘れたところで困ることもない。
ある日、実習の帰り道でマリレッタに誕生日を聞いたら、少し考え込まれた。
「日までは覚えてないよ。記録を見ないと分かんない」
「覚えてないの?」
「必要になったことないもん」
マリレッタがその場で記録を確認して、ようやく日付が分かった。
いや、待て。
マリレッタがこの世に生まれてきた記念すべき日を、本人すらろくに覚えていない。それを誰も祝っていないなんてことがあっていいのだろうか。
「いつかご両親にもお礼を言わないとな」
「何のお礼?」
「マリレッタを産んでくれてありがとうございますって」
「絶対やめて」
「どうして」
「エリオって、たまによく分からないこと言うよね」
ともかく、日付は覚えた。
その年の誕生日には、前もってマリレッタの予定を空けてもらった。食事用の部屋を一つ押さえて、前に美味しいと言っていた焼き菓子も手に入れた。
「これ、私も何か用意した方がよかった?」
「主役がそんなこと気にしなくていいよ。さあ、これを被って」
用意しておいた三角帽子を渡すと、マリレッタはそれを自分の頭に載せた。
さらに、この日のために誕生日の歌も作って披露した。ショパンか俺かというくらいには心を揺さぶる曲に仕上がっていたと思う。
「……まあ、ありがとう?」
マリレッタは少し困った顔でそう言った。
その日は一緒に食べて、いつもより長く話した。帰りもすぐには《莢》に乗らず、しばらく二人で歩いた。
翌年も、その次の年も祝った。
何年かすると、今度はマリレッタの方も俺の誕生日を祝ってくれるようになった。
そんな日々を過ごすうちに、マリレッタとはずいぶん仲良くなった。
とはいえ、あくまで友人としての関係ではある。もう一歩先に進むには、いくつかの問題があった。
まずこの国では、第一齢のうちから特定の相手とばかり過ごすことをあまり歓迎されない。
第一齢というのは、何千年も続く人生に向けて、できるだけ多くの人と関わり、幅広い経験を積むための期間なのだ。
早いうちから少数の相手を中心に生活を組み立ててしまうと、ほかの可能性を試す機会が減ってしまうというわけだ。
実際、そうした偏りは長い目で見ると本人にとってあまりよくない結果につながりやすいらしい。叡樹が何万年もかけて蓄積してきた記録から、そういう傾向が確認されているそうだ。
だから、将来の選択肢はなるべく広く残しておきたいわけだ。
そのための手段が「監視」と「管理」というのは随分と大きなお世話だなあと思うが、まあ、理屈は分かる。
例えば予定だって、こちらの希望がまったく通らないわけではないが、実習や活動の割り当てを最終的に決めるのは叡樹だ。会いたいからといって、毎日のように一緒にいられるわけではない。
連絡も同じだった。用もないのに一人の相手と頻繁にやり取りを続けていれば、それは関係の偏りとして見られる。
そして何より、第一齢同士で恋愛関係を結ぶこと自体が禁止されている。
ただ、これは好意がバレたら即座に引き離される、というほど一律でもない。周囲に影響を広げず、友人という建前を守っているうちは、見逃される余地がある。一方で、キスみたいに問答無用で一発アウトの行為もある。
そこで俺は、ある秘策を決行した。
マリレッタと食事を終え、食器を片づけていたときのことだ。そろそろ行くね、と言われたところで切り出した。
「次に会う日まで毎晩、月を見ながらマリレッタのことを考えるよ」
「……何それ?」
「だから、月を見ながらマリレッタのことを考える」
「それに何の意味があるの?」
「おっと、それを口に出すのは野暮ってものさ」
「分かんないから聞いてるんだけど」
マリレッタは、また変なことを言い出したな、という顔をしていた。
「だからマリレッタも、月を見たら俺のことを考えてくれると嬉しい」
「私も?」
「うん」
マリレッタはしばらく俺を見ていた。
「……覚えてるか分かんないよ?」
「思い出した日だけでもいいから」
「……まあ、それなら」
よし。
これなら、会う回数も連絡する回数も増えない。いくら監視ゴーレムでも、頭の中まで踏み込んではこない。
離れた場所にいても、同じ夜に月を見上げる。そのあいだだけは、二人の夜空はひとつになる。
これこそが俺の編み出した、《会えない時間が愛育てるのさ作戦》である。
平安貴族も真っ青な雅みやびさではないか。
最初の数日間は、とても楽しかった。
ある晩は実習の帰り道に、またある晩は居住房を出て、枝と枝の隙間から覗く月を眺めた。今ごろマリレッタもどこかで月を見て、俺のことを考えているかもしれない。そう思うだけで、ずいぶん気分がよかった。
ちなみに、この世界の月は四つある。どれを見るかは決め忘れていたので、とりあえず全部を均等に見ることにした。
最初は少し眺めて戻るだけだった。それが、もう少しだけ、あと少しだけと、だんだん月を眺めている時間が長くなった。
そんなことを毎晩続けていると、いつのまにか月が視界に入るだけでマリレッタのことを連想するようになった。四つの月が、全部マリレッタである。
ここで俺は、一つ重大なことを失念していた。
月というのは、昼間でもけっこう見えるのだ。
実習の移動中に枝の向こうへうっすら浮かんでいるのを見つければマリレッタ。食事の途中で外を見ればマリレッタ。何の気なしに空を見上げても、そこに月があればマリレッタ。
気づけば、もはや月が見えていなくても普通にマリレッタのことを考えるようになった。
朝起きてマリレッタ。実習中もマリレッタ。飯を食ってもマリレッタ。夜になれば月を見てマリレッタ。寝れば夢にも出てきた。
もちろん、言い出したのは俺なので途中で勝手にやめるわけにはいかないが、これはあまりにも危険だった。次に会ったときには、もう終わりにしようと伝えなければいけない。
そう考えていたのだが、なかなか予定が噛み合わない。結局マリレッタと会えた頃には、1ヶ月ほどが過ぎていた。
その頃にはさらに症状が進み、丸いものはだいたい全部マリレッタに見えるようになっていた。
待ち合わせ場所にやってきた本物のマリレッタは、月など比べ物にならなかった。
「あのさ、月のことなんだけど」
「……うん」
マリレッタは視線を落として、服の端を指でつまんだ。
「あ、覚えてくれてた?」
「……まあ」
「もしかして、毎日?」
少し間があった。
「ほとんど」
「……」
「エリオは?」
「毎日」
「……そっか」
少しだけ、口元が緩んだように見えた。
「じゃあ、その……また次に会うまで?」
マリレッタはこちらを見ずに言った。
「……ああ。もちろんさ」
こうして作戦の終了は延期された。
⸻
長くなったが、これが俺のこれまでの人生である。
俺が176歳、マリレッタが178歳。100年以上こんな日々を積み重ねた末、とうとう好きがちょっと溢れ出てしまった。それが先のキス未遂事件だ。
いや、まいったね。




