第2話 マリレッタ記念日
保育殻を出てからは、父と母との3人で、家族用の居住房で暮らした。
二人とも殻の外からしょっちゅう顔を見せていたので、今さら知らない人という感じもしなかった。まともに喋れるようになった頃、父の年齢を聞いて七百いくつだと言われた。
700年前っていつだ? 鎌倉時代とかか? ……鎌倉時代から生きてるの、この人。母もだいたい同じくらいだった。
俺があまりにも驚くので、「まだ若い方なのよ」と言い含められた。
それから10年、20年と経っても、俺はまだ子どもだった。
居住房の近くでは、猫とタヌキの中間みたいな動物――ニャルが、よく通路の暖かいところで寝ていた。野良も珍しくなく、邪魔な場所に転がっていても、みんな普通に避けて歩く。
20歳を過ぎた頃は、同じ枝域の連中と"たまとり"という遊びをよくやっていた。地球でいえば、縄跳びと生け花とラップバトルを混ぜたようなものだった。
……説明になっていない気もするが、まあこれがけっこう奥が深いのだ。
前世ならもう酒が飲める歳だったのに、同年代の子どもと遊ぶのに夢中になって、負けた日は集まって反省会までしていた。たまに何をやってるんだ俺はと思うことはあったが、それでも面白かったので、気づけば何年か続いていた。
もちろん、遊んでばかりいたわけではない。
勉強はかなり小さい頃から始まって、今も続いている。最初は読み書きや数、それに生活の中でやっていいことと悪いことを覚えた。少し大きくなると、その日に指定された部屋へ通って、歴史や地理、数学、魔法や植物のことまで教わるようになった。
そこから何十年もかけて、やることはどんどん増えていった。とくに長かったのが歴史だ。何しろ、この国には6万年ぶんある。
最初は大きな出来事を順番に覚えていくだけだったのが、そのうち昔の事故や争い、制度が変わった経緯まで扱うようになった。何千年も前に誰かが妙なことをして、それで何百人も困って、調べてみたら似たようなことをその3000年前にも別のやつがやっていた、みたいな話がいくらでも出てくる。
6万年も国をやっていると、馬鹿の種類もだいたい出尽くしている。
そういう話を散々聞かされながら、現在の規則も一緒に覚えていく。
中でも最初に嫌でも覚えるのが《齢級》だった。この国では、250歳までは第一齢と呼ばれてほとんど子ども扱い。第二齢でも半人前。ちゃんとした大人の市民として認められるのは600歳で第三齢になってからだ。身体は100歳くらいで成熟するのに、そこからさらに500年かかる。……え? マジで言ってる?
そこから、齢級ごとの権限、破ったときの罰則、設備の利用条件、事故が起きたときの手順、怪我人への対応なんかを延々と覚えていく。歳を取るにつれて、ただ覚えるだけでは済まなくなって、この場合はどの規則を使うのか、二つがぶつかったらどちらを優先するのか、みたいなことまで答えさせられるようになった。
今では司法試験に10回は受かるんじゃないかってくらい知識を詰め込まれている。いや、受けたことないから知らないけど。
それと並行して、剣も振った。魔法も使った。怪我人の運び方も習ったし、料理もした。植物組織を切って中を調べたり、測量器具を持って1日歩き回ったりもした。
そんな日々の中で、俺は運命の出会いをしたのだ。
⸻
植物組織の観察実習へ向かう途中、記録板と教材を抱えて歩いていると、後ろから足音が近づいてきて、声をかけられた。
「ねえ、これ落としたよ」
振り返ると、女の子が立っていた。肩の下まで伸びた黒い髪に、白い肌。首元には赤のスカーフを巻いている。走って追いかけてきたらしく、頬が少し赤くなっていた。
かわいい。
たぶん、何秒か見とれていたと思う。叡樹が何かの間違いで、俺のために花でも咲かせたのかと思った。
「……これ」
女の子が手に持っていたものを差し出した。俺の筆記具だった。
「あ、拾ってくれたのか。ありがとう」
「何度か呼んだんだけど、全然気づかないんだもん」
どうやら少し遠くで落としたのを拾って、ここまで追いかけてきてくれたらしい。かわいい上に優しいなんて、じゃあもう好きになっちゃうだろ。
筆記具を受け取ると、彼女は軽く手を上げて行こうとした。
「待って。名前、聞いていい?」
「名前?」
「ああ。俺はエリオ・セレイン。ミナモ枝域しいきに住んでる」
「私はマリレッタ・ヴァルネ。コカゲ枝域よ」
マリレッタ。一度で覚えた。
「じゃあね、エリオ」
「……ああ。また」
何がまたなんだ、と言ってから思った。それでもマリレッタは気にした様子もなく、「またね」と返して歩いていった。
俺は黒髪と赤いスカーフが通路の角へ消えるまで、その後ろ姿を見ていた。
忘れもしない。あの日は、俺の中では今でもマリレッタ記念日だ。
この世界に生まれて72年目のことだった。




