第89話 冬の森の散歩と赤いミサンガ
※これまで「火をくべ、料理をしていた場所」と表現していた場所は、今回から「暖炉」と表記します。
第89話 冬の森の散歩と赤いミサンガ
朝、家の扉を開けると、ひんやりとした空気が頬に触れた。
「うぅ……寒い」
思わず頬を手で覆う。
雪はまだ積もっていない。地面にも、木々の枝にも、白いものは見当たらなかった。
それでも、外の空気はすっかり冬のものになっていた。
秋の終わりに感じていた冷たさとは違う。肌に触れる風が頬をひりつかせ、思わず肩をすくめてしまう。
「今日は、少し周りを見てこようかな」
冬に備えた蓄えも、家の中の準備も、少しずつ整ってきた。
だから今日は、何かを採りに行くのではなく、ただ森の様子を確かめながら歩いてみようと思った。
「ルーチェ、散歩に行こう?」
「ギョ?」
声をかけると、ルーチェがこちらを振り向いた。
紬が外へ出る支度をしているのを見て、一緒に行くつもりなのか、すぐそばまでやってくる。
「うん、ちょっと歩くだけだよ」
「ギョ!」
元気な返事を聞いて、紬は小さく笑った。
家を出て、見慣れた森の中を歩いていく。
足元には、枯れ葉が重なっていた。
秋の頃は、色とりどりの葉が風に舞い、地面を鮮やかに彩っていた。今ではその葉も色あせ、乾いたものが多くなっている。
木々も、少しずつ冬支度を始めているようだった。
「ずいぶん変わったね」
紬は立ち止まり、周囲を見渡した。
ついこの間まで、森には食べられる木の実や植物があちこちにあった。
今は違う。
秋の間に見かけていたアカツブも、すっかり姿を消していた。
いつもなら、ふと目を向けた先に赤い実が見つかることもあったのに、今日はどこを見ても見当たらない。
「もう、なくなっちゃったんだなぁ」
少し残念な気持ちになりながらも、紬は納得したように頷いた。
季節が変われば、採れるものも変わる。
それは、この森で暮らし始めてから何度も経験してきたことだった。
さらに歩いていくと、倒木のそばにしゃがみ込んだ。
以前なら、こうした場所にはキノコが生えていることも多かった。
秋のキノコ狩りでは、見つけたキノコを一つずつ確かめ、食べられるものとそうでないものを分けていった。
あの時は、思っていた以上にたくさんのキノコを見つけられたものだ。
けれど、今は地面を見渡しても、ほとんど姿がない。
「キノコも、もう終わりかな?」
そう呟いて、倒木の周囲を確かめてみる。
すると、木の穴の奥に、わずかにキノコが残っているのが見えた。
「あ、こんなところには残ってるんだ」
寒さの影響を受けにくい場所だからだろうか。
穴の奥に生えているキノコを眺めながら、紬は感心した。
もちろん、見つけたからといって、すぐに採るつもりはない。
今日はあくまで散歩だ。
必要なものを探すためではなく、今の森がどんな様子なのかを知るために歩いている。
そう考えると、普段なら通り過ぎてしまうような場所にも、自然と目が向いた。
木の根元。落ち葉の下。枝の隙間。
秋には当たり前のように見つかったものが、冬に近づくにつれて少なくなっていく。
森は静かに、けれど確実に変わっていた。
「みんな、冬の準備をしてるんだね」
木の上を見上げると、葉を落とした枝が空に伸びていた。
鳥の声も、秋の頃と比べると少なくなった気がする。
長い眠りにつく動物もいれば、寒さを避けて過ごす場所を変えるものもいる。
この森で生きているものたちは、それぞれの方法で冬を迎えようとしているのだろう。
紬は自分の手をこすり合わせた。
「私も、ちゃんと冬を越さないとね」
家には食料がある。薪も集めてあるし、寒さをしのぐための準備も進めてきた。
以前のように、明日の食べ物を探すことだけで頭がいっぱいだった頃とは違う。
もちろん、冬がどれほど厳しくなるのかは、まだ分からない。
それでも、今できることは少しずつやってきた。
だからこそ、今日はこうして森を眺める余裕もある。
「そろそろ帰ろうか。冷えてきちゃった」
「ギョ」
ルーチェも頷くように鳴いた。
紬は来た道を戻りながら、もう一度だけ森を振り返った。
雪はまだない。
けれど、冬は確かにすぐそこまで来ている。
そんなことを感じながら、紬は家へと帰っていった。
* * *
家に戻ると、外の冷たい空気から解放され、紬はほっと息をついた。
「ただいまー」
「ギョ!」
ルーチェも、いつものように家の中へ入ってくる。
紬は手を温めながら、少し休憩することにした。
暖炉に火を入れるのは、もう少しあとでいい。
その前に、今日はやってみたいことがあった。
「そうだ。あれ、作ってみようかな」
紬が取り出したのは、赤いタイタンサーモンの糸だった。
タイタンサーモンの糸は、もともと赤い色をしている。
以前、素材として使えるように用意しておいたものだが、今回はこれを使って、あるものを作ってみようと思っていた。
「ミサンガ、作ってみたいんだよね」
元の世界で見たことのある、手首に巻く細い飾り。
何本かの糸を編み込んで作る、シンプルなものだ。
特別な道具がなくても、糸さえあれば作れるはず。
そう考えた紬は、さっそく糸を手に取った。
「ええと……まずは、長さをそろえて」
手首に巻く分と、結ぶために必要な分を考えながら、糸を用意する。
それから、何本かをまとめて端を固定した。
最初は、知っている編み方を思い出しながら、ゆっくりと手を動かしていく。
一本を隣の糸に重ね、結ぶように編み込む。
次は反対側。
頭の中では分かっているつもりでも、いざ自分の手でやってみると、なかなか思い通りにはいかなかった。
「あれ? こっちを先にするんだっけ?」
糸を見つめ、少し考える。
間違えたところをほどき、もう一度やり直した。
タイタンサーモンの糸は丈夫だが、細い糸を何本も扱うのは思ったより難しい。
力を入れすぎれば編み目が詰まり、緩めすぎれば形が崩れてしまう。
「うーん……難しい。でも、ちょっと楽しいかも」
何度か繰り返すうちに、少しずつ編み目がそろってきた。
赤い糸が斜めに並び、細い帯のような形になっていく。
その様子を見ていると、なんだか嬉しくなった。
食べ物を保存したり、家を整えたりするための作業とは違う。
今作っているものは、なくても困らない。
けれど、自分の手で何かを作り上げるのは、思っていた以上に楽しかった。
「こういう時間も、いいね」
ふと顔を上げると、ルーチェがすぐそばから覗き込んでいた。
「ギョ?」
「ん? これが気になるの?」
紬が赤い糸を少し持ち上げると、ルーチェも首を傾ける。
「まだ途中だよ。もう少し待っててね」
「ギョ」
分かっているのかいないのか、ルーチェはそのまま紬の手元を見つめていた。
見られていると思うと、少しだけ緊張する。
けれど、手を止めることなく、紬は編み進めた。
やがて、細長い編み目が手首に巻けるくらいの長さになった。
「……できた!」
最後の部分を整え、余った糸を結ぶ。
少し不揃いなところはあるけれど、初めて作ったものにしては悪くない。
紬は完成した赤いミサンガを手に取り、そっと眺めた。
赤い糸が、きれいに斜めに並んでいる。
何度もやり直した分、完成した時の嬉しさも大きかった。
「よし、つけてみよう」
手首に巻き、余った糸を結ぶ。
手を動かしてみても、邪魔になる感じはない。
赤いミサンガは、紬の手首に小さく収まっていた。
「うん、いい感じ!」
思わず笑みがこぼれる。
それを見ていたルーチェが、また「ギョ」と鳴いた。
「ルーチェにも作ってあげようかな」
紬は自分の手首を眺めてから、ルーチェへと目を向けた。
「おそろいにしたら、きっとかわいいよね」
「ギョ?」
ルーチェは不思議そうに首を傾けた。
「ちょっと待っててね。ルーチェの分も作るから」
紬は残っている糸を取り出し、今度はルーチェの体に合う長さを考えながら準備した。
自分の手首に巻くものとは違い、ルーチェは動き回ることも多い。
きつく締めつけてしまってはいけないし、長い糸が余っていれば、どこかに引っかかるかもしれない。
「うーん……どこにつけるのがいいかな」
ルーチェの様子を見ながら考える。
翼や首元では、動いたときに邪魔になりそうだ。
そこで紬は、脚に巻けるくらいの小さなミサンガを作ることにした。
もちろん、脚を締めつけないよう、余裕を持たせるつもりだ。
今度は二度目だからか、最初よりも手が動きやすかった。
赤い糸を一本ずつ編み込み、斜めの模様を整えていく。
途中で編み目がずれていないか確かめながら、ゆっくりと作業を進めた。
「よし、これなら大丈夫そう」
完成したミサンガは、紬のものより少し短い。
けれど、結ぶ部分には十分な余裕を残してある。
紬はルーチェのそばに座り、まずはミサンガを脚にそっと当ててみた。
「ルーチェ、ちょっとつけてもいい?」
「ギョ」
ルーチェは紬を見つめたまま、おとなしくしていた。
「ありがとう。きつくないようにするからね」
紬は脚を締めつけないように気をつけながら、ミサンガを結んだ。
余った糸は短く整え、歩いたり動いたりするときに引っかからないようにする。
結び目も、簡単にはほどけないようにしつつ、必要なら外せるようにしておいた。
「……よし、できた!」
紬が手を離すと、ルーチェは脚を少し動かした。
それから、床の上を数歩歩いてみる。
ミサンガが邪魔になっていないか、紬はじっと様子を見守った。
「どう? 変な感じしない?」
「ギョ!」
ルーチェはいつも通りに歩き、翼を広げてみせた。
特に気にしている様子はない。
「よかったぁ。動くときに邪魔になったら困るもんね」
紬はほっと胸をなで下ろした。
ルーチェの脚には、赤いミサンガが小さく結ばれている。
自分の手首にあるものと見比べると、自然と笑みがこぼれた。
「ふふっ、おそろいだね」
「ギョ!」
ルーチェは紬の手首へ顔を近づけ、それから自分の脚を見下ろすようにした。
まるで、ふたつを見比べているみたいだった。
「気に入ってくれた?」
「ギョ」
その返事に、紬は嬉しそうに頷いた。
自分で作ったものを身につける。
そして、自分の大切な相手にも、同じものを作ってあげる。
ただそれだけのことなのに、いつもと少し違う気分になった。
外では、冬へ向かう森が静かに変わり続けている。
食べられる木の実は減り、地面のキノコも姿を消しつつある。
寒さはこれから、もっと厳しくなるかもしれない。
それでも、家に帰れば暖炉に火を入れ、温かいものを作り、こうして好きなものを作る時間もある。
生きるために必要なことだけではなく、暮らしを楽しむためのことも、少しずつ増えてきた。
「次は、何を作ろうかな」
手首の赤いミサンガを眺め、ルーチェの脚に結ばれたものにも目を向ける。
おそろいの赤い糸が、ふたりをそっとつないでいるようだった。
冬の一日は、まだ始まったばかり。
今日もまた、穏やかな時間がゆっくりと流れていった。
ミサンガとは、手首や足首に巻きつける刺繍糸でできたお守りです。日本では、ミサンガのほかに「プロミスリング」と呼ばれることも。
願い事を込めてつけるミサンガは、糸が切れるまでつけていると願いが叶うとされています。
さいごまでお読み頂き、ありがとうございます。
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どうぞこれからも紬の物語を楽しんでください!
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