閑話 冒険者の秋2
閑話 冒険者の秋2
蒼き風
パチパチと、焚き火が音を立てる。
帰らずの森へと続く川。その手前には、今日もいくつもの野営地ができていた。
森の入口に近いとはいえ、ここはまだ帰らずの森の内部ではない。川は水を求める冒険者たちにとって重要な場所であり、森へ向かう者も、森から戻ってきた者も、ここで休息を取ることが多かった。
そんな野営地の一角。
蒼き風の五人は、焚き火を囲んで夕食を楽しんでいた。
「うまいな!」
ロックが大きく口を開け、焼いたタイタンサーモンの身にかぶりつく。熊の獣人らしい豪快な食べっぷりだ。
「お前、もう少し味わって食べたらどうだ?」
ガルドが呆れたように言う。
「味わってるぞ。ちゃんとうまいって思いながら食ってる」
「そういう意味じゃないんだけどね」
ミーナが小さく笑いながら、魚の身をほぐした。
「でも、こうして食べられるのはありがたいわね。森に入ったら、毎日こんな食事ができるとは限らないもの」
「そうですね。保存食ばかりになる日もありますし」
トーマも頷く。
五人の前には、焼いたタイタンサーモンが並んでいた。
香ばしい皮に、脂の乗った身。川辺で手に入る食材としては、十分すぎるほどのご馳走だ。
その様子を眺めながら、ニルが口を開いた。
「そういえば、タイタンサーモンのことで、少し気になる話を聞きました」
「なんだ?」
ガルドが視線を向ける。
「今年は、産卵糸が少なめらしいです」
ロックの手が止まった。
「……産卵糸?」
「魚の数じゃありませんよ。産卵の時期に見られる、あの糸状のものです」
「ああ、そっちか」
ロックは納得したように頷き、再び魚にかぶりついた。
「でも、少ないってのは気になるわね」
ミーナが考え込む。
「毎年、多少の違いはあるでしょうけど」
「そうですね。僕も最初は、単なる年ごとの違いだと思いました」
ニルは手元の魚を置き、話を続けた。
「ただ、川沿いで野営している冒険者たちも、同じ話をしていたんです。何人かは、今年は少ないな、とぼやいていました」
「一人や二人の感想なら、気にするほどでもないが……」
ガルドは焚き火に薪を一本くべた。
「何人も同じことを言っているなら、覚えておく価値はあるな」
「ええ。産卵糸が少ない理由までは、誰も分かっていないようでしたけど」
「水温や流れが変わった可能性は?」
トーマが尋ねる。
「その辺りも、まだ何とも。少なくとも、僕が聞いた範囲では、はっきりした原因は出ていません」
「ふむ……」
ガルドは短く唸った。
タイタンサーモンそのものが減っているという話ではない。
ただ、いつもと違うことが起きている。
それだけでも、森へ入る冒険者としては気に留めておく必要があった。
「ほかには?」
ガルドが尋ねると、ニルは少し考えてから答えた。
「街で聞いた話ですが、帰らずの森へ入った冒険者の中に、予定より早く引き返してきた人たちがいたそうです」
「怪我でもしたのか?」
ロックが顔を上げる。
「それが、理由ははっきりしません。目的地へ向かう途中で、魔物を避けるのに時間がかかったとか」
「魔物が多かった?」
「そう話していた人もいたそうです。ただ、森の奥で何かを見た、というような話ではありませんでした」
「なるほどね……」
ミーナは魚を食べる手を止めた。
「魔物が多いだけなら、季節の影響も考えられるわ。でも、産卵糸の話と重なると、少し気になるわね」
「まだ関係があると決まったわけじゃない」
ガルドは落ち着いた声で言った。
「別々の出来事かもしれん。今の段階で結びつけるのは早い」
「もちろんです」
ニルも頷く。
「だからこそ、実際に森へ入って確かめたいんです。少なくとも、道中の様子を見ておけば、今後の判断材料にはなります」
「俺たちの目的は変わらないがな」
ガルドは五人を見回した。
「まずは予定している場所まで進む。途中で何か見つけても、目的を忘れるな。危険を冒してまで調べる必要はない」
「了解」
ロックが短く答える。
「私も異論はないわ」
ミーナが続いた。
「魔物の様子に変化があれば、観察できる範囲で記録しておきましょう」
「僕も周囲の魔力を確認してみます。何か分かるとは限りませんが」
トーマも同意する。
「では、明日は夜明け前に出発しましょう。日の出を待っていたら、その分だけ進む時間が減りますから」
ニルの言葉に、ガルドは頷いた。
「そうだな。今日は食べたら早めに休め。明日からは、いつも以上に周囲を警戒するぞ」
「はい」
「了解だ」
それぞれが返事をする。
その後もしばらく、五人の会話は続いた。
街で流行っている食べ物の話。最近、冒険者ギルドで受けた依頼の話。ロックが以前、森で大きな魔物に追いかけられた話。
ニルが情報を集め、ガルドが判断する。
ミーナは周囲をよく観察し、トーマは魔法の知識を役立てる。そしてロックは、いざというときに仲間を守る。
それが、蒼き風だった。
やがて食事を終えた五人は、翌日の準備を済ませ、順番に休息を取った。
夜の川辺には、ほかの冒険者たちの焚き火も点々と灯っている。
その向こうには、帰らずの森。
秋の森は、静かに夜を深めていた。
そして翌朝。
空が白み始めるよりも早く、蒼き風の五人は野営地を発った。
*
帰らずの森へ入ってから、ニルは先頭を歩いていた。
後ろにはミーナ、ガルド、トーマ、そして最後尾にロック。
ニルは一定の距離を保ちながら先行し、足跡や折れた枝、草木の揺れなどを確認していく。
何かを見つけると、立ち止まって周囲を観察し、仲間へ合図を送った。
森の中では、無駄な戦闘を避けることが重要だ。
魔物を倒す力があることと、魔物を倒す必要があることは別だった。
「右手の斜面に足跡があります」
ニルが戻ってきて報告する。
「大きさは?」
ガルドが尋ねた。
「中型ですね。複数いる可能性があります。このまま進むと、かなり近い距離で遭遇すると思います」
「迂回できるか?」
「少し遠回りになりますが、できます」
「よし。そちらへ回ろう」
ガルドの判断に、誰も異論はなかった。
五人は進路を変え、木々の間を慎重に進んでいく。
その途中、小型の魔物が草むらを横切る姿が何度も見られた。
普段なら、気に留めるほどでもない光景だ。
しかし、今回は数が多い。
「……多いですね」
ミーナが小さく呟いた。
「ええ。小型の魔物が、あちこちにいます」
ニルは足元を見ながら答えた。
「それに、ラタ型も多いです」
「ラタ型か」
ガルドが眉を寄せる。
ラタ型は小型のネズミ系魔物だ。強力な魔物ではないが、捕食する側にとっては餌になる。
「餌が多ければ、それを狙う魔物も集まる……ということかしら」
ミーナが言った。
「その可能性はあります」
ニルは頷いた。
「ただ、それだけでは説明できないものもあります」
「というと?」
トーマが尋ねる。
「足跡です。小型のものだけではありません。中型や、それより大きな魔物の足跡も、あちこちに残っています」
ニルは、折れた枝のある場所を指さした。
「こういう場所も多いんです。魔物が通った跡だと思いますが、ひとつの種類だけではありません」
ガルドは周囲を見回した。
確かに、枝の折れた場所が目立つ。
地面には大きさの異なる足跡が残り、草木が踏み荒らされている場所もあった。
「……森の中で、何かが動いているな」
ガルドが呟いた。
「はい。ですが、どこへ向かっているのかまでは、まだ分かりません」
「引き続き確認しよう。危険な場所には近づかない」
五人は慎重に進んだ。
時には遠回りをし、時には立ち止まって魔物の気配が消えるのを待つ。
そうして数日が過ぎた。
森の中では、魔物との遭遇を完全に避けることはできない。
四日目の昼過ぎ。
ニルが周囲を確認していたとき、突然、木々の奥から大きな物音が響いた。
「来ます!」
ニルの声が飛ぶ。
直後、黒い巨体が木々の間から姿を現した。
スタンプボアだ。
地面を蹴り、一直線にこちらへ突進してくる。
「ロック!」
「おう!」
ロックが前へ出た。
大盾を構え、足を踏ん張る。
次の瞬間、スタンプボアの巨体が盾へとぶつかった。
ドンッ!
重い衝撃が響く。
ロックの足元の土が抉れたが、盾は崩れない。
「止めたぞ!」
スタンプボアの突進が止まった、その一瞬。
ガルドが横から踏み込んだ。
剣が閃く。
スタンプボアが大きく体勢を崩し、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「よし、終わりだ」
ガルドが剣を収める。
「さすがだな、ロック」
「お前が仕留めてくれるからな」
ロックは盾を下ろし、肩を回した。
「だが、今日の飯は確保できたぞ」
「そこが一番大事なの?」
ミーナが呆れたように言う。
「大事だろ。せっかく倒したんだ。無駄にはできん」
ロックの言葉に、トーマが苦笑した。
五人は手早くスタンプボアを解体し、食料として持ち運べるように処理した。
必要な肉をまとめ、荷物へ収納する。
その作業が終わる頃、周囲を確認していたニルが戻ってきた。
「この先ですが、中型の魔物がいます。足跡も複数ありました。このまま進むのは避けた方がよさそうです」
「またか」
ロックが顔をしかめる。
「迂回できるか?」
「できます。ただ、少し時間がかかります」
「構わん。ここで余計な戦闘をする必要はない」
ガルドはすぐに判断した。
「迂回して進むぞ」
五人は再び進路を変えた。
その日の夕食は、予定どおりスタンプボアの肉になった。
焚き火で焼いた肉を食べながら、ニルはその日確認した足跡や魔物の様子を報告する。
翌日も、その次の日も。
森を進むたびに、小型の魔物の姿が目についた。
ラタ型も多く、それらを狙う中型の魔物の痕跡も増えている。
折れた枝や踏み荒らされた草地。大きさの異なる足跡。
どれも単独なら珍しいものではない。
しかし、こうも重なると話は別だった。
蒼き風の五人は、必要のない戦闘を避けながら、少しずつ目的地へ近づいていった。
そして七日目。
帰らずの森の奥へと進んだ五人は、これまでに見た痕跡を思い返していた。
「やはり、普段とは違うな」
ガルドが言った。
「小型の魔物が多く、それを餌にする魔物も動いている。足跡も、折れた枝も多い」
「ただ、原因は分かりませんね」
トーマが答える。
「森のどこかで何かが起きているのか。それとも、何かから逃げているのか……」
ミーナが森の奥へ視線を向けた。
ニルは周囲を警戒しながら、静かに頷いた。
「少なくとも、ここまでの様子は覚えておきます。帰ったら、ギルドにも報告した方がいいでしょう」
「そうだな」
ガルドは剣の柄に手を添えた。
「だが、今は目的を優先する。周囲への警戒は怠るな」
「了解」
五人は再び歩き始めた。
頭上では、秋の葉が風に揺れている。
その足元には、大小さまざまな魔物の痕跡が残されていた。
帰らずの森で、何が起きているのか。
蒼き風の五人には、まだ分からない。
ただ、いつもとは違う森の気配だけが、確かにそこにあった。




