閑話 秋のノーム2
閑話 秋のノーム2
朝の集落は、いつもより少し賑やかだった。
「バルバロ、忘れ物はない?」
「ないよ、母さん!」
バルバロは胸を張り、背負った小さな採取袋を叩いてみせた。
「道具も持ったし、お父さんの言うこともちゃんと聞く!」
「その言葉、忘れないでね」
ヨナは笑いながらも、どこか心配そうだった。
今日は、父ババロが息子を初めて採取に連れていく日だ。
集落の入口には、採取へ向かうノームたちが集まっていた。背負い袋を担ぐ者、掘り道具を持つ者、籠をいくつも抱える者。それぞれが冬に備え、必要なものを集めるために出発しようとしている。
「よし、出発するぞ!」
ババロの声に、バルバロは元気よく頷いた。
「うん!」
意気揚々と父の後ろにつく。
その後ろには、何人ものノームたちが続いていた。
ヨナはヨリを抱っこしながら、その姿を見送っていた。
「お兄ちゃん、いっちゃうの?」
「そうよ。お父さんと一緒に、お仕事を覚えてくるの」
ヨナはそう答えながらも、地下道へ続く道を見つめていた。
採取は、決して安全な仕事ではない。
地下に潜っていても、魔物が近くを通ることはある。地上へ出れば、さらに危険は増える。
それでも、冬を越すためには森の恵みが必要だった。
「……気をつけてね」
ヨナの小さな呟きは、出発するノームたちの足音に紛れて消えていった。
*
ババロたちは、集落から続く地下道を進んでいた。
木の根が天井を覆い、ところどころに植物の淡い光が灯っている。土の壁には小さな横穴がいくつもあり、長い年月をかけて作られた道が、森のあちこちへと伸びていた。
バルバロは、きょろきょろと周囲を見回していた。
「お父さん、こっちの道はどこに続いてるの?」
「別の採取場所だ。今日は通らん」
「じゃあ、あっちは?」
「今は通らん」
「その先は?」
「バルバロ」
「はい!」
「質問するのはいいことだ。だが、歩きながらあちこちに気を取られるな。まずは前を見て歩け」
「……はい」
バルバロは慌てて前を向いた。
ババロは、そんな息子を見て小さく笑った。
「森に出たら、もっと気をつけなきゃならんぞ」
「魔物がいるから?」
「そうだ。魔物だけじゃない。危険な植物もあるし、足場が崩れることもある。天気が変われば、帰り道が危なくなることもある」
「……うん」
「それに、森は俺たちだけのものじゃない。ほかの生き物も暮らしている。必要なものをいただくからには、周りをよく見て、無駄に荒らさないことも大切だ」
バルバロは、真剣な顔で頷いた。
やがて、地下道の先に明るい場所が見えてきた。
目的の採取場所に到着したのだ。
*
「よし、ここからは採取を始める。ただし、その前に大事な話がある」
ババロは腰を落とし、バルバロと目線を合わせた。
「いいか。絶対に地下から出るな。」
「うん」
「俺が地上に出て確認することがあっても、お前はここで待つんだ。許可なく地上へ出るのは駄目だ」
「どうして?」
「地上は見通しがいいようで、実際にはそうでもない。草むらや木の陰に魔物が隠れていることもある。お前が気づく前に、向こうが気づくかもしれん」
バルバロは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「それから、もし何かあったら――土魔法で近くの木の根の下に隠れろ」
「木の根の下?」
「そうだ。根の周りの土を動かして、身を隠せる場所を作るんだ。だが、入口を大きく開けるな。魔物に見つかりにくいよう、できるだけ小さくする」
「うん!」
「隠れたら、俺が呼びに来るまで動くな。物音がしても、誰かの声が聞こえても、自分で確かめに行くな」
「お父さんの声が聞こえても?」
「俺が決めた合図を使ったときだけだ。森では、声だけで相手を判断するな。魔物が声を真似ることもある」
バルバロは目を丸くした。
「魔物って、そんなこともするの?」
「種類による。だから、知らないことを勝手に決めつけるな」
ババロは息子の肩に手を置いた。
「それと、何があっても俺から離れるな。気になるものを見つけても、勝手に近づくな。採りたいものがあったら、まず俺に聞くんだ」
「わかった!」
「知らない植物やキノコは、触らない、食べない。見た目が似ていても、毒があるものもある」
「おいしそうでも?」
「おいしそうでもだ」
「……わかった」
バルバロは、少し残念そうにしながらも頷いた。
「あと、変な音や匂いに気づいたら、すぐに知らせろ。何かがおかしいと思ったら、採取をやめていい。採るものより、自分の命の方が大事だからな」
その言葉に、バルバロの表情が引き締まった。
「うん。絶対に勝手なことはしない」
「よし。いい返事だ」
ババロは息子の頭をひと撫ですると、立ち上がった。
「じゃあ、始めようか。今日は、冬に備えて食べられる根や木の実、それから薬草を集める」
「僕もいっぱい集める!」
「量を競うんじゃない。必要なものを、必要な分だけだ」
「……必要な分だけ」
バルバロは、父の言葉を繰り返した。
ババロは籠を手に、周囲を見回した。
「まずは、あそこの根を見てみよう。葉の形を覚えておくんだ。似ている植物でも、根の形や匂いが違うことがある」
「うん!」
バルバロは父の隣に並び、教えられた植物をじっと観察した。
土の感触。
葉の形。
根の伸び方。
そして、周囲の音。
いつも遊んでいる森とは、少し違って見えた。
父が立ち止まれば、自分も止まる。
父が耳を澄ませば、自分も周囲の音を聞く。
父が植物に触れる前に確認する姿を見て、バルバロも真似をした。
採取は、ただ物を集めるだけではない。
森を知り、危険を避け、恵みをいただく仕事なのだ。
「お父さん、この根は?」
「それは食べられる。だが、似た形の別の根には毒がある。葉も一緒に覚えておくんだ」
「こっちは?」
「薬草だ。傷に使えるが、採りすぎるな。来年も生えてこられるように、残しておくんだ」
「全部採っちゃ駄目なの?」
「全部採れば、次に来たときにはなくなっているかもしれん。森の恵みは、今だけのものじゃないからな」
バルバロは、目の前の植物を見つめた。
食べられるものを見つければ、たくさん集めたくなる。
けれど、森で暮らしていくためには、来年のことも考えなければならない。
「……わかった。少し残すんだね」
「そういうことだ」
ババロは満足そうに頷いた。
バルバロはまだ、そのすべてを理解しているわけではない。
それでも今日、父の背中を追いながら、ひとつずつ覚えていく。
秋の森は、冬支度に忙しい。
そして、小さなノームにとっても、新しい学びの季節が始まっていた。
*
その頃。
採取場所から、そう遠くない場所。
木々の陰に、黒く大きな影があった。
周囲の景色に溶け込むように身を潜めているが、その姿からは、禍々しいオーラが滲み出ていた。
それは大きな鼻をひくつかせ、空気の匂いを嗅いでいた。
すん……すん……。
ゆっくりと、鼻が動く。
森の匂い。
土の匂い。
植物の匂い。
そして――。
何かを見つけたように、その動きが止まった。
大きな口が、ゆっくりと開く。
口の端が吊り上がり、まるで笑っているかのように見えた。
――見つけた。
そんな声が聞こえてきそうな、不気味な表情だった。
黒い影は、音もなく一歩を踏み出す。
ゆっくりと。
確実に。
ノームたちのいる場所へと近づいていく。
まだ、誰も気づいていない。
ババロはバルバロに森の知恵を教え、ほかのノームたちは冬に備えるための採取を続けている。
いつもと変わらない、秋の森の一日。
けれど、その静けさの向こうで。
小さなノームたちに、危機が迫っていた。




