第84話 消えた穴と、光の試作
第84話 消えた穴と、光の試作
朝食を終えた紬は、昨日のことを思い返していた。
「……そういえば」
昨日は薪を拾いに行った途中で、足を滑らせた。
落ち葉の上で靴紐が切れて。
そのまま斜面を転がって。
気づいたときには、穴の底に落ちていた。
「怪我も治ったし、一度見に行ってみようかな」
昨日は身体中が痛かった。
でも、今はもう痛みがない。
《知識と生存》に表示された怪我も、キズぐすり・中級を使ったことで完治している。
だからこそ、気になった。
あの穴は、一体なんだったのだろう。
「薪も落としちゃったしね」
せっかく集めた薪を、そのままにしておくのももったいない。
紬は背負籠を手に取った。
「ルーチェ、ちょっと昨日のところ見に行こう」
「ギョ」
ルーチェが翼を広げる。
二人は家を出て、昨日歩いた山道へ向かった。
朝の森は静かだった。
昨日より少しだけ身体が軽い。
怪我がなくなったというだけで、歩き方まで違う気がする。
「昨日はここを通って……」
紬は足元を確認しながら進んでいく。
途中で何度か立ち止まり、周囲を見渡す。
昨日は落ちることばかり考えていたから、細かい場所までは覚えていない。
「この辺だったかな……」
もう少し進む。
そして。
「……あ」
紬は足を止めた。
地面に落ち葉が重なっている。
その一部分だけ、葉が大きく乱れていた。
「これ……」
しゃがみ込んで、落ち葉を眺める。
葉が斜めに擦れたような跡。
その先には――。
「あった」
薪がいくつか落ちていた。
昨日、拾っていたものだ。
「やっぱりここだ」
紬は周囲を見回す。
「私、ここで転んだんだよね」
「ギョ」
ルーチェも近くへ降りてくる。
紬と同じように地面を見る。
「ルーチェも、ここだよね?」
「ギョ」
ルーチェは地面を見た。
そして、少しだけ首を傾げる。
「……だよね」
紬も頷いた。
「ここで間違いないと思う」
落ち葉の跡。
落とした薪。
どちらも、昨日の出来事を示している。
なのに。
「……あれ?」
紬は立ち上がった。
昨日、自分が落ちたはずの場所を見る。
「穴……」
ない。
「…………」
紬は目を瞬かせた。
昨日は、確かにここに穴があった。
落ち葉に隠れていて、気づかずに落ちた。
かなり深かった。
その先には洞窟があった。
なのに。
「……ない」
地面は普通だった。
落ち葉が積もっているだけ。
紬は周囲を歩き回った。
「こっちだったかな?」
少し横へ移動する。
何もない。
反対側も見る。
何もない。
「……おかしいな」
しゃがみ込んで、手で落ち葉をどける。
土が出てくる。
さらにどける。
土。
石。
また土。
「穴じゃない……」
紬は首を傾げた。
ルーチェも地面を覗き込む。
「ギョ……?」
「うん」
紬は立ち上がった。
「昨日、確かにここから落ちたんだよ」
ルーチェが地面を見る。
そして、また首を傾げる。
「ギョ……」
まるで、
――ここなのに。
そう言っているようだった。
「だよね」
紬も困ったように笑う。
「私もそう思う」
念のため、近くに落ちていた細い枝を拾った。
「ちょっと探してみよう」
紬は地面に枝を突き刺した。
ぐっ。
硬い。
「ここじゃない」
少し横へ。
ぐっ。
硬い。
さらに横へ。
ぐっ。
また硬い。
「……ないなぁ」
今度は落ち葉が厚く積もっている場所を探す。
葉をどける。
枝を刺す。
ぐっ。
「ここも違う」
何ヶ所か探してみる。
どこにも空洞らしき感触がない。
昨日なら、枝を突き刺せば、その先に空間があったはずだ。
「……完全に普通の地面だ」
紬は枝を持ったまま、しばらく立ち尽くした。
「昨日のあれ、なんだったんだろう」
穴だけではない。
その先にあった洞窟。
光源草。
ウォーターグラス。
地下を流れていた水。
そして、タイタンサーモンの泉へ続いていた道。
全部、確かにあった。
紬は背負籠を見る。
中には、昨日持ち帰ったものが入っている。
「夢じゃないんだけどなぁ……」
腕を動かしてみる。
昨日まであった痛みは、もうない。
これも夢ではない証拠だ。
そして、洞窟から採取したものもある。
「……なんか、狐につままれた気分」
紬は頭を掻いた。
「まぁ、考えても分からないか」
穴がないものは、ない。
いくら探しても見つからないのなら、今はどうしようもない。
「とりあえず……薪拾おう」
紬は足元の薪を見る。
「せっかくここまで持ってきたんだし」
一本ずつ拾い上げる。
少し離れたところにも落ちていた。
「これも」
背負籠へ入れる。
「こっちにもある」
拾う。
昨日途中まで集めていた薪を、できるだけ回収する。
それでも、全部が残っているわけではなかった。
斜面を転がったときに、どこかへ飛んでいったものもあるらしい。
「まぁ、これだけあればいいかな」
背負籠を背負う。
「帰ろうか、ルーチェ」
「ギョ」
ルーチェが飛び上がる。
紬も歩き出した。
何度か振り返る。
そこには、昨日と変わらない森が広がっている。
穴なんて、どこにもない。
「……不思議だなぁ」
それだけ呟いて、紬は家へ向かった。
家に着く頃には、さっきまでの不思議さも少し薄れていた。
分からないものは、今考えても仕方がない。
それよりも。
「さて……」
紬は背負籠を下ろした。
「昨日の洞窟で取ったもの、ちゃんと見てみよう」
昨日は帰ることを優先したから、持ち帰ったものを詳しく確認していなかった。
紬は一つずつ取り出していく。
「まずは……これ」
透明な水草。
光を受けると、淡く輝いて見える。
紬は《知識と生存》を開いた。
【名称】ウォーターグラス
【分類】植物
【特徴】透明な葉を持つ水草。
【生育環境】清らかな水中。
【用途】フルエールポーションの材料。
「フルエールポーション……」
紬はその名前を眺める。
「これ、薬の材料なんだ」
ウォーターグラスをそっと持ち上げる。
透明な葉が揺れる。
「あと何が必要なのかな」
紬は少し考えた。
そこで、ふと思い出す。
「そういえば……」
クロトゲノキ。
あの木にも、透明な部分があった。
「クロトゲノキの花も透明だったよね」
紬は以前採取したものを思い出す。
ウォーターグラスは透明な葉。
クロトゲノキは透明な花。
「……どっちも透明だ」
紬は二つの共通点に気づいた。
「もしかして、フルエールポーションって透明なものが材料になるのかな?」
まだ二つしか分からない。
だから、確かなことは言えない。
「でも、共通点はあるよね」
紬は本を見る。
「あと何が必要なんだろう」
材料が全部揃えば、本に何か表示されるのだろうか。
それとも、別の方法が必要なのか。
「うーん……」
今は分からない。
紬はウォーターグラスを傷つけないように置いた。
次に取り出したのは――。
「これか」
少しだけ採取してきた光源草。
けれど。
「……枯れちゃったなぁ」
洞窟の中では、壁や天井に生えて淡い光を放っていた。
あの光景は、今でもはっきり覚えている。
けれど持ち帰ったものは、すっかり枯れていた。
紬は指先でそっと触れる。
「やっぱり、地上じゃ育たないんだ」
本にもそう書かれていた。
生育環境は、地上では育たない。
「光源草って、洞窟の中だからあんなに元気だったのかな」
枯れた草を眺める。
すると、ふと別のものを思い出した。
「……あ」
ブーシーの樹液。
以前、樹液を使ってロウソクのようなものを作った。
樹液そのものに光属性があるわけではない。
でも、それを使って光を灯すものを作ることができた。
「そういえば、あれも光つながりか」
紬は枯れた光源草と、残っているブーシーの樹液を見る。
「光源草は光ってた」
そして。
「ブーシーの樹液は、光を灯すものが作れた」
少し考える。
「……混ぜたら、どうなるんだろう」
もちろん、何かが起きる保証はない。
ただ、試してみるだけだ。
「やってみよう」
紬は少量のブーシーの樹液を取り出した。
まずは温める。
ゆっくり熱を加えると、樹液が少しずつ柔らかくなっていく。
「このくらいかな」
そこへ、細かくした光源草の枯れ草を少し入れる。
ゆっくり混ぜる。
「……うん」
枯れ草が樹液に絡んでいく。
見た目は、少し変わった。
でも、光るわけではない。
「まぁ、すぐには分からないか」
紬は混ぜ合わせたものを小さくまとめた。
形を整える。
しばらくすると、固まってきた。
「固まった」
指先で軽く触れる。
普通に硬い。
「……何か変わるかな?」
紬は出来上がったものを眺める。
今のところ、特別な変化はない。
「少し置いてみよう」
すぐに答えが出るとは限らない。
紬は日の当たらない場所を選んだ。
「ここならいいかな」
試作したものを、そっと置く。
「どうなるか、楽しみだな」
すぐに確認するのではなく、しばらく様子を見ることにする。
ウォーターグラス。
クロトゲノキ。
光源草。
ブーシーの樹液。
昨日の洞窟から持ち帰ったものを並べて、紬は改めて眺めた。
「洞窟に行っただけで、いろいろ増えたなぁ」
不思議な穴は消えてしまった。
けれど。
そこにあったものは、ちゃんと紬の手元に残っている。
「……まあ、いっか」
紬は立ち上がった。
「分からないことは、そのうち分かるかもしれないし」
今は、目の前にあるものを一つずつ調べていけばいい。
そう思いながら、紬は次の作業へと向かった。
狐につままれる
昔話や伝承で、狐は人をだましたり幻を見せたりする存在とされてきました。
「つまむ」には「指でつかむ」以外に「だます・からかう」の意味があり、「狐につままれる」で「狐にだまされる」という意味になります。




