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本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第2章 秋麗~命のぬくもりを紡いで~

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第83話 生存とは

第83話 生存とは


生存の言葉の定理


 「生存」は、生きてこの世に存在することや、命を保ち続けることを指します。


 辞書では、「生きてこの世にいること」「生命を存続すること」などと説明されています。


 それは、ただ死なないことだけを意味するものではありません。


 身体を維持すること。


 傷を治すこと。


 病気から回復すること。


 そして、自分自身がこの世界で生きていくために必要な状態を保つこと。


 ――それもまた、「生存」と呼べるのかもしれません。


⸻


 朝。


「……いたっ」


 右腕に走った鈍い痛みで、紬は目を覚ました。


「……ん?」


 ぼんやりと目を開ける。


 見慣れた天井。


 自分の家だ。


 昨日のことを思い出すまでに、少し時間がかかった。


「……そうだった」


 洞窟。


 足を滑らせて、斜面を転がって。


 そのまま穴の底へ落ちた。


 そこから見つけた洞窟を、ルーチェと一緒に歩いた。


 光源草。


 水の流れる道。


 ウォーターグラス。


 蝶々。


 そして、タイタンサーモンの泉。


 最後はタイタンサーモンに乗せてもらって、ようやく帰ってきた。


「……結構いろいろあったなぁ」


 紬は小さく息を吐いた。


 身体を起こそうとすると、今度は腰にも鈍い痛みが走る。


「いたた……」


 紬は右腕を見る。


 青紫色の痣ができている。


 腰にも、手を当てると痛みがあった。


「やっぱり、結構ぶつけたんだ」


 昨日は疲れていた。


 帰ってから身体が濡れていることに気づいて、急いで着替えた。


 その後、ご飯を食べて。


 気づいたら眠っていた。


「……今日は薬を作らないとかな」


 紬は腕をさする。


 この世界には病院もない。


 薬だって、必要なら自分で作るしかない。


「打撲に効くものって、何かあったかな」


 これまでにも薬を作ったことはある。


 材料になる植物やキノコも、少しずつ分かってきた。


「キノコとかで、何か使えるものがないか調べてみよう」


 紬は布団から出る。


 まだ少し身体は痛いけれど、動けないほどではない。


 部屋の隅に置いてあった《知識と生存》を手に取った。


「何か情報あるかな」


 いつものように本を開く。


 薬に使えそうなものを調べようと思った。


 けれど。


「……ん?」


 紬の手が止まった。


「……あれ?」


 表紙を開いた、その裏側。


 そこに、見覚えのないものがあった。


「こんなの、あったっけ?」


 人間の身体。


 頭から足先まで描かれた、医学書に載っているような人体図だった。


「……人体図?」


 紬は本を持ち直す。


 身体の内部まで分かるように描かれている。


 昨日、寝る前に本を見たときには、こんなものはなかった。


「昨日は……なかったよね?」


 紬は少し考える。


 確かに、なかった。


「寝てる間に増えたのかな……」


 首を傾げながら、人体図を眺める。


 そして――。


「あ……」


 右腕。


 そして腰。


 その二箇所だけが、赤く表示されている。


 紬は自分の腕を見る。


 もう一度、本を見る。


「これ……私?」


 赤くなっている場所は、昨日ぶつけた場所とぴったり一致していた。


 さらに、人体図の横に文字が浮かび上がる。


【右腕・打撲】

【全治】3日

【腰部・打撲】

【全治】1週間


「……打撲」


 紬は目を丸くした。


 怪我の場所。


 怪我の種類。


 そして、治るまでの日数。


「こんなの……今まで出たことなかったよね」


 紬は人体図をじっと見る。


 寝る前にはなかった。


 それなのに、今はある。


「本の中身が……増えた?」


 これまでにも、本の情報が増えたことはある。


 新しい植物を見つけたとき。


 知らない食べ物を調べたとき。


 動物について知ったとき。


 でも、自分自身についての情報が増えたことはなかった。


「……私の身体のことも、載るんだ」


 紬は赤く表示された右腕を見る。


 すると、人体図の下に新しい表示が現れた。


【治療方法を提案します】


「……ん?」


 さらに、その下。


《キズぐすり・中級》の使用を推奨します。


「キズぐすり・中級?」


 紬は少し考えた。


「あ」


 思い出した。


 以前作ったものが、まだ残っている。


「確か、薬を入れてるところにあったはず」


 紬は本を持ったまま、薬を置いている場所へ向かった。


 いくつかの薬を確認する。


「あった」


 細いブルーバンブーを切って作った入れ物を手に取る。


 蓋を開ける。


 中には、以前作った《キズぐすり・中級》が入っていた。


「これだ」


 紬は薬を持って戻ってくる。


 右腕の袖を少し上げる。


 青紫色になっている場所へ、薬を塗った。


「……冷たい」


 薬が肌に馴染んでいく。


 しばらくして。


「……ん?」


 紬は本を見る。


 さっきまで表示されていた。


【右腕・打撲】

【全治】3日


 それが。


 2日。


 1日。


 そして――。


 0日。


 文字が変わる。


【完治】


「…………」


 紬は固まった。


「早っ……」


 思わず声が出る。


 紬は右腕をゆっくり曲げる。


 伸ばす。


 もう一度曲げる。


「……痛くない」


 腰にも手を当てる。


 身体を少しひねる。


 前へ曲げてみる。


「こっちも……」


 痛みがない。


「治ってる……」


 紬は驚きながら、自分の身体を何度か動かした。


 確かに痛くない。


 薬を塗る前は、動かすたびに痛かった。


 それが今は、何も感じない。


「すごいな……」


 紬は本を見る。


「薬を塗ったら、怪我の日数まで減って……」


 人体図には、もう赤い部分がない。


「本当に、身体の状態を見てるんだ」


 そこで、紬はふと考えた。


「……これって、いわゆるステータス表みたいなものなのかな?」


 ゲームのような表示とは少し違う。


 数字がずらっと並んでいるわけでもない。


 けれど、自分の身体の状態が分かる。


「怪我だけなのかな?」


 紬は人体図を見る。


「病気になったらどうなるんだろう」


 風邪をひいたら。


 熱が出たら。


 お腹を壊したら。


 身体の中で何かがおかしくなったら。


「その時も、ここに出るのかな?」


 考えながら人体図を見ていると。


 ページが、ふわりと動いた。


「……え?」


 紬が手を添えるより先に、ページが一枚めくれる。


 そこには、新しい文字が並んでいた。


【森川 紬 人体ステータス記録中】

【年齢】1

【種族】不明

【履歴】

擦り傷 治癒済み

打撲傷 治癒済み

眼精混乱 調整済み


「……え?」


 紬の目が止まった。


「擦り傷……」


 今までの小さな怪我まで記録されている。


「打撲傷も……」


 そして、その下。


「眼精混乱?」


 紬は首を傾げた。


「これ……目のこと?」


 少し考える。


 元の世界では、暗い場所で細かいものが見えにくかった。


 遠くのものが少しぼやけることもあった。


 でも、それを「目が悪い」と考えたことはなかった。


 自分では、そういうものだと思っていた。


「……そういえば」


 紬は昨日の洞窟を思い出す。


 洞窟の中は、光源草があるとはいえ、かなり暗かった。


 それなのに。


「確かに……洞窟の中でも、よく見えてたかも」


 足元の岩。


 壁に生えていた光源草。


 遠くまで続く道。


 暗い場所でも、思っていたより周囲がよく見えていた。


「前の私だったら、もう少し見えにくかったはず……」


 紬は自分の目に触れる。


「これが、調整済みってことなのかな?」


 知らないうちに変わっていたもの。


 それを、本は記録していた。


「……私が気づいてなかっただけで、身体って変わってるんだ」


 紬はもう一度、表示を見る。


【種族】不明


「……」


 今度は、こちらが気になった。


「不明?」


 紬は自分を指差す。


「私だよね?」


 もちろん、本に表示されているのは自分のこと。


 なのに。


【種族】不明。


「……なんで?」


 胸の奥が、少しざわついた。


「私、人間だよね?」


 当たり前だと思っていた。


 今まで疑ったことなんて、一度もない。


 なのに、本は「不明」と表示している。


「……」


 考えれば考えるほど、焦りに似た不安が膨らんでいく。


 この世界に来てから、自分の身体はどうなったのか。


 自分は本当に、人間なのか。


 そんな考えが頭の中をぐるぐる回り始める。


 その瞬間。


 ページが、また小さく揺れた。


【精神安定】推奨

【実施済み】


「……精神安定?」


 紬は目を瞬かせた。


 すると――。


 胸の奥にあった、焦りに似た不安が。


 ふっと消えた。


「……あれ?」


 さっきまで、落ち着かなかった。


 頭の中で考えが絡まっていた。


 けれど今は、少し離れたところから自分の考えを見られるような感覚がある。


 不安そのものが全部なくなったわけではない。


 ただ、焦って答えを出そうとする気持ちが消えていた。


「……落ち着いた」


 紬は胸元に手を当てる。


「これが……精神安定?」


 自分では気づいていなかった。


 けれど、本は気づいていた。


 そして、必要な処置をしたらしい。


「身体だけじゃなくて……」


 紬は本を見る。


「心のほうも見てるのかな」


 すると、さらに文字が追加された。


【この世界における人体適応】完了済み


「……人体適応?」


 紬はその文字を読む。


「この世界における……」


 元の世界とは違う空気。


 違う植物。


 違う動物。


 そして、魔力。


 それでも紬は、この世界で普通に生活している。


「身体が、この世界に慣れたってことなのかな……」


 紬が考えていると。


【種族】不明


 その文字が、ゆっくりと変化した。


【種族】人間?


「…………」


 紬は固まった。


「人間……?」


 後ろには、はっきりと疑問符がついている。


「……なんで疑問形なの?」


 返事はない。


 ただ、本にはそう表示されている。


【種族】人間?


 紬はしばらく、その文字を見つめていた。


「私……人間だよね?」


 答えは出ない。


 でも、今はさっきほど不安ではなかった。


 胸の奥にあった焦りもない。


 だから、無理に答えを出そうとは思わなかった。


「……まぁ、今はいいか」


 紬は小さく息を吐いた。


 腕を動かす。


 腰をひねる。


 痛みはない。


 ちゃんと動く。


「生きてるし」


 それだけ確認すると、少し安心した。


 紬は本をそっと撫でる。


「分からないことは、これから分かっていけばいいよね」


 《知識と生存》。


 今まで紬は、この本を知識を得るための本だと思っていた。


 けれど。


 今日、初めて知った。


 この本は、紬自身のことも記録している。


 怪我を記録する。


 治療方法を示す。


 身体の変化を記録する。


 そして、心の状態まで。


「……生存、か」


 紬は小さく呟いた。


 まだ、この力が何なのかは分からない。


 なぜ寝ている間に人体図が増えたのかも分からない。


 「人間?」という表示の意味も分からない。


 けれど。


 今日、初めて。


 《知識と生存》という本の名前にある「生存」が、自分自身に関わるものなのだと、紬は知った。


 白い本は、何も言わない。


 ただ静かに。


 紬がこの世界で生きていることを、記録していた。

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