第76話 モコモコの毛糸
第76話 モコモコの毛糸
家に戻った紬は、カゴいっぱいに集めた白い毛を眺める。
「こんなにいっぱい……」
ふわふわしていて、とても軽い。
手を入れると、指が埋もれてしまうほど柔らかい。
昨日出会ったモコモコ。
あの巨大な白い毛玉から、これだけの毛が落ちていた。
「せっかくだし、ちゃんと調べてみようかな」
紬は白い本を開いた。
ページに文字が浮かぶ。
【種族】モコモコ
【属性】風
【素材】高級ウール
【特徴】非常に柔らかく、ふわふわとした毛。
【性質】保湿・保温に特化している。
【毛の生え変わり】夏から春にかけて毛が抜ける。身体を振るったり、木に身体を擦り付けたりして毛を落とす。
【性質】ものすごくのんびり屋。
【習性】他の生き物を襲うことはない。
【その他】動物に毛を引っ張られると、早めに抜けることがある。
【注意】怒らせると、山が禿げるほどの強い風を起こすことがある。
「……高級ウール」
紬は毛を一束つまんだ。
「そりゃ、ふわふわなわけだ」
それに、保湿と保温。
冬を前にした今の紬にとっては、とてもありがたい素材だった。
「これは、ちゃんと使わないともったいないね」
まずは洗うことにした。
*
モコモコの毛を少しずつ水につける。
浮かないように手で押さえながら、汚れを落としていく。
「思ったより大変だなぁ……」
森から拾ってきたものだ。
葉っぱや小さな木の枝、それに土も混ざっている。
紬は一つずつ取り除いていった。
「せっかくの高級ウールだもんね」
急がず、丁寧に。
洗い終わった毛は、風通しのいい場所に広げて乾かす。
しばらくすると、乾いた毛がふわっと膨らんだ。
「わぁ……」
洗う前よりも、さらに柔らかくなった気がする。
紬は毛を手に取って、軽くほぐしていく。
絡まっているところを見つければ、指先で少しずつほどく。
引っ張りすぎないように。
切れないように。
一束ずつ、丁寧に。
「こういうの、結構好きかも」
時間はかかった。
けれど、急ぐ必要はない。
冬は近づいているものの、まだ少し時間はある。
紬はゆっくりと毛を整えていった。
*
そして次の日。
今度は毛に撚りをかける。
細く分けた毛を少しずつ合わせて、ねじっていく。
一本のふわふわだった毛が、少しずつ形を変えていく。
「こう……だったよね」
以前作ったものを思い出しながら、手を動かす。
撚りをかけて。
巻いて。
また撚って。
巻いて。
気がつけば、小さな毛糸玉が一つできていた。
「できた」
白い毛糸玉。
手のひらに乗せると、ふわふわしている。
「いい感じ」
そこからは、少しずつ同じ作業を繰り返した。
一本ずつ。
丁寧に。
そうして二日、三日と時間をかける。
部屋の片隅には、白い毛糸玉が少しずつ増えていった。
「結構できたなぁ」
紬が並んだ毛糸玉を眺める。
白い毛糸玉。
白い毛糸玉。
また白い毛糸玉。
たくさん並ぶと、それだけで少し嬉しくなった。
「これなら、セーター作れるかな」
そんなことを考えながら、紅暖晶華の紅茶を飲もうとした、そのときだった。
「あっ」
手が少し滑った。
カップが傾く。
「わっ!」
紅茶がこぼれた。
ぽたぽた。
そして――
白い毛糸玉の上に、茶色い液体が染み込んでいった。
「……」
紬が固まる。
「…………あ」
慌てて持ち上げる。
「うそ……」
かかったのは三玉。
白かった毛糸の一部が、見事に茶色へ変わっている。
「落ちるかな……」
急いで水で洗ってみる。
けれど。
「……落ちない」
もう一度。
やっぱり落ちない。
紬は茶色くなった三玉を見つめた。
「せっかく白かったのに……」
しょんぼりする。
せっかく丁寧に作った毛糸だった。
どうしよう。
捨てるのはもったいない。
でも、この色のままでは白いセーターには使いにくい。
紬は少し考えてから、白い本を開いた。
「一応、調べてみよう」
ページに文字が浮かぶ。
モコモコの毛についての表示に、新しい情報が加わっていた。
【変化】紅暖晶華の成分が染み込んだことで、性質が変化している。
【性質】一定の温かさを保つ。
「……え?」
紬は目を瞬かせた。
もう一度読む。
「一定の温かさを保つ?」
茶色くなった毛糸を触る。
ほんのり。
手のひらが温かく感じた。
「これ……紅茶が染みたから?」
思いがけない変化だった。
失敗したと思っていた。
白い色を駄目にしてしまったと思っていた。
けれど。
「……悪いことばかりじゃないんだ」
紬は三玉の毛糸を見つめる。
「じゃあ、この三玉は……」
少し考えて。
「胴体に使おう」
セーターを着たとき、一番身体を包む部分。
そこに、この三玉を使えばいい。
「うん。そうしよう」
紬は三玉を大切に横へ置いた。
それから、残った白い毛糸を見つめる。
今までよりも、少しだけ丁寧に。
一つひとつの毛糸玉を扱う。
「こんなことで、性質が変わるんだ……」
素材は同じでも。
ほんの少し何かが加わるだけで、違うものになる。
「ちゃんと作らなきゃね」
紬はそう呟いた。
*
四日目。
セーターを作るための編み棒を用意する。
買えるわけではない。
だから森で、まっすぐで使いやすそうな枝を二本探した。
「これならいいかな」
持ち帰った枝を削る。
表面のざらつきを取り。
角を落として。
何度も手で触って確認する。
「……うん」
指に引っかからない。
これなら使えそうだ。
紬は二本の棒を並べた。
「久しぶりだなぁ」
マフラーを作ったときのことを思い出す。
編み物自体は、やったことがある。
でも。
「セーターは作ったことないんだよね」
だから、今回は試行錯誤だ。
大きめの長方形を編む。
それを繋げれば、セーターになる。
まずは胴体。
「このくらいかな……」
少し大きめに作る。
冬は重ね着することもある。
それなら、少しくらい大きいほうがいい。
茶色くなった三玉を取り出す。
「まずはこれから」
編み始める。
一本。
二本。
三本。
毛糸が棒の間を行き来する。
ふわふわした毛糸だから、編み目も少し柔らかい。
「……こんな感じかな」
間違えた。
「あ」
ほどく。
もう一度。
今度は大丈夫。
紬は休憩を挟みながら、少しずつ編んでいった。
四日目。
五日目。
六日目。
編んで。
休んで。
また編んで。
毛糸が絡まればほどく。
編み目を間違えればやり直す。
少しずつ、長方形が大きくなっていく。
「思ったより時間かかるなぁ」
それでも、焦らなかった。
一つひとつ。
丁寧に。
やがて胴体部分が完成する。
「よし」
次は袖。
同じように大きめの長方形を二つ編んでいく。
白い毛糸を使い、左右の長さを確認する。
「こっちは……ちょっと長いかな」
ほどく。
編み直す。
そして、ようやく二つの袖ができた。
胴体部分と袖。
三つを並べる。
「これを繋げれば……」
少しずつ縫い合わせていく。
袖をつける。
肩を合わせる。
首の部分を整える。
最後に糸を処理する。
そして。
「……できた」
大きめのセーターが完成した。
白い毛の中に、胴体部分だけ少し茶色が入っている。
紅暖晶華の紅茶が染み込んだ三玉だ。
「なんか……これはこれでいいかも」
紬はセーターを持ち上げた。
ふわふわ。
軽い。
そして、触っているだけでも少し温かい。
「着てみよう」
頭からかぶる。
少し大きめ。
けれど、その分身体をすっぽり包んでくれる。
「……暖かい」
紬は袖を通して、両手を見た。
白い毛がふわっと腕を包んでいる。
身体の中心には、ほんのり茶色。
「これ、失敗からできたんだよね」
少し笑う。
「分からないものだなぁ」
*
そして、まだ毛糸は残っていた。
紬は毛糸玉を見つめる。
「まだ結構あるな……」
ふと、ルーチェを見る。
いつものように、部屋の中で羽を休めている。
「そうだ」
紬は残った毛糸を手に取った。
「ルーチェの寝床に、何か作ろうかな」
大きなものはいらない。
小さめのマフラーを作ることにした。
今度は慣れたものだ。
白い毛糸を使って、細長く編んでいく。
完成したものを持って、ルーチェの寝床へ向かう。
タイタンサーモンの赤い糸で作った寝床。
そこへ、モコモコの毛で作った小さなマフラーを入れる。
「ルーチェ、入ってみて」
「ギョ?」
ルーチェが近づいてくる。
寝床を覗き込み。
くんくん。
そして、そっと中へ入った。
ふわっ。
身体が毛に沈む。
「どう?」
「……ギョ」
ルーチェはそのまま丸くなった。
「気に入った?」
「ギョ!」
「ふふっ」
羽を少し広げて、気持ちよさそうに目を閉じるルーチェ。
紬も嬉しくなった。
「よかった」
自分のセーター。
ルーチェの寝床。
同じモコモコの毛から作ったものが、二つ。
それだけで、なんとなく嬉しかった。
*
その夜。
紬は完成したセーターを着たまま、布団に入った。
いつもの布団に、いつもの部屋。
けれど今日は、身体がいつもより暖かい。
「……あったかい」
布団を肩まで引き上げる。
ふわふわのセーターに包まれていると、身体の力が抜けていく。
少し離れたところでは、ルーチェも新しい寝床で丸くなっている。
「おやすみ、ルーチェ」
「……ギョ」
小さな声が返ってくる。
紬は目を閉じた。
外では秋の夜風が木々を揺らしている。
けれど家の中は、穏やかだった。
白い毛に包まれながら。
紬はゆっくりと眠りについた。




