第73話 森川 紬
第73話 森川 紬
紬はいつもより少しだけゆっくりと目を覚ました。
外からは、いつものように鳥の鳴き声が聞こえている。
「……朝かぁ」
布団から出ると、少しひんやりとした空気を感じた。
もう秋も深くなってきている。
紬は火を起こし、ポポタンの根を乾燥させて作った飲み物を淹れる。
お湯を注ぐと、香ばしい匂いがふわっと広がった。
「いい匂い」
カップに注いで、一口。
「……ふぅ」
ほんのりとした苦み。
コーヒーに似た味に、紬はすっかり慣れていた。
「やっぱり、朝はこれだなぁ」
カップを両手で包みながら、紬はぼんやりと部屋を見渡した。
そして、ふとパントリーを見る。
「……結構、いっぱいになったなぁ」
棚には、乾燥させたキノコ。
薬草。
カチワリ。
保存している野菜。
燻製にした魚や肉。
少しずつ集めてきた食料が、棚に並んでいる。
最初の頃は、食べ物を見つけるたびに、
「これ、いつまで食べられるかな」
「どうやって保存しよう」
そんなことばかり考えていた。
今では、保存する場所までちゃんとできている。
「冬の食料も……大分そろってきたよね」
棚を眺めながら、紬は少し安心した。
もちろん、まだ足りないものはある。
欲を言えば、もっとちゃんとした家具も欲しい。
冬の服も欲しい。
靴や手袋も必要だ。
それでも、最初の頃と比べればずいぶん違う。
「ちゃんと暮らせてるよね?きてから頑張ったもんね、」
そう呟いて、残りのポポタンコーヒーを飲む。
「今日は何しようかな」
外を見る。
森はいつも通り。
特に急いでやらなければならないこともない。
昨日は洞窟へ行って、岩塩まで見つけた。
あの洞窟には、まだまだ謎がありそうだけど。
「今日は……休んでもいいかな」
紬はそう決めた。
「うん。今日はゆっくりしよう」
カップを片付けると、紬は居間へ向かった。
家の中で一番広い部屋。
そして、火のある部屋。
「はぁ……あったかい」
火の近くに座る。
しばらくすると、身体がぽかぽかしてきた。
「……幸せ」
そのまま、石の上にごろんと横になる。
天井を眺めながら、何もせずに過ごす。
「たまには、こういう日もいいよね」
森へ行かなくてもいい。
何かを探さなくてもいい。
何かを作らなくてもいい。
ただ、火の音を聞いている。
そんな時間も悪くない。
すると。
「ギョ」
「ん?」
ルーチェが近づいてきた。
「どうしたの?」
「ギョ」
紬の横に座る。
「……遊ぶ?」
「ギョ!」
「ふふっ。じゃあ、久しぶりに遊ぼうか」
紬は起き上がった。
ルーチェと少し追いかけっこをしたり、羽を撫でたり。
いつも森を一緒に歩いているけれど、こうして家の中で遊ぶのは久しぶりだった。
「ほら、こっちだよ」
「ギョ!」
「捕まえられるかな?」
「ギョェー!」
ルーチェが勢いよく追いかけてくる。
「わっ!」
紬は笑いながら逃げる。
しばらくすると、二人とも疲れてきた。
「ふぅ……」
紬が座り込むと、ルーチェも近くへやってきた。
そして。
ぽすっ。
「わっ」
ルーチェが紬のお腹の上に乗った。
「……そこ?」
「ギョ」
「まあ、いいけど」
ルーチェはそのまま丸くなる。
火の暖かさに加えて、紬のお腹の上も暖かいらしい。
「暖まってるの?」
「ギョ」
「そっか」
紬はルーチェの羽をそっと撫でた。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
火がぱちぱちと音を立てている。
静かな時間。
その時間が、なんとなく心地よかった。
「ねぇ、ルーチェ」
「ギョ?」
「私の話、したことなかったよね」
ルーチェが少しだけ顔を上げる。
「私が、ここに来る前の話」
「……ギョ」
ルーチェはまた紬のお腹の上に顎を乗せた。
「じゃあ、何を話そうかな」
紬は火を見ながら、ゆっくり話し始めた。
「私が生まれたのは、海沿いの街なんだ」
潮の匂い。
海から吹いてくる風。
遠くから聞こえる波の音。
小さかった頃の記憶だから、はっきりとは覚えていない。
「でもね、私が幼い頃に、両親が行方不明になったの」
「ギョ……」
「その後、私は孤児院に引き取られたんだ」
その孤児院の名前は。
「光の森っていうところ」
そこには、優しいシスターがいた。
「シスターがね、たくさん本を読んでくれたんだ」
物語の本。
料理の本。
植物の本。
生活に必要なことが書かれた本。
「ご飯の作り方も教えてくれたし、いろんなことを教えてもらった」
知らないことを知るのが楽しかった。
本を開けば、自分の知らない世界が広がっていた。
「だから、私が本を好きになったのって、たぶんシスターのおかげなんだよね」
紬は小さく笑った。
「図書館が好きだったのも、その頃からかな」
けれど。
子どもの頃の紬は、よく事故に遭った。
「私ね、小さい頃から結構、死にかけてたんだ」
「ギョ……?」
「事故に遭ったり、危ない目に遭ったり」
今思い返してみても、どうしてあれで生きていたのか分からない。
「そのたびにシスターがすごく心配してくれてね」
泣きながら、ぎゅっと抱きしめられた。
小さな身体を包み込むように。
その時に聞いた言葉を、紬は今でも覚えている。
『どうか、この子が無事に生き残りますように』
「……あの言葉、今でも覚えてる」
紬は火を見つめる。
「あの時は、なんでシスターが泣いてるのか、よく分かってなかったけど」
今なら少し分かる気がする。
大切な人が傷つくかもしれない。
いなくなってしまうかもしれない。
そんな怖さを、シスターは知っていたのだろう。
「でもね」
紬は少しだけ笑う。
「私が二十歳の時、シスターもいなくなっちゃった」
「……ギョ」
「突然、行方が分からなくなったの」
両親もいなくなった。
そして、シスターもいなくなった。
それからしばらく、紬は落ち込んだ。
あまり人と関わらなくなった。
「休みの日は、ほとんど図書館にいたかな」
本を読んで。
読み終わったら、また次の本を読む。
気づけば一日が終わっている。
「本を読んでると、一人でも平気だったんだよね」
シスターから教えてもらったことも、ちゃんと覚えておきたかった。
料理のこと。
生活するためのこと。
知らないことを知る楽しさ。
「だから、ひとりで生きていくつもりだった」
それでも。
そんな生活の中でも、紬は何度か死にかけた。
「一年に数回は、何かしらあったんだよ」
「ギョ……」
「本当に、ちょー不運体質だったんだから」
紬は苦笑した。
危ない目に遭う。
どうにか助かる。
また危ない目に遭う。
そして、また助かる。
そんなことを繰り返してきた。
「だからね」
紬は少しだけ視線を落とした。
「何とか生きてこられたのは、きっと両親とシスターが見守ってくれてるからだと思ってた」
もう会うことはできない。
それでも。
どこかで見ていてくれる。
そんな気がしていた。
「……不思議だよね」
紬はルーチェを見る。
「こっちに来てからは、そういうのがないんだよ」
「ギョ?」
「あんなに不運だったのに」
紬は少し考える。
「こっちに来てから、死にかけるようなこと……あったっけ?」
森で危ないものを見つけることはある。
魔獣もいる。
知らない植物もある。
でも。
「案外、ないんだよね」
紬は首を傾げた。
「あの世界では、ちょー不運だったのに」
そして、目の前のルーチェを見る。
「ルーチェもいるし」
家の外へ視線を向ける。
「石垣の中だからかな?」
石壁に囲まれた場所。
火のある家。
食べ物の詰まったパントリー。
そして、いつも一緒にいてくれるルーチェ。
「こっちに来てから、前よりずっと安心して暮らせてる気がする」
「ギョ……」
「まあ、昨日みたいに洞窟を見つけたりもするけど」
「ギョェー」
「そこは……まあ、ね」
紬は笑った。
ルーチェが紬のお腹の上で少し動く。
「……重いよ、ルーチェ」
「ギョ!」
「ふふっ」
紬はルーチェの頭を撫でる。
「でも、ありがとね」
火が、ぱちりと音を立てた。
暖かな部屋。
外には冷たい風が吹いている。
昔の紬は、ひとりで生きていくつもりだった。
誰かに頼ることもなく。
誰かと深く関わることもなく。
ただ、本を読んで。
知識を得て。
ひとりで生きていく。
そう思っていた。
けれど今は。
お腹の上にいる、少し重たいルーチェを撫でる。
「……私、結構変わったのかもね」
「ギョ?」
「なんでもない」
紬は笑った。
火の音を聞きながら、ゆっくり目を閉じる。
ひとりで生きていくつもりだった。
それなのに。
気づけば、ひとりではなくなっていた。
そんなことが、少しだけ嬉しかった。




