第60話 踏め揉めピーだ!
第60話 踏め揉めピーだ!
まだ、日の出からそれほど時間が経っていない。
「ふんす……ふんす……」
「ん?」
紬が入口へ向かうと、そこにはアルブレーヴがいた。
白い鼻先を扉に近づけて、ふんすふんすと鳴らしている。
「どうしたの?」
ふんす。
「……外に出たいの?」
ふんす、ふんす。
「はいはい」
紬が扉を開ける。
するとアルブレーヴは、待ってましたとばかりに外へ出た。
そして――
てくてく。
振り返ることもなく、そのまま森の方へ歩いていく。
「ありがとうー! また来てねー!」
紬は手を振る。
アルブレーヴは振り返らない。
「……行っちゃった」
すると。
「ギョェーー!」
屋根の上から、ルーチェの鳴き声が響いた。
「ルーチェ、見てたの?」
「ギョ!」
「また来てくれると嬉しいけどね」
「ギョェー」
紬は空を見上げた。
東の空が、少しずつ明るくなっている。
山の向こうから太陽が顔を出し、森を淡い光で照らしていく。
「……きれい」
紬はしばらく、日の出を眺めていた。
まだ早い時間だからか、森はいつもより静かだった。
「さて」
紬は大きく伸びをする。
「今日も頑張るか」
まずは朝ご飯。
それから燻製器の確認。
昨日のスタンプボアの肉は、冬の保存食にするため、燻製にしている途中だ。
「お肉は、これでいいとして……」
紬の視線が、部屋の隅へ向く。
そこにあるのは、大きな黒い皮。
スタンプボアの皮だ。
「……これ、どうしようかな」
かなり丈夫そうだ。
敷物にもできそうだし、何かを包むのにも使えそう。
冬になれば、防寒にも使えるかもしれない。
「革にできたら、もっと色々使えそうなんだけど」
紬は皮を見つめる。
「革……」
頭の中を探る。
「鞣す……?」
その言葉は知っている。
けれど。
「……どうやるんだっけ?」
紬は首を傾げた。
昔、本で読んだような気がする。
動物の皮を革にする方法。
塩を使う。
何かを塗る。
乾かす。
揉む。
そんな断片的な記憶だけが、頭の中に浮かんでは消える。
「……全然思い出せない」
《知識と生存》を開いてみても、自分が知らないことまで教えてくれるわけではない。
「うーん……」
紬はしばらく考えた。
そして。
「そうだ」
昨日、沢に残してきたものがある。
スタンプボアの骨。
それから頭。
「実物を見ながら考えたら、何か思い出すかも」
紬は皮を丸めた。
「よいしょ……」
背負い籠へ入れる。
丸めれば、なんとか収まった。
「これなら運べる」
背負ってみる。
「うん。昨日の肉よりは全然軽い」
ルーチェが屋根から降りてくる。
「ギョ!」
「行く?」
「ギョ!」
「じゃあ、一緒に行こうか」
紬は背負い籠を背負った。
こうして、沢へ向かうことにした。
森を歩く。
木々の間を抜ける。
しばらくすると、水の流れる音が聞こえてきた。
「着いた」
紬は背負い籠を下ろした。
辺りを見回す。
「あった」
昨日残しておいたスタンプボアの骨。
そして頭。
ちゃんと残っている。
「よかった」
紬が近づく。
すると。
「ギョ?」
ルーチェが飛び上がった。
そのまま――
ぽすっ。
「……」
スタンプボアの頭の上に乗った。
「ルーチェ?」
「ギョェーー!」
「なんでそこに乗るの……」
ルーチェは頭の上で翼をばたばたさせる。
なんだか得意げだ。
「まあ……いいけど」
紬は苦笑する。
そして、スタンプボアの頭を見る。
「…………あ」
何かが引っかかった。
鞣す。
皮。
塩。
油。
そして――。
「……脳漿だ!」
「ギョ?」
ルーチェが首を傾げる。
「そうだ!」
紬の頭の中で、昔読んだ本の記憶が繋がった。
「動物の皮って、脳漿を使って鞣す方法があったんだ!」
けれど、細かい手順までは思い出せない。
「……まあ、やってみるしかないか」
まずは皮をきれいにする。
塩は貴重だ。
大量に使う方法は避けたい。
「できるだけ、自分で落とそう」
紬は皮を広げた。
内側には、まだ細かな肉片や余分な脂が残っている。
「これを全部取らないと」
石刃を手に取る。
皮を傷つけないように注意しながら、肉片を少しずつ削る。
ごり。
ごりごり。
「……結構残ってるな」
脂も削る。
細かな汚れも落とす。
地道な作業だった。
しばらくして。
「よし」
紬は皮を持ち上げた。
かなりきれいになっている。
「次は洗おう」
皮を沢の水へ入れる。
ざぶん。
「冷たっ!」
思わず声が出た。
それでも皮を水の中で揉み、汚れを流していく。
水に晒して、何度も洗う。
「これなら、塩をあまり使わなくても少しはきれいになるかな」
しばらくして。
「うん」
紬は皮を持ち上げる。
最初よりずっときれいになっていた。
「さて……」
紬はスタンプボアの頭を見る。
「脳漿を使うんだったよね」
ここから先は――。
(※脳漿を使った鞣し方は、結構グロテスクなので、この度はピーで対応します)
「……よし」
ピー。
ピー。
ピー。
「よし、ピーを取り出せた」
紬はきれいにした皮を地面へ広げる。
「これの上でやった方がよさそう」
皮の内側を上にする。
その上へ、取り出したものを置いた。
「よいしょ」
石を手に取る。
ごり。
ごりごり。
皮の上で、少しずつ潰していく。
「これなら、そのまま塗れるし」
さらに潰す。
ごりごり。
すると――
カチッ。
「……ん?」
石が何かに当たった。
「何だろう?」
紬は手を止めた。
ペーストの中から、黒いものが覗いている。
「……石?」
指先で取り出す。
それは、小さな黒い宝石だった。
「……きれい」
光を受けても、ほとんど反射しない。
けれど、黒い宝石の奥では何かがゆらゆらと揺らめいているように見えた。
「これ……何?」
紬は《知識と生存》を開く。
しばらくして、文字が浮かぶ。
【名称】魔石
【分類】魔獣素材
【状態】良好
【属性】不明
【魔素】中
【用途】不明
「……魔石?」
紬は黒い宝石を指先で転がす。
「スタンプボアって、こんなの持ってたんだ」
知らなかった。
「用途は……不明か」
紬は少し考える。
「じゃあ、これは取っておこう」
黒い魔石を、小さな袋へしまう。
「何かに使えるかもしれないしね」
そして、再び皮を見る。
「さて。続き続き」
ペースト状になったものを、皮の内側へ広げていく。
ぺたぺた。
「これなら、均等に塗れそう」
端までしっかり塗る。
「よし」
紬は皮を見下ろした。
「次は……揉む」
両手で皮を掴む。
ぎゅっ。
「……大きい」
ぎゅぎゅっ。
「……腕が疲れる」
紬は少し考えた。
そして、自分の足を見る。
皮を見る。
もう一度、足を見る。
「……踏めばいいんじゃない?」
皮を地面へ広げる。
そっと足を乗せる。
「よいしょ」
ぐっ。
「おお……」
体重がかかる。
「こっちの方が楽!」
紬は少しずつ足を動かしながら、皮全体を踏んでいく。
ぐっ。
ぐっ。
ぐっ。
「よいしょ、よいしょ」
ルーチェは少し離れたところから、その様子を眺めている。
「ギョ……」
「なに?」
「ギョェー」
「……まあ、いいや」
紬はさらに踏む。
ぐっ。
ぐっ。
「これなら手で揉むより効率いいね」
しばらく踏んでいると、紬の額に汗が浮かんできた。
「……結構疲れる」
それでも、皮を踏む。
ぐっ。
ぐっ。
「よし」
しばらくして、紬は足を止めた。
「今日は、このくらいかな」
皮を広げたまま、風通しの良い場所へ置く。
少し乾かす。
完全に乾かしてしまうのではなく、様子を見ながら。
「明日また揉んでみよう」
そして。
踏む。
乾かす。
踏む。
乾かす。
踏む。
乾かす。
×3
「……足、疲れた」
紬はその場に座り込んだ。
皮を触ってみる。
「……最初より、ちょっと柔らかくなった?」
まだ革と呼べるほどではない。
けれど、最初のごわごわした感じとは少し違う。
「うん」
紬は満足そうに頷いた。
「今日はここまで!」
沢の水音が、静かに響いている。
ルーチェはそんな紬を見て、
「ギョェー」
と鳴いた。
「はいはい。帰ろうか」
紬は立ち上がった。
背負い籠には、まだ途中のスタンプボアの皮。
袋の中には、今日見つけた黒い魔石。
少しずつだけれど。
魔獣から得られるものが、増えていく。
「魔石かぁ……」
帰り道、紬は小袋をちらりと見る。
「何に使えるんだろう?」
答えは、まだ分からない。
でも。
分からないものが一つ増えたということは。
これから知ることが、一つ増えたということでもある。
「……まあ、また今度調べよう」
秋の森を、紬とルーチェは並んで歩いていった。




