第58話 魔獣の恵み
第58話 魔獣の恵み
紬は、その場に座り込んでいた。
「…………」
疲れた、本当に、疲れた。
「……大変だった……」
目の前には、解体を終えたスタンプボア。
食べられる肉は部位ごとに分け、毛皮や骨なども別にしてある。
初めての魔獣の解体。
思っていた以上に大変だった。
「まさか……本当に自分でやる日が来るとは……」
紬は遠い目をした。
ふと、元の世界にいた頃のことを思い出す。
昔、田舎へ遊びに行ったとき。
そこで猟師が獲物を解体するところを見学したことがあった。
そのときは、ただ珍しくて。
どうやって解体するのか。
どこをどう扱うのか。
ぼんやりと見ていただけだった。
まさか。
あのとき見たことが、こんな異世界で役に立つなんて。
「人生、何が役に立つか分からないなぁ……」
紬は、しみじみと呟いた。
もちろん、全部を一人でやったわけではない。
途中、アルブレーヴにも手伝ってもらった。
重たい身体を動かすときには、角を使って持ち上げてもらった。
ルーチェにも手伝ってもらった。
翼で風を起こしたり、爪で押さえたり。
「二人とも、ありがとう」
「ふんす」
「ギョ!」
二匹が返事をする。
紬は小さく笑った。
骨と頭についつは今回持って行けないから、明日なにかに使えないか考えよう……1晩置くことになるけど大丈夫かな……
そして、残された毛皮に目を向ける黒く、しっかりとした毛。
普通のイノシシよりも大きく、厚みもある、触ってみると、思っていたより丈夫そうだった。
「……これも、何かに使えそう」
紬は毛皮を広げた、大きい。
これなら、何かを包むのにも使えそうだ。
「これで肉を包めば、持って帰れるかな?」
試しに、いくつかの肉を毛皮の上に置く。
包むみ、端を持つ。
「よいしょ……」
持ち上げる。
ずしっ。
「……重い」
少しだけ浮いた。
でも。
「……無理!」
すぐに下ろした。
紬は毛皮に包まれた肉を見る。
「これ、私が持って帰るものじゃない……」
そもそも。
肉が多すぎる。
スタンプボアが大きかったのだから、当然といえば当然だ。
「……」
紬はルーチェを見る。
「……ルーチェ」
「ギョ?」
次にアルブレーヴを見る。
「……アルブレーヴ」
「ふんす」
「……お願いしていい?」
ルーチェが翼を広げる。
アルブレーヴも、毛皮の端を角に引っかける。
「ありがとう……」
二匹の力を借りながら、紬たちは沢を後にした。
森の中を進む。
肉を運ぶのは大変だったが、二匹が手伝ってくれるおかげで何とかなる。
ルーチェが持ち上げて飛び。
疲れてくるとアルブレーヴが代わりに運ぶ。
アルブレーヴが歩いて運んでいる間は、ルーチェがその周りを飛んでいる。
「ほんと、二人がいてくれて助かるなぁ」
「ギョ!」
「ふんす」
返事が返ってくる。
なんだか、それだけで嬉しくなった。
やがて。
見慣れた石壁が見えてきた。
「着いた……」
家の中へ肉を運び込む。
改めて並べてみると。
「…………多い」
やっぱり多い。
今日食べる分だけ取り分けても、まだまだ残る。
「これ、全部今日食べるのは無理だね」
紬は肉を見ながら考える。
燻製。
干し肉。
それから、いくつかは別の方法でも保存できるかもしれない。
「冬に向けて、保存食にもできそう」
これだけあれば、かなり助かる。
魔獣肉だからこそ、何か特別な保存方法があるかもしれない。
それはまた、少しずつ試していけばいい。
「……うん」
紬は頷いた。
「大事に保存しよう」
そう決めたところで。
ぐぅ。
「…………」
紬のお腹が鳴った。
紬は自分のお腹を見る。
そして。
肉を見る。
「……でも」
今日くらいは。
「焼肉にしようかな」
「ギョ!」
ルーチェがすぐに鳴いた。
「ふんす!」
アルブレーヴも反応する。
「……えっ、まさかの雑食?……」
紬は、アルブレーヴは勝手に草食だと思っていた。
「まぁそういう事もあるよね……、今日は焼肉パーティーにしよう」
ため息を着きつつ準備を始めた。
紬は今日食べる分の肉を取り分け、そして焼くための石を用意する。
火にかけて、しっかりと熱くし、十分に熱くなったところで、火から少し離して置いた。
その上に。
薄く切った肉を乗せる。
ジュウッ。
「……!」
肉が焼ける。
表面から脂がじわりと滲み出てくる
熱くなった石の上に脂が流れて火に落ちる。
その瞬間。
ジュワァァッ!
小さな火が、ふっと上がった。
「わっ……!」
紬は少し驚きながらも、肉を見つめる。
香ばしい匂いが広がっていく。
肉の焼ける匂い。
脂の香り。
少し焦げた香ばしさ。
それが、部屋いっぱいに広がっていく。
「…………」
紬は思わず、目を閉じた。
この匂い。
懐かしい。
元の世界で食べていた焼肉。
仕事帰りに食べたこと。
誰かと一緒に囲んだ食卓。
店の中に広がっていた、あの匂い。
「……久しぶりだな」
紬は小さく呟いた。
異世界に来てから。
魚は食べ、野菜も食べた。
キノコも食べたし、木の実も食べた。
どれも美味しかった。
工夫すれば、ちゃんと食事になる。
でも。
肉を焼く匂いは。
本当に久しぶりだった。
紬は肉をひっくり返した。
じゅう。
じゅわっ。
脂が石に落ちる。
また、小さく火が揺れた。
「……美味しそう」
焼き上がった肉を取るり、少し冷まして。味見!
「いただきます」
ぱくっ。
「…………」
紬の動きが止まった。
ゆっくり噛む。
もう一度。
噛む。
肉の旨味が、口いっぱいに広がった。
「……お肉だ」
ぽつり。
もう一口。
「……お肉……」
なんだか、それだけで胸がいっぱいになった。
久しぶりだった。
ちゃんとした肉を噛みしめる感覚。
焼いた肉の香ばしさ。
口の中に広がる脂と旨味。
「……美味しい」
目の奥が少し熱くなる。
「……美味しい……」
思わず笑ってしまう。
「……私、こんなに肉食べたかったんだ……」
紬はもう一口、肉を頬張った。
「……美味しい!」
今度は、声に出してしまった。
《知識と生存》には、魔素量が多い個体ほど肉の味が良くなる傾向があると書いてあった。
このスタンプボアの魔素は中。
それでも。
「十分すぎるよ……」
紬は嬉しそうに肉を眺めた。
次は、ネギ。
細く切ったネギを手に取る。
そこへマナハーブを少し。
焼いた肉を乗せる。
塩をほんの少し振る。
ネギとマナハーブで、肉を包む。
「いただきます」
ぱくっ。
「……!」
肉の旨味。
ネギの香り。
そして、マナハーブの爽やかな風味。
全部が一緒になった。
「……これ、いい!」
肉だけでも美味しい。
でも、ネギとマナハーブを合わせると、肉の脂がちょうどよく感じられる。
「美味しい……」
紬は夢中になって、もう一枚焼いた。
じゅう。
じゅわっ。
ぱちぱち。
部屋の中は、すっかり焼肉の匂いでいっぱいになっていた。
紬は同時進行で少し大きめに切った肉を、二つ石の上に並べた。
ジュウッ。
肉から脂がにじみ出る。
じゅわっ。
香ばしい匂いが広がる。
ルーチェが、肉をじっと見つめる。
アルブレーヴも、肉を見る。
「もうちょっと待ってね」
「ギョ……」
「ふんす……」
紬は二匹の様子を見て笑った。
「はい。どうぞ」
焼き上がった肉を、それぞれの前へ。
ルーチェは大きな肉を、ぱくりとくわえた。
「ギョ!」
翼がぱたぱたと動く。
「ふふっ」
アルブレーヴも、ゆっくりと肉をくわえる。
もぐ。もぐ。
「どう?」
「ふんす」
「美味しい?」
「ふんす」
もう一度、肉を噛む。
「気に入ったんだね」
紬は笑った。
ルーチェは大きな肉をくわえたまま、
「もごもギョ!」
嬉しそうに鳴く。
「ふふっ」
紬も、自分の肉を焼く。
ルーチェもアルブレーヴも、それぞれの肉を食べる。
紬はネギとマナハーブで肉を包む。
三人で。
同じスタンプボアの肉を囲む。
「……美味しいね」
「ギョ!」
「ふんす」
その返事が嬉しくて。
紬は笑った。
また肉を石の上へ。
ジュワァァッ。
脂が落ちて、火が揺れる。
香ばしい匂いが、家いっぱいに広がる。
「もう一枚焼こう!」
「ギョ!」
「ふんす!」
外は、すっかり暗くなっていた。
森の木々は黒い影となり、遠くから風が木の葉を揺らす音だけが聞こえている。
けれど。
石壁に囲まれた小さな家からは、暖かな光が漏れていた。
火の明かりが、壁の隙間からゆらゆらと揺れている。
「もう一枚焼こう!」
「ギョ!」
「ふんす」
楽しげな声が、夜の森へ響いていく。
外には、まだ知らない危険がある。
それでも今夜は。
石壁の中で、三人の笑い声と焼肉の香りが、暖かな夜を作っていた。




