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本に結ばれた人~知識と生存の本〜(ネギを握りしめて異世界に落ちた私の、のんびりサバイバル)  作者: 式文紫
第2章 秋麗~命のぬくもりを紡いで~

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第44話 赤く暖かい気持ち

第44話 赤く暖かい気持ち


 泉から戻った紬は、家の前で足を止めた。


 両手には、今日持ち帰ったものがある。


 籠いっぱいの、淡い赤色の糸。


 そして、もう一つ。


「ボンヌオドール……」


 小さな一株の植物を、大切に抱えていた。


 今日、沢を登っていく途中で見つけたものだ。


 二株見つけたうちの一株は、傷ついたタイタンサーモンたちのために渡した。


 だから、紬の手元に残ったのは、この一株だけだった。


「ちゃんと育てないとね」


 紬は小さな植物を見つめた。


 よく見ると、細長い葉の形は、元の世界で知っているローズマリーによく似ている。


「……やっぱり、ローズマリーに似てる」


 葉にそっと触れる。


 ふわりと、爽やかな香りが漂った。


「いい香り……」


 紬は思わず目を細める。


 料理にも使えそうだし、薬草としても役に立つ。


 せっかくもらったものなのだから、この世界でも元気に育ってほしい。


「どこに植えようかな」


 紬は庭を見渡した。


 けれど、植える前にふと思い出す。


「そうだ。本でもう一度調べてみよう」


 紬は知識の本を開いた。


 ボンヌオドールに手を触れる。


 すると、文字が浮かび上がった。


【名称】ボンヌオドール(ローズマリー)

【分類】薬草・香草

【生息地】タイタンサーモンの生息する沢・川など

【食用】可

【薬効】軽い傷、虫避け

【特徴】青い小さな花を咲かせる。葉を乾燥させることで、香りと薬効が強くなる。

【花言葉】変わらぬ愛・静かな力強さ・あなたは私を蘇らせる

【特殊効果】他の素材を加えることで、別のものへ変化することがあります。


「……あれ?」


 紬は首を傾げた。


「今日見たときは、こんなの書いてなかったよね?」


 特に目に留まったのは、【生息地】と【花言葉】だった。


「タイタンサーモンの生息する沢や川……」


 紬は少し考える。


「ここで育つかな……」


 家の周りは、沢から少し離れている。


 紬が不安そうにボンヌオドールを見ていると、


「ギョ!」


 ルーチェが鳴いた。


「ん?」


 ルーチェは紬の横を通り過ぎ、家の脇へ飛んでいく。


「待って、どこ行くの?」


 紬が後を追う。


 ルーチェは、家の近くにある小さな場所で止まった。


 そこは日当たりがよく、風も強すぎない。


 ルーチェは、その場所の上を何度か旋回する。


「……ここ?」


「ギョ」


 まるで、


 ――ここなら大丈夫。


 そう言っているようだった。


「そっか」


 紬は小さく笑った。


「じゃあ、ここにしよう」


 紬は土を掘る。


 根を傷つけないように、そっとボンヌオドールを植えた。


 そして、大樹から分けてもらった水を少しだけ取り出す。


「これで……元気に育ってね」


 根元へ、そっと水をかける。


 土がゆっくりと水を吸い込んでいく。


 紬はしばらく、その小さな植物を眺めていた。


 すぐ隣には、いつものネギが植えてある。


 この世界へ来てから、ずっと一緒に育ててきたものだ。


「ネギさんも、仲良くしてね」


 紬が声をかける。


 秋の風が吹き、ネギの葉がゆらゆらと揺れた。


「ふふ」


 紬は小さく笑った。


 そして、もう一度ボンヌオドールへ目を向ける。


 ――変わらぬ愛。


 ――静かな力強さ。


 ――あなたは私を蘇らせる。


 その言葉を見ていると、今日の泉で見た光景が、再び頭の中に浮かんできた。


 傷ついた身体を引きずりながら、それでもこの泉へ戻ってくるタイタンサーモン。


 そこで卵を産み、赤い糸で包み込む。


 自分の身体が傷ついても、次の命を守る。


 そして、泉の底では、卵を包む糸が繭のようになっていた。


 静かに。


 けれど、確かに。


 生まれてくる命を守っている。


 その姿を思い出す。


 強い。


 けれど、どこか優しい。


 その姿が、なぜか遠い記憶と重なった。


 まだ幼かった頃。


 母に抱きしめてもらった記憶。


 もう、顔も声もはっきりとは思い出せない。


 けれど――


 抱きしめられたときの温もりだけは、覚えている。


 小さな身体を包み込む、柔らかな腕。


 何も心配しなくていいと思えるような、安心する温かさ。


 紬の母は、紬が幼い頃に病気で亡くなった。


 だから、その記憶はとても古い。


 それでも。


 今日、タイタンサーモンたちが卵を守る姿を見ていると、その温もりを思い出した。


「……似てるのかな」


 紬は胸に手を当てる。


 タイタンサーモンが、次の命を守ろうとする姿。


 母が幼い自分を抱きしめてくれた記憶。


 どちらも、言葉ではなく、ただ温かかった。


「……お母さん」


 紬は小さく呟いた。


 しばらくして、紬は顔を上げる。


 目の前には、小さなボンヌオドール。


 その隣には、いつものネギ。


「大切に育てよう」


 そう言って、紬は立ち上がった。


 そして家へ戻る。


 ――そのとき、ふと視界に入ったのが、床に置かれた籠だった。


「そういえば……」


 中には、泉から持ち帰った淡い赤色の糸が、いっぱいに詰まっている。


「これ、どうしようかな」


 紬が籠を覗き込んだ、その瞬間。


「ギョ!」


「えっ?」


 ルーチェが突然、籠の中へ飛び込んだ。


「ちょっと、ルーチェ!」


 ふわっ。


 赤い糸が舞い上がる。


 その中へルーチェは身体を沈め、羽を広げた。


「……気持ちいいの?」


「ギョ……」


 なんとも気持ちよさそうな声。


 紬は思わず笑った。


「そんなに気に入ったんだ」


 紬はルーチェをそっと抱き上げる。


「じゃあ、ちょっと広げてみようか」


 ブルーバンブーで作ったベッドへ、赤い糸を運ぶ。


 そして――


 ふわっ。


 糸を広げる。


「……わぁ」


 籠の中では分からなかった。


 広げてみると、淡い赤色の糸が何重にも絡み合い、細かな光を含んでいるように見える。


 紬は指先でそっと触れた。


「やっぱり……あったかい」


 その温かさは、手のひらからじんわりと伝わってくる。


 さっき思い出した、母の温もり。


 そして今日、タイタンサーモンたちから受け取ったもの。


 どこか似ている気がした。


「これ……何かに使えないかな」


 紬は知識の本を開く。


 赤い糸に触れる。


 すると、文字が浮かび上がった。


【名称】タイタンサーモンの産卵糸(母の愛)

【分類】生体物質

【状態】良好

【食用】不可

【特徴】タイタンサーモンが産卵時に分泌する物質。水中で糸状になる。

【効果】卵を外敵から守る。温かみを与える。

【特殊効果】無償の愛(冬の間、温かみを与える)

【加工適性】高い

【加工】織る・編む・絡めることで防寒素材として使用可能。


「……編めるんだ」


 紬の目が輝く。


「だったら……」


 頭の中に、昔の記憶が浮かぶ。


 糸。


 かぎ針。


 編み目。


「かぎ編み……」


 けれど、この世界には、かぎ針なんてない。


 紬は少し考えた。


「……ないなら、作ればいいか」


 外へ出る。


 細く、真っ直ぐな枝を探す。


「これくらいかな」


 枝を手に取り、太さを確かめる。


 そして黒曜石を取り出した。


 少しずつ、枝の先端を削っていく。


 削りすぎないように。


 細くなりすぎないように。


 糸を引っ掛けられるよう、先端に小さな溝を作る。


「……もう少し」


 削る。


 触って確かめる。


 また削る。


「うん……」


 最後に指先で形を確かめる。


 細い枝の先端が、かぎ針のような形になっていた。


 紬は赤い糸を引っ掛けてみる。


 すっ。


 糸が引っ掛かった。


「……できた」


 紬は嬉しそうに笑った。


 手の中には、自分で作った小さなかぎ針。


 その隣には、淡い赤色の糸。


 そして、足元ではルーチェが赤い糸を見つめている。


「これで……編めるね」


 紬は赤い糸をそっと手に取った。


 胸の奥に、ほんのりと暖かいものが広がる。


 今日、もらったもの。


 タイタンサーモンたちの想い。


 そして――母の愛。


「明日は、何を作ろうかな」


「ギョ!」


 ルーチェが嬉しそうに鳴いた。


 秋の風が、静かに家の周りを吹き抜けていった。


 その風の中で、植えたばかりのボンヌオドールが、小さく揺れていた。

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