第38話 小休憩と、白い花
第38話 小休憩と、白い花
紬は目を覚ますと、ゆっくりと身体を起こした。
「……ん……」
昨日は大変だった。
沢を何度も往復して、魚を運んで。
そのあと、午後いっぱいを使って燻製までした。
「……今日は、のんびりしよう」
そう決めて、隣を見る。
「……」
ルーチェが仰向けになっていた。
羽を少し広げ、足も力なく伸ばしている。
「……ぴー……」
小さな鼻息を立てながら、気持ちよさそうに眠っていた。
「……ルーチェも疲れたんだね」
「ぴー……」
返事はない。
紬は小さく笑った。
「昨日は頑張ったもんね」
紬自身も、まだ少し身体が重い。
けれど、今日は急ぐ必要はない。
魚も十分に確保した。
燻製も作った。
だから今日は――。
「今日はなんにもしなーい!」
そう決める。
ゆっくりと朝の支度をして、簡単に食事を済ませる。
そして、いつものように背負い籠を手に取った。
「……散歩でも行こうかな」
ルーチェを見る。
「ルーチェ、行く?」
「……ギョ」
眠そうに顔を上げる。
「無理なら寝ててもいいよ」
「ギョ!」
ルーチェはすぐに起き上がった。
「……行くんだ」
紬は笑った。
籠を背負い、ルーチェと一緒に外へ出る。
◇
森の中を歩く。
今日は急ぐ必要がない。
いつもよりゆっくり歩いていく。
ふと、紬は足元を見た。
「……あ」
草の間に、細い道ができている。
これまで何度も同じ場所を歩いてきた。
沢へ行くときも。
薪を探すときも。
植物を採るときも。
そのたびに踏みしめてきた草が、少しずつ倒れている。
いつの間にか、紬が歩くための小さな道になっていた。
「こんなところに道、できてたんだ」
紬はその道を眺める。
最初にこの森へ来た頃には、こんなものはなかった。
何も分からなくて。
どこへ行くにも、草をかき分けながら歩いていた。
それが今では。
自分が歩いた跡が、ちゃんと残っている。
「……結構、歩いたんだなぁ」
ルーチェが隣を歩く。
「ギョ」
「ね」
木々の間から、柔らかな光が差し込んでいる。
夏の暑さは少しずつ遠ざかり、風にはほんのり秋の気配が混じっていた。
葉が揺れる。
さら……。
さらさら……。
風が頬を撫でていく。
「気持ちいい……」
暖かな日差しが身体を包む。
ぽかぽかとした陽気の中を、紬はゆっくり歩いていった。
◇
しばらく歩いたところで。
「……あれ?」
紬が足を止める。
草の中に、黄色い花が咲いていた。
「これ……」
見覚えがある。
「たんぽぽー!」
以前も似たような花を見つけた。
けれど、あのときは詳しく調べていなかった。
「今日はちゃんと調べてみよう」
紬は背負い籠から本を取り出した。
白い表紙。
ページを開く。
花に触れながら、そっと本へ意識を向ける。
ページが淡く光った。
【名称】ポポタン
【属性】光
【食用】可
【特徴】ビタミンを多量に含む非常に有用な野草。
【成長条件】太陽の光を浴びて育つことで、一部の効能が向上する。
【花言葉】真心の愛・愛の神託・神託
【その他】綿毛は非常に軽く、別名【天使の旅】と呼ばれる。
「……ポポタン」
紬は花を見る。
「やっぱり、たんぽぽみたい」
名前は少し違う。
でも、食べられるらしい。
「ビタミンも多いんだ」
紬は少し考えた。
「……これ、コーヒーにもできたよね」
以前、本で見た知識を思い出す。
たんぽぽの根を乾燥させて、煎って。
コーヒーのようにして飲む。
「それなら……」
紬は周囲を見渡した。
「少しだけもらおう」
必要な分だけ採取する。
そして、綿毛のついた花を眺めた。
「天使の旅……」
風が吹く。
ふわり。
一つの綿毛が飛んでいった。
「……本当に軽い」
綿毛は風に乗り、木々の向こうへ消えていった。
ルーチェがそれを目で追う。
「ギョ……」
「どこまで行くんだろうね」
紬は少しだけ笑った。
◇
さらに歩いていく。
やがて、石垣が見えてきた。
その近くに、以前から気になっていた白い花が咲いている。
「……これ」
紬はしゃがみ込む。
白い花びら。
柔らかな光を受けて、静かに揺れている。
「綺麗……」
採ろうか迷う。
けれど。
「一応、調べてみよう」
本を開く。
花に触れる。
ページが淡く光った。
【名称】カランコエ
【属性】光
【成長条件】特殊な条件を必要とする。
【希少性】非常に珍しい。
【花言葉】あなたを守る・守護天使
【その他】表示不可
【理由】条件が足りません。
「……」
紬は画面をじっと見つめた。
「条件が足りない……」
もう一度、白い花を見る。
「何の条件なんだろう」
分からない。
でも。
「……これは、採らない方がいいかな」
せっかく咲いている花だ。
条件も分からない。
だったら、今はそのままにしておこう。
「また来ればいいし」
紬は立ち上がった。
白い花は、何も言わずに風に揺れていた。
◇
その後も、ゆっくり森を歩く。
途中でアカツブを見つける。
「あ、あった」
いくつか収穫する。
「今日はこれくらいでいいかな」
籠の中を見る。
ポポン。
アカツブ。
そして、少しだけ採取した植物。
「……なんか、普通のお散歩みたい」
ルーチェが隣で鳴く。
「ギョ」
しばらく歩いていると、木々の間から少し開けた場所が見えてきた。
草が広がっている。
風がよく通る場所だった。
「ここ、いいな」
紬は籠を下ろした。
「ちょっと休もう」
そのまま草の上に寝転がる。
「……はぁ」
背中に柔らかな草の感触。
目を閉じる。
暖かな日差しが、まぶた越しに感じられる。
風が吹く。
草が揺れる。
さら……。
さらさら……。
遠くで鳥が鳴いている。
木の葉同士が触れ合う音。
どこか遠くで、沢の水が流れている。
風が森を抜けるたび、葉が一斉に揺れる。
その音が、波のように近づいてきて。
そして、また遠ざかっていく。
「……静かだな」
隣では、ルーチェも草の上に座っている。
「ギョ……」
紬は目を開ける。
「アカツブ、食べる?」
「ギョ!」
「はいはい」
二人でアカツブを食べる。
「……おいしい」
「ギョ」
急ぐ必要もない。
何かを作る必要もない。
ただ、暖かな日差しの中で過ごす。
紬は再び草の上に寝転んだ。
◇
しばらくして。
紬は背負い籠から本を取り出した。
「……今日は、ちょっとちゃんと見てみようかな」
膝の上に置く。
これまで本には何度も助けられてきた。
植物のこと。
動物のこと。
危険なもの。
食べられるもの。
道具のこと。
けれど。
「結局、この本って……どういう条件で色々分かるんだろう」
ページをめくる。
「自分が触ったものとか?」
これまでを思い返す。
自分が実際に見たもの。
触れたもの。
使ったもの。
経験したこと。
危険な状況になったとき。
「……その辺が関係してるのかな」
でも、はっきりとは分からない。
「条件があるのは分かるんだけど……」
紬は首を傾げた。
「何が条件なのかは、よく分からない」
ページをめくる。
白いページ。
また一枚。
特に変わったところはない。
「うーん……」
そのとき。
隣にいたルーチェが、本の裏側をくちばしで突っついた。
こつ。
「……ん?」
もう一度。
こつ。
「ルーチェ?」
「ギョ」
「何?」
紬は本を裏返した。
裏表紙を見る。
「……あれ?」
そこには、何もなかったはずだった。
けれど。
白い紙の上に。
何か文字が浮かんでいる。
「……文字?」
紬は顔を近づけた。
白い紙に、浮き出るように文字が描かれている。
いつからあったのだろう。
今まで、こんなものはなかった。
紬はゆっくり読み始める。
知ることは、歩くこと。
生きることは、選ぶこと。
知識は、道を照らす。
生存は、その道を歩く力。
知り、考え、選び、そして生きる。
「…………」
紬は黙って文字を見つめた。
「……」
もう一度読む。
そして、首を傾げる。
「……どういう意味?」
ルーチェを見る。
「ギョ?」
「いや、ルーチェに聞いても分からないよね」
「ギョ」
紬は再び文字を見る。
知ること。
歩くこと。
生きること。
選ぶこと。
どれも分かるような。
分からないような。
「……知識は、道を照らす……」
確かに、この本が教えてくれる知識には助けられている。
でも。
「生存は、その道を歩く力……」
紬は自分の手を見る。
魚を捕まえた。
竹を運んだ。
屋根を作ろうとしている。
火を起こして。
食べ物を探して。
毎日、生きている。
「……」
考える。
考える。
そして――。
「……わからん」
紬は本を閉じた。
「今考えても分からないや」
そのまま、また草の上にゴロンと寝転がる。
「今日は休む日だし」
「ギョ……」
ルーチェも隣に寝転がる。
秋の風が、二人の上を静かに通り過ぎていく。
さら……。
さらさら……。
暖かな日差し。
柔らかな草。
遠くで鳴く鳥の声。
そして、森を抜ける風の音。
紬は目を閉じた。
「……まあ、そのうち分かるでしょ」
今はまだ。
分からなくてもいい。
今日知ったこと。
今日見たもの。
今日歩いた道。
それだけでも、十分だった。
ルーチェが小さく鼻息を吐く。
「……ぴー」
「……ふふ」
紬は目を閉じたまま、小さく笑った。
秋の森は、今日も静かだった。




